第十三話 天文十一年七月上旬『猿』
パン! パン! パーン!
清州城の中庭に竹刀を打ち合わせる音が響く。
戦国時代、稽古は木刀が基本だった。
とはいえ、それでは硬すぎて怪我をしやすい。
怪我は訓練効率を下げる。
というわけで作ってみたのが、竹刀である。
とりあえずわたしの護衛を務める成経組の足軽たちに支給し、試しているのだがなかなかいい感じである。
「ちと軽すぎるのが難点だがな。ま、勝負勘を養うには丁度いい」
とは、成経の評である。
そんな彼も今、
「おらおら、どうしたどうした?」
部下である足軽たちに稽古をつけてやっていた。
足軽は農民出身の者たちである。
日々農業で鍛えられた身体は筋肉質であり、その振るう竹刀の勢いは普通に凄い。
凄いのだが――
「へっ、そんなへっぴり腰じゃ目ぇつぶってたって避けられるぜ!」
成経は軽々とかわしていく。
言葉のあやではなく、がちで目をつむっているのだが、それでも当たらない。
おそらく殺気とか気配を読んでいるんだろうけど、やはり勘の鋭さは一級品だった。
こんなん漫画の世界の話だと思ってた。
まさかリアルで見れるとは……
「っ!? ぐあっ!」
突如、成経がすっ転んだ。
石にけつまずいたとか、そういうのではない。
不意に後ろから近付いていた中年の小男に、あっさり足を払われたのである。
「ってえな! 誰だ、てめえ!? いきなりなにしやがる!?」
すぐさま立ち上がり、成経はその小男の胸倉をつかみ――
「うっ!」
引き攣った顔で動きを止める。
その喉元には、どこから取り出したのか苦無が突きつけられている。
「不用意ですね。これで貴方は二度死んだことになる」
「ぐ、ぐぐっ」
「訓練とは言え、慢心は感心しません。今回みたいに足をすくわれますよ」
「っ!? ったぁ!」
スパンっ! とまた足を払われ、成経は尻もちを突く。
あの成経が、まるで子ども扱いである。
というより、この小男の動きに、まるで反応が出来ていない。
彼の危機察知能力が、まるで反応していない!?
そもそもこの小男の顔に、わたしは見覚えがない。
成経も知らなかった。
つまり、この清州城内まで悠々と侵入してきた、ということである。
異常極まりなかった。
とはいえまあ、一人、心当たりはいるのだけれど。
「何者だ、てめえ!?」
さすがに血の気の早い成経も、今度はむやみに近づこうとせず、警戒の構えを取りながら問う。
「貴方より先に名乗らねばならぬ方がおられますので」
言って、小男はわたしの前に進み出て、片膝をつく。
「お初にお目にかかります。下柘植小猿でございます。この度はわざわざあっしをご指名とのこと、光栄に存じます」
「ああ、やっぱり。待ってたわ」
わたしは思わず口元をほころばす。
予想通りの名ではあったが、あの成経をあっさりやりこめるなんて予想以上の腕前である。
これは期待ができそうだった。
「下柘植……ちっ、てめえ伊賀者か!」
忌々しげに成経が吐き捨てる。
伊賀者――
伊賀(三重県西部)は小領主が乱立し、長い間、争いが続く地域であった。
その為、民たちは自衛のため一種のゲリラ戦術的な技能を体得していった。
先ほど、勘の鋭い成経にすら気取らせず近づいてのけたのも、おそらくはその技能の一つだろう。
そして戦国時代。
服部、百地、藤林の上忍三家が合議制で伊賀をまとめるようになっていたが、そもそもの土地柄が粘土質の土壌のため農耕にあまり適さず、伊賀の郷士たちは傭兵として他国の大名に使えるようになり、その独特の技能を活かして諜報活動、戦時の斥候などの任に就くようになっていった。
そう、二一世紀風に言うならば、いわゆる忍者のことである。
「おや、下人に過ぎないあっしらの名をご存知で?」
小猿が振り返り、意外そうに目を丸くする。
「うちは六角の流れを汲むからな」
「ああ、なるほど。そういうことでしたか」
成経の言葉に、小猿も納得したようにうなずく。
六角氏は近江(滋賀県)の南部を拠点にする大名である。
伊賀(三重県西部)にも近く、その関係で伊賀者の事も伝え聞いていたのだろう。
「ちなみに、つや姫様はどこで某の名をお知りに?」
じっと冷たい眼でわたしを見据え、小猿が問うてくる。
自らの情報の流出経路が気になるらしい。
このあたり、さすが情報を扱うプロといったところか。
「スサノオの神託です。その者、なかなかの上手である、と」
しれっとわたしは嘘をのたまう。
実際は「三大忍術伝書」の一つ、万川集海に十一人の名人の一人として名が乗っていたからである。
「その噂、耳にはしておりましたが……真なのです?」
訝しげに問い返してくる。
忍びの者は得てして、情報の正確性が求められるだけに現実主義者である。
神の神託など、真っ先に与太話と疑う類なのだろう。
「それはこれから貴方自身の目で確かめればよいことかと」
わたしはあえてはぐらかして答える。
嘘に嘘を重ねるのは愚策である。
相手は情報収集の専門家ならなおさらだ。
目線、しゃべり方、抑揚、そういったものから真偽を見抜くなんて術を持っていてもなんら不思議ではない。
余計なことはしゃべらないに限る。
「そうさせてもらうと致しましょう。長い付き合いになるのでしょうし、ね」
ふっと意味深な笑みとともに、小猿は肩をすくめる。
伊賀者は基本、金銭による契約で誰でも雇い入れることができる。
そこで発明品の売り上げを元手に、上忍三家にも話を通し、下柘植一族を伊賀から丸ごと引き抜かせてもらったのだ。
長い付き合いになる、とはつまりそういうことだった。
情報を制する者は全てを制す。
自前の諜報機関は、持っておくに越したことはない。
二年後、あの太原雪斎と戦うというのならなおさらだった。
それが下柘植一族ならば、これほど頼りになる者もいない。
下柘植小猿の名自体は、確かに二一世紀ではメジャーとは言い難いかもしれない。
家康に仕えた服部半蔵とか、信長と争った百地三太夫とか、謙信や信玄に仕えた飛び加藤などのほうが知名度自体ははるかに高いと言える。
だが、知名度こそ劣っても、前述の万川集海に十一人の名人と記される下柘植小猿の力量は、そんな彼らに劣るものでは決してない。
しかも今ここにはいないが、彼の子どもの木猿も、十一人の名人の一人である。
そんな彼らの力量を表す最もわかりやすいエピソードとして、かの有名な講談、真田十勇士がある。
その十勇士の筆頭であり、某大人気忍者漫画の人気キャラクターの名前の由来にもなった有名キャラクター――
猿飛佐助のモデルは、彼ら下柘植小猿、木猿であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます