第二五話 天文十一年二月上旬『密談』

「つや、貴様に残ってもらったのは他でもない」


 会議も終わり、先程の部屋で二人っきりになったところで、信秀兄さまは口を開く。

 残れと告げられた時、な~んか嫌な予感がしたのだが、断るわけにもいかない。


 でも、けっこう疲れるんだよなぁ、信秀兄さまの相手って。

 優秀な人でもあるから、なんか見透かされてるような気がするし、何聞かれるのかとか、ぼろが出ないかとか、すっごく緊張してしまうのよね。


「まだわしに言っておらぬ神託があるのではないか?」


 ほら来た!

 ほんと鋭いんだよなぁ、信秀兄さまは。


 まあ、そういう人だからこそ、ここまで成り上がれたんだろうけど。

 現代知識でチートしているわたしとは違う、本物の傑物なのだ。


「あります。ただ決して黙っているつもりはなく、折を見て話すつもりではありました」

「良い、わかっておる。信じてもらえぬとでも思うたのだろう?」


 その言葉に、わたしはほっと安堵の吐息をつく。

 とりあえず黙っていたことを責めるつもりはないのは助かった。

 わたしは頷き、


「はい、信を得てから話したほうがいいだろう、と」

「安心せい。もう貴様の言は信じざるを得ん」

「ありがとうございます」

「よって、もう隠し事はなしじゃ。全部ここで吐いていけ」


 ジロリとねめつけられる。

 事ここに至っては観念するより他になさそうである。


「わかりました。では……来年、種子島なる恐るべき兵器が南蛮よりもたらされ、瞬く間に日本全国に広まり、戦というものを根底から変えるでしょう」

「ほう、どのような武器じゃ?」

「雷のごとき轟音とともに、矢よりも速く小さな鉛玉を飛ばします。威力も凄まじく、鎧ごと人を撃ち抜きます」

「なんと……そのような物が出回るのか。恐ろしい世の中じゃな。なるべく早くに導入したほうがよさそうじゃ」

「はい。数年のうちに堺に出回っているはずです」

「なるほど、では来年初めには堺に人をやっておくか」

「良きお考えかと」

「ふむ、他には何かあるか?」

「そうですね、パッとはなかなか思いつきませんが、ああ! 天文一三年八月に、松平長親まつだいらながちかが亡くなります」

「っ!? あの老いぼれめ、やぁっとくたばるのか!」


 信秀兄さまはにぃっと犬歯を剥き出しにして、獰猛な笑みを浮かべる。

 獲物が弱るのを手ぐすねを引いて待っていた、そんな顔である。


 松平長親――

 三河(愛知県の東部)を支配する松平家の最長老である。

 現当主、松平広忠の曾祖父(つまり家康の高祖父)に当たり、名将と名高い人物だ。

 あの北条早雲ほうじょうそううんを二度にわたって撃退した、と言えばどれほどのものかわかるだろうか。


 そんな戦上手が現在も広忠の後見人としてかくしゃくと周辺に睨みをきかせているのだ。

 三河攻略を進める信秀兄さまにとっては、まさに目の上のたんこぶと言える存在だったようで、前々世では彼が亡くなったと報を聞いた時には、小躍りしていたのを子供心に覚えている。


「天文一三年ならば……二年半後か」

「はい、その二年半は周辺の調略に力を入れるが肝要かと存じます。松平宗家当主、広忠は未だ一七歳と若く、才気も父に及ばず。こちらになびく者も多いはず」

「それも神託か?」

「左様にございます」

「神託なくとも採用したくなる良き策だ。あるのなら、なおさらだな」


 信秀兄さまはうむうむと頷く。


 わたしとしても採用してくれるなら有難いことである。

 戦なんてないにこしたことはないが、今は戦国時代。それは無理な話だ。

 ならば、流れる血が少ないに越したことはない。


「しかし……二年半後か。長いな。すっかり斎藤と一戦交えるつもりで準備していただけに、肩透かしもいいところよ」


 やれやれと嘆息する。


 信秀兄さまは、一代で一介の家臣から尾張を支配し、西三河にまでその勢力を伸ばした男である。野心家でないわけがない。

 狙っていた獲物を直前で取り上げられたのだ。

 色々思うところがあるのだろう。

 その姿はまさに、腹を空かせた肉食獣のようである。


 ……ふむ。

 少し考えて、わたしは口を開く。


「でしたら……守護代になり替わる、というのはいかがでしょう?」

「なっ!?」


 わたしの提案に、さしもの信秀兄さまも驚きたじろぐ様子を見せた。

 無理もない。

 現守護代の名は、織田達勝みちかつ

 正月の折、わたしに因縁をつけてきた信友の義父であり、形式上は信秀兄さまの主君でもある。

 つまりわたしはこう言っているのだ。


 下剋上をせよ、と。

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