第三九話 天文十一年三月上旬『鬼の困惑』

 戦いが終わったその日の夕刻、清州城の一室では、信秀と勝家が差し向かいで酒を酌み交わしていた。


「して、俺に何用でしょう?」


 コトリと盃を置き、居住まいを正して勝家は問う。


 わざわざ戦いが終わって忙しい中、自分一人を呼び出しての密談だ。

 重要な任務であろうことは容易に想像ができた。


「うむ、単刀直入に聞くが、つやのことをどう思う?」

「つや姫様のことを、ですか?」


 いぶかしげに、勝家はオウム返しする。

 なぜ自分に? と思ったのだ。


 所詮、自分は過去に数度、顔を合わせたぐらいだ。

 彼女の臣下にでも聞いたほうがよっぽど詳しいことが聞けそうである。

 とは言え、聞かれたことには答えねばなるまい。


「あの年であの智謀と胆力。正直、人のそれとはとても思えませぬ。何か人智を超越した神がかり的なものを感じます」


 正直に思ったことを言う。

 仮にも主君の妹君に対して過ぎた言葉だとは思ったが、どうにも嘘は付けぬ性分なのだ。


「そういうことを聞きたかったわけではないのじゃが、いや儂の聞き方が悪かっただけじゃな。そう答えるのが自然か」

「は、はあ」


 一人納得する信秀に、勝家はわけがわからず曖昧あいまいな相槌を打つしかない。

 いったい何が聞きたかったのか?

 改めて、先程の信秀の問いを考えてみるが、最初の答え以外が浮かばなかった。


「しかし、人とは思えぬ、か」


 苦笑とともに、信秀がボソリと言う。


「不快に思われましたのなら申し訳ございませぬ」

「かまわん、儂も同感じゃからな」


 フッと自嘲の笑みをこぼしてから、信秀は再びぐいっと杯をあおる。

 そして、ふ~っと大きく息をついてから、


「正直、儂はあやつが怖い。心底恐ろしい」


 眉間にしわを寄せ、厳しい表情で吐露する。


「…………」


 勝家は何も言えなかった。

 信秀の反応は、至極自然なものだったからだ。


 人は、常軌じょうきを逸したものに恐怖と嫌悪を覚える。

 勝家自身が、「鬼子」と呼ばれる存在であり、身をもって体験してきたことであった。


「味方であれば、これほど頼もしい者は他におらん。が、それは敵に回せば最強最悪の存在になる、ということだ」

「その通りではありますが、つや姫様にその気はないかと存じます」


 つやが織田弾正忠家にもたらした恩恵は凄まじいの一言だ。

 その彼女が信秀の敵対勢力に付けば、これほどの脅威はない。

 

 だが、二人は半分とはいえ血を分けた兄妹であるし、勝家が見る限り、仲も悪い風には見えない。それどころかむしろ親愛の情さえ感じる。

 しかも、信秀はつやの働きに報いて、恩賞も景気よく支払っている。

 彼女には、信秀を裏切る理由がないのだ。


「それぐらいわかっておる。じゃが、あくまで今のあやつには、だ」


 淡々と、しかし寒気のする声で、信秀は言う。


「今の、ということは、将来は変わる、とお思いで?」

「それは男次第であろうな。女は心底好いた男には甲斐甲斐しく尽くすものじゃ」

「……なるほど」


 ようやく、勝家は信秀の危惧を理解する。

 全ての女性が、とは思わないが、そういう女性が少なくない事は事実だった。


「その男が儂に反旗をひるがせば、あやつもそれに従う。そんな可能性もなくはなかろう?」

「まあ、それはそうかもしれませぬが……」


 なんとも仮定に仮定を重ねた話だとは思った。

 そもそも結婚とは家同士を結ぶためのもの、つまり仲良くするために行うものである。


 もちろん、妻の実家と矛を交えることになるなどという場合も、この戦国の世なくはないのだが、稀だ。

 加えて、その男につやが実家を滅ぼしてもいいとまで思えるほど惚れ込むかどうかも、また未知数である。

 勝家からすれば万が一もあるかないかぐらいの可能性だった。


「ゆえに、じゃ。あやつの婿には、儂が全幅の信頼を置ける者でなくてはならん」

「なるほど」


 これはもっともな話であった。

 万が一の可能性すら排除する。

 この用心深さこそが、一国を預かる大名というものなのだろう。


「ふっ、察しが悪いのう。じゃがその武骨さゆえに信じられる」

「は? まさ、か……」


 そこまで言われれば、さすがの勝家もピンときた。


「そのまさかじゃ。この一年、小姓として側に置いて見てきたが、貴様はまさに竹を割ったような気性の男じゃ。二心があればすぐにわかる」

「……確かに、腹芸は得意ではありませぬな」


 嘘をつこうとすればどうにも言葉がぎこちなくなる。

 なんとかついたところで、顔にこそあまり出ないが、おそらく挙動不審になるだろう。

 そういうはかりごとには向いてないのは、自分でもよくわかっていた。


「うむ、そんな貴様だからこそ、つやを任せられる」

「っ! ありがとうございます!」


 勝家は思わず前のめりに、感極まった声で礼を述べる。

 もちろん、つやと結婚したかったわけではない。

 不世出の傑物であり、その人柄も好ましいと感じているが、つやはまだ八歳の子供である。


 勝家が感極まったのは、鬼子とまで呼ばれ、周りから忌避されてきた自分にそこまでの信を置いてくれた。そのことに尽きた。

 嬉しさに目頭が熱くなってくる。

 家族にまで忌み恐れられた勝家には、生まれて初めての経験だったのだ。

 一生この方についていこう。心からそう思った。


 と同時に、信に報いるためにも、この方の妹君を心から愛そう、と。

 浮気などせず、側室もおかず、つやだけを愛そう、と。

 

「とは言っても、結婚相手を選ぶ権利は、あやつにある。それがあやつが一番望む褒美じゃったからな」

「はい?」


 覚悟を決めたところで、そんなことを言われる。

 正直、言っている意味がわからなかった。


 これは勝家を責められない。

 この時代、結婚とは家と家の結びつきであり、家の当主同士が決めるものだからだ。

 そこに本来、当人の意思が介在する余地などないのが普通だった。 


「一度認めてしもうた以上、今さらそれを撤回するわけにもいかぬ。だからなんとしてもあやつを口説き落とせ」

「は、はあ……そう言われましても……」


 なんとも返事に困った勝家である。

 武芸一筋で、女の扱いなどまったく覚えがない。

 ろくに話した記憶もない。

 あげく婚約者にも怯え逃げられた始末だ。


 そんな自分に、今この尾張で最も注目を集め、相手など選び放題な女性を落とせ?

 無理難題もいいところであった。

 さりとて、主命は果たさねばならぬ。

 ただただ途方に暮れるしかない勝家であった。

 

 

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