第三二話 天文十一年三月上旬『清州の戦いその参』

「さすが主君を暗殺する卑劣漢、正々堂々と戦う性根は持ち合わせておられないようね! こんな弱虫の家来をしている清州衆の方々が不憫ふびんでなりませんわ~」


 ことさら馬鹿にした口調で、適当に思いついた言葉をわたしはメガホンを通して清州城に向けて放っていく。


 結構楽しい。

 新年の時には変な因縁つけられたしね。

 その仕返しである。


「今ごろ布団でもひっかぶってガタガタ震えているのかしら? それともお母さんのおっぱいでもしゃぶってる? どっちにしても武士とは呼べませんわねぇ。おーっほっほっほっほっ!」


 興が乗ってきたので、悪役令嬢風の高笑いをしてやる。

 ああいうプライドが高そうな男は、こうやって嘲笑されるのが一番効きそうだし。


 って、ちょっと、じぃ、なにドン引いてるのよ!?


「……わかっていると思うけど、演技よ、演技! これをわたしの本性とか勘違いしないでよ?」

「わ、わかっておりますとも」


 ぶんぶんと首を縦に振ったものだけど、本当かしら?

 う~む、これ以上やると、わたしにもダメージが来そうだなぁ。


 今さらそれで婿が逃げちゃうなどと怯えることはないのだが、変な風評を立てられてヒソヒソ話されるのも楽しくはない。

 さて、どうしよう?

 そう思った矢先のことだった。


「姫様! 城門が開きますぞ!」

「あら」


 じぃの言葉に振り返ると、ゆっくりと城門が開き、その奥にはずらりと鎧を着た足軽たちが並ぶ。


 グッドタイミング!

 我慢しきれずに打って出てきたらしい。


 ぶぉぉぉぉぉぉっ!


 敵陣より一本の矢がけたたましい音とともにこちらへと放たれてくる。

 鏑矢かぶらやである。

 源平合戦の頃は合戦前にこれを放つのが作法だったらしいけど、この戦国期には廃れて久しい。


 そんだけわたしの臆病者扱いが気に障ったんだろうなぁ。

 正々堂々、真正面からぶちのめしてやるという意思表示といったところか。


 まあ、あっちのほうが明らか人数は多いんだけど、その辺は目をつむってやろう。

 こちらとしてもそれは望むところだしね。


「「「「「おおおおおおっ!!」」」」」


 次いでときの声とともに、清州勢がこちらへと押し寄せてくる。

 ざっと見た感じ二〇〇~三〇〇人はいそうである。

 よしよし、けっこう釣れたな。


「姫様、敵は見事にこちらの術中ですぞ。退きましょう」

「いえ、まだよ」


 じぃの進言にわたしは首を横に振る。


 もちろん、手勢五〇人で信友軍を相手どろうなどとは考えていない。

 勝てるわけがないしね。


 煽っておいてなんだけど実は戦う気などさらさらなく、信友軍を城から打って出てこさせたら、とっとととんずらするのが当初からの予定である。

 そして後方で必勝の陣を敷いている信秀兄さまの本隊のところにまで敵を誘導し袋叩きにする。

 いわゆる島津家のお家芸『釣り野伏』、それが今回のわたしの策だった。


 だから最終的に退くのは全然いいんだけど――


「すぐに逃げたら策と怪しまれるわ。応戦する素振りぐらいは見せておきましょう」


 罠だとバレたら、台無しもいいところだからね。

 魚がつついたぐらいで竿を引いては逃げられてしまう。

 竿を引くのはちゃんと食いついてから、だ。


「はははっ、初陣だというのにその冷静さ、頼もしいを通り越して末恐ろしくすら感じますぞ」

「それほどでもないわよ」


 じぃは手放しで称賛してくれるけど、わたしは淡々と返す。正直ちょっと居心地悪い。

 だって初陣じゃないしね。

 三度目にもなれば、そりゃこれぐらいでおたつかないっての。


「馬廻り隊! 矢を射かけなさい」


 扇で指し示すと、敵陣に向けて矢を射放たれる。

 数はたった七本と少ないけど。


 仕方ないじゃない、弓って結構習得まで時間かかるのだ。

 うちでは使える人が少ないのである。


 そのうちクロスボウとか作ったほうがいいのかしら? でもすぐに鉄砲が入ってくるしなぁ。

 まあ、いいや。そんなことは後で考えよう。


「その調子でじゃんじゃん撃ちなさい!」


 わたしが号令をかけるまでもなく、我が陣営からは次々と矢が射放たれていく。

 火縄銃やクロスボウとは違い、連射性があるのが弓の最大の長所である。


「「「「「うおおおおおっ!!」」」」」


 だが、清州勢はまったく怯むことなくこちらに突っ込んでくる。

 いや、むしろ勢いを増してるかも。


 地面に水平に射たものでもなく、斜め上に射てなんとか届かせてるような矢だ。数も少なく防ぐのは造作もないことだろうし、当たったところで致命傷にもなりにくい。

 清州勢からしたら大したことないと思ったことだろう。


「こんなもんね。皆、退却するわよ! ほら周りにも伝えて」


 普通はこういう時は銅鑼を鳴らすもんなんだけど、今回はちょっと考えがあってあえて鳴らさない。

 一万を超える大軍勢とかならともかく、五〇人程度なら伝言ゲームでもすぐに指示は行き届く。


「う、うわああああ!」

「ひいいいいいっ!」

「こんなん勝てるわけねえだろぉ!」


 途端、自陣から悲鳴が巻き起こり、だだっと人が駆けだす音が響き始める。


 もちろん、演技である。


 う~ん、所詮素人だからちょっと棒読みくさいなぁ。

 でも、実際に敵は迫ってるし、多少は恐怖の感情が声に乗っている。

 とりあえずは及第点かな。


「こらー! 逃げるなーっ! 敵は目の前よ、戦いなさい!」


 メガホンを通して、わたしは声を張り上げる。

 だが、兵たちの撤退は止まらない。


 そりゃこれまた台本通りでしかないしね。

 兵士たちには前もって、わたしはそういうことを言うけど、無視して武器を捨ててとっとと逃げなさいと強く強く言い含めてあるのだ。


「戻りなさい! 戻りなさいったらー! ……さて、こんなもんかしらね」


 必死に慌てた声から一転、メガホンを離して素の口調に戻る。

 うん、我ながらアカデミー賞物ではなかろうか。


 清州勢も怪しむ様子もなく、どんどん距離を詰めてきている。

 これ以上はさすがに危険だろう。


「じぃ、退くわよ!」


 言いつつ、わたしは輿から、隣のじぃの愛馬へと移動する。

 この輿はここに捨てていく予定である。

 さすがにこれじゃあ速く移動できないからね。


 さらに言えば、こんな豪奢な代物・・・・・が乗り捨てられていれば、信友はきっとよっぽどわたしが慌てて逃げたと思うことだろう。

 彼を釣って信秀兄さまのところまで誘導できるかどうかが、この作戦の肝と言える。

 そのいい撒き餌になってくれるはずだ。


「では、ゆきますぞ、姫様」


 じぃが愛馬を回頭させ、一気に駆けさせる。


 こうしてわたしの初陣は、敵とほこを交えることもなく戦線を維持できず撤退という、なんとも不名誉なものとなったのだった。

 男だったらまあ、恥ずかしくて外歩けないかもね。

 でも、わたしは女だし全然問題はない。


 さぁて後は仕上げを御覧じろ。

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