第三一話 天文十一年三月上旬『清州の戦いその弐』織田信友side

「逆賊! 織田信友ぉっ!!」

「な、なんじゃ、この声はっ!?」


 突如、呼びつけられ、織田信友は寝床から思わず飛び起きる。

 外はまだ薄暗く明け方のようである。


「俺を呼び捨てにしたのはどいつだ! 無礼者が!」


 パァン! と勢いよく障子戸を開けるも、そこにいたのは護衛の兵士たちのみである。

 女の姿はどこにもない。


「今の声はいったい……」

「わたしは織田信秀が妹、織田つやである!」

「つ、つやだぁっ!?」


 そういう名の信秀の妹には、何度か会ったことはある。

 だが、まだ髪結いもしていないガキだ。

 正月の時には生意気な口を叩いたので、ちょっと軽く仕置きしてやりもした。

 それがいったい……!?


「織田大和守家は代々守護代を任された身にありながら、主家である武衛様を討つなど不届き千万! 私欲に溺れ天道に背くその罪、断じて許し難く! 天に成り代わり成敗に参りました! さぁ、いざ尋常に勝負なさいっ!」

「ぐぬぅっ! ええい、この不届き者を即刻俺の前に引っ立ててこい!」


 好き勝手にこき下ろされ、元々短気でもあった信友は一気に激昂する。


 かなり遠くから響いている感じはするが、そんなことは彼にとってはどうでもよかった。

 重要なのは、この感じからして、まず間違いなく清州の城下町の連中もこれを聞いているであろうということである。


 女ごときに馬鹿にされるなど、それも大勢の前でなど、彼の面子ぶち壊しである。

 面子こそ武士にとって最も大事だというのに、だ。

 到底許せるわけがなかった。


「も、申し上げます!」


 そこに若い男が駆けこんでくる。

 正直今はそれどころではなくうっとうしいと思ったが、無視するわけにもいかない。


「何事だ!? 今は忙しい。くだらんことなら……」

山王宮さんのうぐうのほうより、ざっと五〇人ほどの武装した兵がこちらへと向かってきております!」

「な、なにぃ!? まさか、女のガキはいたか!?」

「女……え、ええ、確か先頭の辺り輿に乗ったとても艶やかな身なりのおなごがおりました」

「それだ!」


 なんでもつやは素戔嗚尊の加護を受けたとかで、織田信秀に特別寵愛され、千貫以上ものの領地を与えられたと聞く。

 人数的にはちょうど計算が合う。


「ふん、信秀に認められちょっとばかり兵を得て、舞い上がりおったか小娘! その思い上がり、すぐに正してくれる! 城内に陣触れを出せ!」


 信友はバッと手を振って声を張り上げる。


 清州城は今は多少落ちぶれたとはいえ尾張守護、そして守護代のお膝元である。

 平時であろうと三〇〇人ぐらいの兵は詰めている。

 五〇かそこらの敵勢など物の数ではない。

 間違いなく鎧袖一触で踏み潰せるはずだ。


「わ、若殿、お待ちください。この大音声、面妖極まりない。何かの罠やもしれませぬ」


 家来の一人がそう諫めようとするも、


「ま~だ~? 女を待たせるなんて、やっぱり無粋な男ねぇ。それとも女相手に怯えて縮こまってるのかしらぁ!? 器も小さければ肝っ玉も小さい男ねぇ。ぷ~くすくすくす!!」

「あんなものを捨て置けるものかぁっ! そのほうが物笑いの種よ!」


 割り込んできたつやの煽りに、再びプッツンする。


 彼は極めて短気な人間ではあったが、この時代においてはことさら彼の判断が間違っているとも言い難い。

 時は戦国乱世、舐められることはすなわち、求心力を失うことにつながる。求心力を失えば、他家に取って代わられる。


 女の幼子に好き放題言われて城に縮こまっていた臆病者。

 そんな風聞を立てられようものなら、一生その件で陰口を叩かれかねない。

 戦となっても、臆病者より信秀様に付いたほうが賢明よ、となるのが落ちである。

 断じて放置するわけにはいかなかったのだ。


 そして当然、そこまで計算した上でのつやの策である。

 そもそも、そういう理屈を抜きにしても小さな女の子にコケにされて、黙っていられる男でないことは、正月にリサーチ済みである。

 信友ならば一〇〇%引っかかる。

 その確信が、つやにはあったのだ。


 攻城戦は攻め手の被害も大きくなるし、なにより長期戦になりがちだ。できればそれは避けたいところである。

 まさにつやの狙い通りに、織田信友は城外へとまんまと釣り出されたのだ。

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