第七話 天文十一年四月中旬『QOL向上計画、途中経過』

「はぁぁぁ、わたし、姫様にお仕えできて、心から幸せです~」




 わたしの隣で、蕩とろけきった顔でなんとも艶めかしい声をあげたのは、女中のはるである。




 わたしと彼女が今、口にしているのは味噌汁である。


 二一世紀ならどこにでもある、ただの豆腐の味噌汁にすぎないのだが、彼女には感動の一杯であったらしい。




 それもそのはず。


 実は日本人が鰹節かつおぶしを日常的に使い始めたのって江戸時代からで、戦国時代の味噌汁って出汁が入ってなかったのよね。




 しかも今日から使い始めたのは熱田の豪商、加藤順盛よりもり殿に紹介してもらった味噌職人を五名ほど高額で雇い入れ、下河原の屋敷で作ってもらった本枯れ節。


 天日干しに、カビ付けを四回施し、旨味を凝縮した逸品である。


 出汁なし味噌汁ばっか飲んでいた身には、そりゃ感動しようというものだった。




 え? なんで味噌職人かって?


 カビなんて有毒なケースも多いから、素人のわたしが扱うのはちょっと危険だったのだ。


 餅は餅屋、味噌職人なら無毒なコウジカビをもう持っているだろうし、扱いにも長けている。


 任せてしまうのが吉と判断したのである。




「わたしはこの醤油しょうゆが最高ですね~。どんな料理にも合いますもの」




 もう一人、うっとりした顔でそう言ったのはゆきである。




 醤油も実は江戸時代からで、この時代にはなかったものだったりする。


 ちょっと原材料が違うだけで、ほとんどの行程は味噌と一緒なんだけどね。


 だから出汁と一緒に同じ職人さんたちに作ってもらった。


 最近、その試作品一号がうちに到着し、すっかりハマってしまったらしい。




「やれやれ、ようやくなんか日常を取り戻した気がするわ」




 わたしも味噌汁を一口すすり、その懐かしさにほっと安堵の吐息をこぼす。




 長かった。


 ほんっとおおおおおおに長かった!


 どっちも加藤殿から五〇〇貫文せしめた時からすでに製造を始めていたのだけれど、発酵とかにどうしても時間がかかり、出来上がったのはつい最近なのだ。




 食事の美味しさは、クオリティオブライフの根幹である。


 出汁と醤油なしの食事など、二一世紀の食事を知る身からしたらはっきり言って物足りないにもほどがある!


 生きるためには食べなければならなかったとは言え、これらなしの食事がどれだけつらかったことか!?




「あらあら、姫様。お泣きになるなんて、そんなに美味しかったのですね」




 ゆきが慈愛の微笑みを浮かべて言う。


 え? わたし、泣いてる?


 確かになんか頬が熱いような……。




 そうか、わたしは泣いているのか。


 そりゃそうよね。


 実に半年もの間、言っちゃあなんだけど味気ない料理ばっかだったのだから。


 その苦汁の日々も、ようやく、ようやく終わりを告げたのだ。


 そりゃ涙ぐらい出るってものである。




「わかります。この美味しさはそりゃ泣いちゃいますよね」


「……そうね」




 色々想うところはあったけれど、はるの言葉にとりあえず合わせておく。


 わたしのは初めての美味しさへの感動、ではない。


 慣れ親しんだ故郷の味を取り戻した感動だ。




 でもそれを彼女にわかってもらうのが土台無理なことぐらい、わたしもわかっていた。


 この喜びを誰かと共有できないのは、少しだけ寂しいけど、ね。




「ふむ、まっこと美味ですなぁ。これを巷ちまたで売り出せば、千歯扱せんばこきの時同様、また大人気間違いなしでしょう」




 わたしの傅役、佐々成宗ことじぃが、うむっと一つ頷き太鼓判を押してくれる。




 千歯扱きとは、江戸元禄年間に開発された米や小麦の脱穀に用いる道具である。


 この時代に使われてた脱穀具、扱き箸で扱く籾もみの量は、男性で一日一二束、女性で九束だったのが、千歯扱きを使えば一時間で四五束である。


 たった一時間で四日分の作業ができてしまうのだ!




 この時代にあっては極めて画期的な道具と言え、先月売りに出したらそりゃまあ飛ぶように売れたものである。


 まあ実のところ、足踏み式にしてしまえば、さらに五倍以上にまで脱穀速度を引き上げられるんだけどね。


 そこは自重した。


 なぜなら――




「そうね、それに千歯扱きと違って、醤油や鰹節はそうそう真似できないでしょうし、ね」




 これが理由である。


 千歯扱きは、木の台の上から鉄製の櫛くし状の歯を突き出しただけ、なんて実に単純極まりない構造だからね。


 足踏み式の歯車機構だって、現物を見れば、あるいは発想のきっかけさえ与えてしまえば、腕利きの大工ならあっと言う間に模倣できてしまうだろう。


 最初こそぼろ儲けできるけど、著作権なんて存在しないこの時代、来年か、あるいは今年の秋にはもう、目ざとい商人たちが類似品を売り出しているに違いない。




 足踏み式の動力機構は、いろんなことに応用性が利く。


 隣国に流れれば、他家を一気に発展させかねない危険な技術だ。


 絶対に流出させるわけにはいかない。


 なのでできる限りは織田家中で概念そのものを秘匿しておきたいところなのよね。




 その点、醤油や鰹節なら、作り方を秘匿すれば簡単にはわからない。


 バレたところで、他家の発展にそこまで寄与もしない。


 味覚の鋭い人や観察力に優れた人ならばいずれ再現できるんだろうが、それでもおそらく数年はかかるはずだ。


 その間に高い値段付けて金持ちに売って売って売りまくって、稼ぎに稼いで、さらにはブランド価値も作ってしまおうという戦略である。




「それは石鹸も、ですな」




 じぃが悪どく笑う。




 石鹸は灰に熱湯をぶっかけ灰汁を取り、そこに動物性の脂を入れて熱してかき混ぜ、後は型に入れて固まるまで放置すれば簡単に作れるが、完成品を見て作り方を見抜くというのはなかなか難しい代物である。


 ちなみに、動物性の脂には馬油を使っている。


 人の油脂と馬の油脂って成分が近いので相性がいいのだ。




 これを美肌美髪の神薬として一個一貫文(十二万円相当)という馬鹿みたいな高値で売り出して見たのだが、試供品を使ってみた武家や商家の奥方を中心に大ヒットしたのである。


 ちなみに灰は農作業の一環で刈り取った雑草を焼いたもの、馬油も亡くなった馬の腹肉やたてがみから取り出したものだ。


 ほとんど原価はただみたいなもので、ぼろ儲けもいいところだった。




「まっことスサノオの知識はとんでもないですな。次は何をお作りになられるつもりで?」




 楽し気に、じぃが問うてくる。




 じぃいわく、わたしが作る出すものを見るのが、最近の楽しみらしい。


 心が若返る、と。




 実にいい事である。


 じぃには長生きしてもらわないと、ね。




「そうね~」




 顎に手をやり、わたしは思案する。


 とりあえず、安定的な資金源は手に入れた。


 しかし、まだまだわたしのクオリティオブライフ向上の為には作らねばならないものはたくさんある。




 差し当たっては――




「これから夏になるし、とりあえずはエアコン・・・・ね!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る