第六話 天文十一年四月上旬『SSR武将の悩み』川尻秀隆side
川尻秀隆は、幼い頃から神童と呼ばれて育った。
何をやっても、他の人より上達速度が圧倒的に早い。
普通の者たちが一か月二か月習得にかかるものも、三日ほどで立ちどころに会得してしまう。
あまり他人に理解されることはないが、なんとなくコツが見えるのだ。
こうやれば上手くいく。そういうコツが。
半年も経てば、指導役よりも上手になってしまうのもざらだった。
「羨ましい」
よく言われる。
「俺にも秀隆みたいな才能があればな」
それもよく言われる。
「やっぱ秀隆は
もう耳にタコで聞き飽きた言葉だ。
そうやってみな線引きし、秀隆を輪の外に置く。
同じ人間ではない、と。
お前は選ばれた側の人間だ、と。
お前なんかに出来ない人間のつらさはわからない、と。
贅沢な悩みだと、わかってはいる。
食うか食われるか、生き馬の目を抜くこの戦国乱世において、人より優れた能力と言うのは、正直、生きやすいのは確かだ。
才気を授けてくれた父母や神仏には、心から感謝している。
ただ心のどこかに一抹の寂しさを感じるのもまた確かであった。
神童ゆえの苦悩、すなわち誰とも分かり合えない、わかってもらえないつらさ。
それは秀隆の心の奥底に、澱となって少しずつ少しずつ沈殿していた。
だが、転機が訪れる。
仕えていた織田大和守家が、わずか一日で滅ぼされたのだ。
そしてその立役者となったつやは、まだわずか八歳だと言う。
俄然興味が湧き、仕官してみることにした。
彼女なら、特別ゆえの苦しみを分かち合えるとどこかで思っていたのかもしれない。
しかしそれは、驕りもいいところであった。
「そうか……私は井の中の蛙に過ぎなかったのだな」
仕官して一週間も経つと、そう痛感せざるを得なかった。
彼女こそが、真なる『特別』だった。
秀隆のように、人より物事が上手くできるとか、もはやそういう領域ではない。
まだ八歳だというのに、秀隆が知らないことを山ほど知っている。毎日教えを乞う日々だ。
秀隆が考え付きもしないような案を、ポンポンと湯水のごとく出す。正直、その画期的な考えには、秀隆でさえついていけない時がある。
スサノオの巫女だというが、まさにそう、彼女は神の領域にいたのだ。
秀隆が、自分の存在が矮小に思えるほどに。
「秀隆、仕事終わった? じゃあ、一局指さない?」
夕暮れ時、つやが声をかけてくる。
彼女は将棋にハマっていて、こうして仕事終わりに誘ってくることが度々あるのだ。
「受けて立ちましょう」
言って、秀隆は盤を挟んでつやの前に座る。
武家の嗜みとして、秀隆も将棋はよく指すほうである。
というか、得意である。
なんでもできる秀隆であるが、将棋は好きということもあってのめり込み、特に自信があった。
織田大和守家では、一度として負けなかった。
下河原織田家内でも、基本的に無双している。
だが――
「参りました……」
つやにだけはてんで勝てない。
彼女の鉄壁の布陣が崩せない(つやは居飛車穴熊と言っていた)。
攻め疲れたところを電光石火の早業でやられてしまった。
かといって、こちらも守りを固め持久戦に持ち込むと、堅牢さで勝るつやになす術なく圧し潰される。
はっきり言って手に負えなかった。
「仕事ぶりは大したものだけど、こっちはまだまだね。でも筋は凄いいいからもっと勉強なさい。そしたら次はいい勝負ができるかもね」
ウキウキとした様子でつやは言う。
その心底楽しそうな顔が秀隆には不思議で、つい問うていた。
「姫様は……その、寂しくないのですか?」
「寂しい? いきなりなに?」
「いえ、少し気になりまして」
「ふ~ん? 別に全然寂しくないわよ? 信秀兄さまもいるし、じぃもいるし、ゆきもはるもいるし、あんたたち家来もいるしね」
わずかの逡巡もなく、つやは返してくる。
だがどうしても秀隆には納得がいかなかった。
「ですが、姫様は特別な方です。周りから線を引かれること、わかってもらえないことも多々あるのではないですか?」
「え? あー……まあ、そういうのを感じないって言ったら嘘になるけど……」
「ですよね」
自分でさえ、そういう孤独を感じているのだ。
この稀有な傑物なら、なおさらであろう。
だが、つやの次の言葉は、秀隆を呆気にとらせた。
「けどそんなの、人間誰しもでしょう?」
「え?」
「そんなに不思議? 人は他心通なんて使えないわよ?」
他心通とは、仏や菩薩が持っているという他人の心の中を読み取る力のことである。
「それはその通りですが……」
「人なんて結局、自分が経験したことしか心の底からの共感や理解は示せないわ。でも一人ひとり育ちも違えば能力も違う。感じ方も違う。価値観も違う。全部が一致するなんてまずありえない。つまり人が完璧にわかり合うなんて土台無理な話なのよ」
突き放すように、つやは淡々と言う。
それは真理ではあるのだろうが、思わず秀隆の背筋がぞっと寒くなる。
見た目は間違いなく八歳の女子だ。
まだ親が恋しい年ごろのはずなのに、まるで五〇年は生きているような、そんな達観ぶりである。
「だから、人間みんな、大なり小なり自分をわかってもらえない寂しさを感じている。そう、みんな、ね」
「人間みんな……ですか」
秀隆は猛烈に恥ずかしくなった。
この苦しみは、自分にしかわからない。
誰にもわかってもらえない。
わかられてたまるか!
どこかそういう悲劇に酔っていた自分を自覚したのだ。
皆が抱えてる悩みでしかないのに、さも自分だけが特別不幸なように感じていた。
相手から線を引かれていたのは確かだが、自分のほうからも線を引いていた。
わかってもらおうとしてこなかった。
今から思えば赤面ものである。
「ええ。でも、それは悪いことではないと思う。寂しいって感じるから、こうして会って話ができることが有難く楽しいのよ」
「なる……ほど……」
寂しいからこそ、人と会って話せることが有難く楽しい。
実に深い含蓄のある言葉だと思った。
つらさにばかり目がいってしまいがちだが、それが生み出す楽しさのほうにこそ目を向ける。
確かにそのほうが、日々の彩りが増すような気がした。
「ありがとうございます、姫様。蒙が啓けた気分です」
「え? そうなの? まあ、なんか参考になったみたいならよかったわ」
少し意外そうに目を真ん丸にしたあと、嬉しそうに微笑む。
その笑顔は年相応にあどけないのに、時折、人生の先達と接しているような感覚も覚える。
(これがスサノオの巫女か)
なんとも不思議な、しかしとても魅力的な少女だと思った。
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