第二七話 天文十一年三月上旬『風雲急』
斎藤利政の国盗りからはや一月。
尾張国は表面上は平和ながらも、伝え聞くところによれば裏では策謀が渦巻き、色々な人が忙しなく走り回っているそうらしい。
大変ご苦労なことである。
だが、そんなことはわたしには関係のない話。
今日も今日とて、新しい発明品の構想を又右衛門に語り、「いやぁ、いい仕事したわ~」っと気分よく縁側で日なたぼっこしながらごろ寝していたのだが、
「姫様。先触れが参りました。信秀様がおいでになられるとのことです」
かくも無惨に穏やかな時間は打ち砕かれる。
信秀兄さまのことは決して嫌いではないんだけど、圧が強いから接してると疲れるのよねぇ。
しかもあっちからこっちに来るなんて、もう面倒事の気配しかしないんだけど。
まあ、会わないわけにもいかないか。
「わかったわ。じゃあ、ゆきはおもてなしの準備をよろしく。はるはわたしの準備手伝って」
「「はい」」
実の兄とは言え主君は主君、粗相はできないしね。
しばらくして。
「おう、つや。久方ぶりじゃな。元気しておったか」
信秀兄さまが到着する。
「いらっしゃいませ。信秀兄さまもご健勝のようでなによりです。どうぞお入りください」
早速、わたしは普段あまり使わない屋敷の広間に案内する。
一二畳ぐらいの部屋の中で、北側の上座が一段高くなっており、花瓶に花や、掛け軸が飾られている。
いわゆるここが御座所、主君が座る場所である。
普段はわたしが家来たちを相手にする時に座るんだけど、今日はもちろん信秀兄さまが上座でわたしが下座である。
「ふむ、貴様の新居に来たのはこれが初めてじゃが、なかなか良い屋敷ではないか」
上座に腰掛け、信秀兄さまが言う。
わたしもその対面に正座し、頭を下げる。
「ありがとうございます。全て信秀兄さまのおかげです」
あながち嘘ではないのよね。
土地は信秀兄さまからもらったものだし。
建築費用もけっこう信秀兄さまからもらったものから捻出してるし。
まあ、それに見合うだけの利益も提供できてると自負してるけど。
「それで、わざわざわたしのところまでおいでになるとは何用でしょう?」
「なに、先程まで清州城にいたのでな、その帰りに寄っただけよ」
清州城……ね。
やっぱりか。
くだんの斯波義統に織田達勝がいるところである。
「その様子だとうまくいったみたいですね?」
ふふっとわたしは笑みをこぼしつつ言う。
信秀兄さまったら、すでに口元がニヤついているのよね。
「うむ、今日、御前会議にて皆の前で養子の件と守護代の件、表明してもらったわ」
「おおっ、おめでとうございます!」
「うむ。貴様の策、ずばりハマったわ。その場は達勝殿に持ち帰って検討すると逃げられたが、武衛様にお心を皆の前で語ってもらったのは大きい。後は時間の問題じゃな」
うむうむとあくどい顔で信秀兄さまが頷く。
わたしも一安心である。
織田大和守家はまさに織田弾正忠家にとっては手を出しにくい目の上のたんこぶにして、旗色が悪くなれば攻めてくる実に厄介な連中だ。
今のうちにきっちり弱小化させておけるなら、それにこしたことはない。
「まあ、そっちはうまくいったのじゃが、もう片方が少々難航しておる」
それまでの喜色から一転、信秀兄さまは脇息(腕置き)に頬杖を突き嘆息する。
もう片方って言うと、斎藤家との同盟の件か。
「ちょっと意外です。斎藤家の状況を考えれば、飛びついてくると思ったのですが」
「ああ、そちらは何の問題もない。娘を差し出すとも言ってきおった」
「娘を……ということは婚姻ですか。どなたとです?」
「嫡男の吉法師じゃ」
ですよねー。
出来れば違う答えを期待したんだけど、もうそういう運命なのだろうなぁ。
これで斎藤道三が信長の後見人か、痛いなぁ。
でも、織田家としては今後起きうるであろう松平家、その先にある今川家との戦いを考えると、北の斎藤との同盟はマストなので、これはもう仕方がないと割り切るしかない。
