第三〇話 天文十一年三月上旬『清州の戦いその壱』

「姫様! 姫様! 起きてくださいませ!」

「ん、んん?」


 じぃの声に、わたしはまどろみから覚める。

 もそもそと起き上がり、とりあえず前すだれを上げると視界はほとんど真っ暗で、じぃの顔もなんとか輪郭が確認できるといった程度である。


 って、さむさむぅっ!?

 位置がバレるわけにはいかないから焚火もできず、服を何枚も何枚も着込んでいるのだけどそれでもめちゃくちゃ寒い!

 まあ、三月とは言え、真夜中。しかも今、地球はちょうど小氷河期時代。

 そりゃ寒いかぁ。


 この時代の人たちはこんな寒い中で、よく大した防寒具なしで外で寝られるもんだよ。

 男同士でぎゅうぎゅう詰めになって寒さをしのぐっていうんだから、実に大変なことである。


「先程、那古野より早馬が。御館様が那古野を出陣なされたとのことです!」

「そう、じゃ、頃合いね。皆を起こしなさい」


 わたしは立ち上がり、命令を飛ばす。

 わたしとその手勢五〇名は那古野ではなく、別動隊としてまったく別の場所に待機していた。


「みな起きておりますわい。こんな時にこんな所で堂々と熟睡できるのは姫様ぐらいのものです」


 じぃが苦笑をこぼす。


 今、わたしたちがいるのは清州山王宮日吉神社。

 創祀して実に八〇〇年近くになる由緒正しい神社であり、武衛様の仇である織田信友がいる清州城まで徒歩一〇分ほど、まさに目と鼻の先の場所だった。


「やはり姫様の肝には毛が生えてらっしゃりますな。それもぼうぼうに」

「その表現は女の子にするものではないと思う」


 いくらわたしでも、さすがに不服である。


 単に、前々世での岩村城での数ヶ月に及ぶ籠城戦で、オンオフの切り替えを身をもって学んだだけである。

 息を抜くべき時は息を抜く。眠れる時は眠る。食べれる時は食べる。

 それができなければ、どんどん消耗してしまう、と。


「ふはは、これは失敬。ですが、心より感嘆したのは本当です。まったく頼もしい限りですわい」

「ありがと。まあ、起きてるなら話が早いわ。こっからは堂々と行くわよ」

「はっ。ご随意に」


 早速わたしたちはかがり火を焚いて、清州城へと行軍を開始する。


 そういえば、前々世での夫、秋山虎繁は、秋山信友って名乗ってた時もあったんだよなぁ。

 前々世での初陣も敵は『信友』で、今回も『信友』か。

 奇妙な縁もあったものである。

 

 ちなみに私が乗るのは、ちょっとした作戦もかねて四人で支える輿である。

 金銀や漆などで装飾を施された豪華な代物で、特別に信秀兄さまから貸してもらったものだ。

 着ている服は織田家の家紋をあしらった、赤を基調にした豪華絢爛な十二単。

 あえて鎧ではないのは、とある策を実行するには女であることを強調したほうが都合がいいからだ。


 織田弾正忠家ってのは美形揃いで、わたしもそこそこ見目が整ってるらしく、結構、かわいいかわいいと皆から褒めてもらった。

 ちょっと照れ臭いけど、ま、たまにはこうやって着飾るのも悪くないかもね。

 わたしもまあ、一応は女ってことなんだろう。


「ふふっ」


 愛馬でわたしの輿に並走するじぃが、不意に笑みをこぼす。


「どうしたの? いきなり笑ったりして」

「いや、此度の策、実に姫様らしいと申しますか、我ら男には到底考えつかぬものでしたからな」

「そう? 別にどこにでもある策だと思うけど?」


 きょとんとわたしは問い返す。

 今回のわたしの提案した策は、戦国時代に実際に行われた作戦の焼き直しである。

 まあ、わたしなりにちょこぉっとアレンジ加えたけどさ、そんな大したものでもないと思うんだけどなぁ。


「いやぁ、初陣でこんなことをやろうなんて言い出すのは、後にも先にも姫様ぐらいのものかと。男には面子というものがございますれば」

「ふ~ん、そんなもんなんだ」


 あんまりピンとこず、わたしは曖昧に返す。


 男ってのも、随分めんどくさいのねぇ。

 確かに戦国時代の武士って、二一世紀からは考えられないほど面子を気にするもんなぁ。

 でもわたしからすれば、そんなよくわからない面子なんかより、勝ててかつ被害が少ないほうがはるかに重要なのだ。


「おっ、空が白ばんで参りましたな。どうやらあちらさんは随分とこちらに興味津々のようだ」


 じぃの言う通り、いつの間にか空が暗い水色となっていて、視界に清州城の惣構えが姿を現わしていた。

 堀と土塁がぐるっと城下町を囲み、その中にいくつかそびえたつ物見矢倉では、当番と思しき兵士たちがこちらを見て慌ただしくしている。


「こちらに気づいたのなら、好都合ね。じゃあここらで一発かましてあげるとしますか」


 そういってわたしが口を寄せたのは、長さ一メートルはあろうかという円錐型の青銅製の筒である。

 さすがに幼児に持ち上げられる重さではないので支え付き。


 戦場では声を張り上げることはしばしばあるが、さすがに肉声で大声を張り上げてたら喉が潰れるので、加藤順盛さん経由で鋳物師に作ってもらっておいた青銅製のメガホン・・・・である。。

 備えあれば憂いなし、だ。


「みんなー、一応、耳ふさいでてねー」


 メガホンを通してわたしは注意を述べ、すうっと大きく息を吸い込み、


「逆賊! 織田信友ぉっ!!」


 メガホン越しにわたしは思いっきり叫ぶ。


 びりびりびりっと空気が揺れるのが、自分でもわかった。

 物見矢倉の兵士たちもびくっと身体を震わせるのが見えたので、きっちり声は届いたっぽい。


 除夜の鐘などを思い出してもらえばわかりやすいが、青銅という金属は音をけっこう響かせる性質がある。

 実験では一〇町(約一・一キロメートル)先まででも軽く声を届かせることができたし、この調子なら町中にも十分響いただろうし、織田信友の耳にも届いているだろう。


 しかし、つくづくアイディアってのはちょっとした発想の転換だね。

 わりと大声を出す時みんな口に両手を添えてたりするし、寺の鐘だって青銅製ばっかなのに、戦国時代のだーれもこれ思いつかなかったんだもんなぁ。

 使いどころけっこうあるって思うのに。


 おっと、そんなことよりまずは口上か。

 きっちり大見得切ってやらないと、ね。


「わたしは織田信秀が妹、織田つやである! 織田大和守家は代々守護代を任された身にありながら、主家である武衛様を討つなど不届き千万! 私欲に溺れ天道に背くその罪、断じて許し難く! 天に成り代わり成敗に参りました!」


 武衛様をモブキャラ扱いしていた自分がどの口で言うのかと我ながら思ったのだけど、こういうのは大義名分が大事だからね。


「さぁ、いざ尋常に勝負なさいっ!」


 どこからどう見ても、まぎれもない宣戦布告である。

 今ここに清州の戦いが幕を開けたのだった。


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