第九話 天文十一年四月下旬『信秀兄さまの悪だくみ』

「あ~ようやく終わったぁ! 疲れたぁ! もういやぁ!」


 うんざりした声とともに、わたしはばたりと畳の上に大の字になる。


 清州の戦い以降、わたしに面会を希望する人間が後を絶たないのだ。

 まあ、なんかけっこう活躍しちゃったから、ねぇ。

 信秀兄さまも「我が織田家にはスサノオの加護がある!」とか喧伝したりするし。

 おかげで最近は、午前中は訪れる人々と歓談して過ごすというのが常となっているのだが……


 わたしは基本的には陰キャオタクなのである!

 来る人来る人、みんなほとんど面識のない人ばかり!

 初対面の人と会うのはやっぱ緊張するし、気まずいし、何話せばいいのかわからなくなるしで、正直そんな好きではないのだ。疲れるのだ!


「もう誰とも会いたくない。しばらく部屋に引きこもるー!」


 そして趣味の史実武将たちを題材にした妄想小説を書き殴るのだ。

 ああ、そうやって趣味にだけ没頭して生きていけたらどれだけ幸せなんだろうか!?


「姫様、お疲れのところとは思いますが、来客です」

「ええ~っ!? 来客は午前中! 一日一〇人まで! 予約だけして日を改めて来てもらって」


 申し訳なさそうに取り次いでくるゆきに、わたしは寝ころんだまましっしっと犬を追い払うように手を振る。

 だって他にしなくちゃいけないこともあるし、ね。

 来客全部に対応してたらそれこそ日が暮れてしまう。


 ……あれ?

 疲れすぎてつい脳死で返しちゃったけど、乳母でありお付きの女中でもあるゆきならその辺の事情、全部知ってるはずなのだ。

 なのに取り次いできたってことは――


「ふん、儂を追い返そうとは、いいご身分だな、つや」

「の、信秀兄さま!?」


 悲鳴じみた声とともに、わたしは飛び起きる。

 そこにいたのは、ニヤニヤ悪戯っぽく笑う口ひげがダンディなイケオジである。


「も、申し訳ございません! ご無礼を」

「良い。気にしておらん」


 慌てて謝るわたしに、信秀兄さまはそう返し、


「そんなことより、今日は貴様に会わせたい奴がおってな、連れてきた」

「っ!? 信秀兄さまが直々に、ですか」


 わたしは思わず居住まいを正す。


 信秀兄さまが守護代に就任してまだ間もない。

 色々相当忙しいはずなのだ。


 本来ならその者に会いに行けと命令すればいいだけのことなのに、わざわざ自ら連れて出向いてきた。

 相当の大物であることは間違いなかった。


「うむ、おい、季光すえみつ!」

「は、はい」


 呼ばれて入ってきたのは、年の頃は三〇代半ばほどだろうか。随分と緊張した面持ちの気が弱そうなおじさんである。

 正直、優秀な人物特有の覇気というかオーラというか圧というか、そういうのを全然感じない。


 しかも季光……ねぇ?

 そんな名前の人、織田家にいたっけ?

 少なくとも有名どころにはいなかったような……?


「はじめまして、つや姫様。千秋せんしゅう季光と申します」

「千……秋!?」


 名乗られた姓に、わたしはギョッと目を見開いた。

 歴史的にははっきり言って、まったくメジャーではない名だ。

 だがことわたしにとっては、その名は非常に重要な意味を持っていた。


「まさか……熱田神宮の大宮司!?」

「え、ええ、僭越ながら、九三代目を務めさせて頂いております」


 澄ました顔で頷かれ、わたしは内心でサーッと血の気が引いていくのを感じた。


 熱田神宮は、三種の神器の一つ草薙剣を祀っているところである。

 そして草薙剣と言えば、わたしがその巫女だと詐称しているスサノオノミコトが八岐大蛇やまたのおろちを倒して手に入れた宝剣。

 つまり今のわたしにとって、熱田神宮は凄まじく縁の深い場所であり、千秋家は、その大宮司、すなわちトップを代々務めている家だった。


 そう言えば、この時代、織田家に仕えてたって話だったっけ。

 戦死の記録が残ってるだけで大した活躍をしたわけでもなく、おかげで名前のほうはすっかり失念してしまってたわ。


 と、とりあえずするべきことは――


「そ、その、ご、ご挨拶が遅れて申し訳ございません! 近いうちに参拝し寄進しようとは思っていたのです!」


 平謝りだった。


 ほ、ほんとだよ! 言い訳じゃないからね!?

 政略結婚のくびきから逃れて、今、そこそこ自由な日々を送れているのは、スサノオノミコト様の名を借りたおかげである。

 だから、いつかお礼はしないとって思ってはいたのだ。


 ただ……ほら、清州城代就任とか、領地の爆増とか色々忙しかったから、ね?

 そう、別に忘れてたとか、そういうわけではない、うん、断じて。


「と、とんでもございません! お顔をお上げください、巫女様。むしろ挨拶が遅れて詫びるべきはこちらでございます。真に申し訳ありませんでした!」


 がばっとその場に土下座する季光殿。

 ぐはっ、詐称しているにすぎない身としては罪悪感がぁ!

 かといってさすがにもうあれは嘘ですとかとても言えないし……。


「そうだぞ、つや。貴様はスサノオから神託を直々に受けた巫女。大宮司とはいえ、季光のほうから挨拶に来るのが筋というものじゃ」

「まことに! まことに申し開きのしようもございません! 真偽のほどがわからず、そう安易に認めるわけにもいかずずるずると時ばかりが経ち……」


 ニヤニヤ笑いながら追い打ちをかける信秀兄さまに、季光殿はますます恐縮して額を畳にこすりつける。

 ほんと勘弁してほしいんですけど!

 あまりに居心地が悪すぎる。


「その辺りの事情はわかっております。季光殿こそお顔をお上げください。わたしは何も気にしておりませんから」

「そ、そう言ってくださると助かります」


 季光殿は心底ほっとした顔で安堵の吐息をこぼす。

 彼は彼で、相当気が気でなかったらしい。


「挨拶は済んだな。ではそろそろ本題に入らせてもらうぞ」

「えっ? 本題、ですか?」


 てっきりわたしに季光殿と引き合わせることが目的で来訪したとばかり思っていた。


「うむ。今この時より、この千秋季光を貴様の旗下とする。好きに使え」

「はい? ……あ~、スサノオの巫女の箔付け、ですか」


 一瞬何を言われたのかわからなかったが、すぐにわたしは信秀兄さまの意図に気づく。


 わたしがスサノオの巫女だのなんだの言ったところで、そういうのがあふれかえる昨今、どうしたって疑いの目は向けられる。

 だが、その下に草薙剣を奉納している熱田神宮の大宮司が仕えているとしたらどうか?

 一気に信憑性が増すという寸法だ。


「うむ、さすがは我が孔明。察しがいいではないか」


 ニッと信秀兄さまが口の端を吊り上げる。

 せっかく担いだ神輿に、より権威付けをしようというのは道理である。

 そのほうが政治や戦で便利なのだから。


 それはわかる。

 わかるんだけど……


 なんかどんどん逃れられない泥沼にハマっていってるような気がするのは、わたしだけだろうか?

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