「なるほど。で、何が問題なのです?」
とりあえず私情を捨て、冷静さを装いつつ話を進める。
「武衛様だ。後、
「なにゆえ、でしょう?」
「面子だ。守護を
「あ~……」
まあ普通に考えて、守護の斯波義統様からしたら、同じく守護の土岐頼芸が追放されるのは、対岸の火事とは言え気分はよくないわよね。
史実の時は織田家、ひいては斯波家滅亡の危機だったからとか、土岐氏追放から時間が経っていたということもあり、とんとん拍子に進んだんだろうけど、今の尾張は上り調子だからなぁ。
その辺はちょっとわたしの計算違いだったみたいだ。
やっぱり机上の空論は机上の空論、か。
けっこういい案だと思ったんだけどなぁ。
「そこで我が織田弾正忠家単独で、斎藤家との間で婚姻を結ぶ方向で話が進んでおる」
「へ? 単独で、ですか」
「うむ、守護の斯波家としては、斎藤利政の国盗りを容認するようなことは絶対にできん。抗議声明もきっちり出す。その上で、いちいち家臣の家臣が勝手に婚姻を進め結ぶ事にまで関与していない。知らぬ存ぜぬという体じゃ」
「斎藤家にしてみたらかな~りふざけた申し出になってる気がするんですけど、大丈夫なんですか?」
その盟約では、織田弾正忠家はともかく、斯波家や守護代の織田氏二家の行動をまったく制限していない。
斎藤利政が何か隙を見せたり、情勢がそういう流れになれば、これら三家は容赦なく美濃に攻め込む事もあると言っているようなものだ。
そんなものはもはや同盟でもなんでもない。
「ああ、先方もそれでいいとのことだ。ただし、娘婿となる吉法師を預かりたいと言ってきおった。国盗りのほとぼりが冷め、ちゃんとした同盟を結ぶ日まで、な」
「人質、ですか」
まあ、相手は美濃のマムシとまで言われた人物である。
そこまで甘いわけはないか。きっちり最重要のポイントは押さえてくる。
大事な跡取りを人質に取られては、信秀兄さまも必死に他の三家の暴発を抑えざるを得ない。
「それで、受けるのですか?」
「……そうだな。それもやむなし、といったところだ」
その顔には苦渋がありありと浮かぶ。
なんだかんだ吉法師(信長)のことが可愛いのだろう。割り切れなさが滲む。
史実を見ても、信秀兄さまは子供に対して情を捨てきれないところがある。
国主よりも、親になってしまう、というか。
三河攻略の要ともいえた人質の家康を、長男信広を助けるために解放したり。
四男信行にも、末森城を与え信長と同等の所領と権利を与えていたり。
かといって信長を廃嫡もせず、那古野城主に据え置いている。
そして、その子供への分け隔てない愛情が、しかし信秀兄さまの死後の尾張を混乱させた側面があるのもまた事実だった。
(それにしても、また信長に恨まれることになりそうね)
今回の斎藤との同盟、わたしが発案者なのだから。
どうやらつくづく今世のわたしと信長は険悪になる運命にあるらしい。
いや、わたし個人としては、信長と斎藤家の縁が深まるのは、避けたいところではあったんだけどね。
できれば信行あたりと縁をつないでほしかった。
だが織田弾正忠家としては、ここで斎藤家と縁組するのはマストではあるんだよなぁ。
北と東に強敵を抱える状況はあまりに危険すぎる。
守護代も内定したし、とりあえずはこれで信秀兄さまの政権運営も安定かなとほっと安堵したその時だった。
「信秀様ー! 信秀様はおいでになられますかっ!?」
突如、大声とともに庭に騎馬が駆け込んでくる。
戦国時代と言えど、屋敷の前で下馬をするのが礼儀である。
そうじゃないところに、事態の緊急性があった。
「どうした!? 何事じゃ!?」
信秀兄さまが障子を開け怒鳴る。
それに気づいた騎馬武者が、慌てて馬を降りその場に膝を突いて叫ぶ。
「織田信友様が謀反! 清州城内の武衛様の屋敷を急襲、武衛様はあえなく討ち取られたとのことです!」
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