第二四話 天文十一年二月上旬『歴史の転換点』

「失礼します」


 その部屋は、異様な雰囲気に包まれていた。


 空気が、重い。

 気の弱い者ならば、入った瞬間に腰を抜かしているかもしれない。

 わたしとて、前々世で岩村城の女城主なんてやってなかったら、「ひっ!」と悲鳴の一つぐらいはあげていただろう。


 ジロリと無数のむくつけき男たちの無遠慮な視線が、わたしに集まっていた。

 どなたも、何度か顔を会わせたことがある御仁である。


 織田弾正忠だんじょうのちゅう家当主織田信秀。


 信秀兄さまの弟で、つまりわたしの腹違いの兄でもある、犬山城主織田信康のぶやす


 同じく信秀兄さまの弟で、わたしの腹違いの兄、守山城主織田信光のぶみつ


 織田家筆頭家老、林秀貞はやしひでさだ


 同次席家老、平手政秀ひらてまさひで


 三番家老、青山信昌あおやまのぶまさ


 四番家老、内藤勝介ないとうしょうすけ


 佐久間一門の惣領にして御器所城主、佐久間盛重さくまもりしげ


 と、まさに織田弾正忠家の屋台骨ともいうべき重鎮たちが揃い踏みしていた。


 こんなところに呼び出して、信秀兄さまはいったいどういうつもりなんだろう。

 思いっきり場違いな気がするんですけど。

 実際、なぜここにわたしが来る? と訝しげに眉をひそめている人も少なくなかった。


「おお、来たか、つや。こっちへこい」


 上座に座る信秀兄さまが、自分の隣をバンバンと叩く。


 えええ……そこに行けって言うの? いやだなぁ。

 おもくそみんなの視線が集中する場所じゃないか。

 わたしは一番の末席で空気と化していたいんですけど。切実に。

 とは言えそういうわけにもいかず、


「……はい」


 わたしは覚悟を決めて返事をし、所定の場所に正座する。

 まったくいったい何事だろう。

 まあ薄々、あれだろうって検討は付いているんだけどね。


「よし、これで皆集まったな。先程、美濃国主である土岐頼芸ときよりあき殿がこの城に落ち延びてこられた。斎藤長政の下剋上にあって、な」


 ああ、やっぱり。

 わたしがこの場に大至急呼び出される理由なんて、それしかなかったし。

 ただ、冷静に受け止められたのはわたしぐらいだったようで、


「なっ!? 土岐殿が!?」

「なんと……逆賊が勝つとは、これも乱世の定めか」

「美濃がそんなことになっておったとは……」

「正直、言葉がでませぬ」


 皆一様に驚きを露わにしていた。

 二一世紀感覚で言えば、お隣の国で軍事クーデターが起きて、トップがすげ代わりました、だからね。

 そりゃまあ、確かに驚くよね。


「うむ、皆が驚くのも無理はない。だが、もっと驚くべきことがある。わしはこの事を昨年の夏ごろに耳にした。ここにおるつやの神託で、な」


 言って信秀兄さまがわたしの頭に手を置くと、一同からさらにどよめきの声があがる。

 だがそれは、眉間にしわを寄せていぶかしがる感じである。

 まあ、普通は信じられないわなぁ。


「貴様らの言いたいことはわかる。たいていの神託など所詮、当たるも八卦当たらぬも八卦じゃからな!」


 信秀兄さまが言いにくいことをあっさり喝破する。

 家臣たちの顔になんとも言えない苦笑いが浮かぶ。

 まだ神や迷信が身近なこの時代だから、それも当然か。

 この神仏に唾を吐くこともいとわない辺りは、やはりあの信長の父親だと思う。


「だが、つやの神託は違う。おぬしらも聞いたことはないか? パンケーキなる食べ物を、チーズなる兵糧食を、そしてプリンという至高の甘露を!」

「おお、どれも今、領内で話題の品々ですな。って、まさか!?」

「うむ、そのまさかじゃ。全てつやが素戔嗚より神託を得て作ったものじゃ」


 信秀兄さまが、ニヤリと口の端を吊り上げる。

 再び家臣たちの顔に驚愕が浮かぶ。


「な、なんと……っ!?」

「あれらを皆、おつや様が!?」

「ふふっ、驚くのはまだ早いぞ。秀貞!」

「はっ!」


 名前を呼ばれ、青年がずずいっと列より前に進み出る。

 三〇前でありながら、筆頭家老を務める林秀貞殿である。


「つやより託されたソロバンや聖牛の調子はどうじゃ?」

「どちらも素晴らしい代物にござります。ソロバンの導入により政務の捗り方が数段跳ね上がりました。聖牛も扱いが難しいですが、上手く使えば間違いなく洪水の被害を減らしてくれるはずです」


 二〇代で筆頭家老にまで上り詰めた切れ者の言葉は重みが違う。その場にいた皆がごくりと喉を鳴らす。

 信秀兄さまもうむと頷き、


「聞いての通りじゃ。つやの神託は他のまやかしめいたものとはわけが違う。極めて信の置けるものといえよう!」


 力強く断言する。

 あ~、うん、そうやってわたしの言葉を信頼してくれるようになったのは非常に嬉しいんだけどさ、こういう皆の前では照れるのでやめてほしい。

 恥ずかしくて身の置き場がない。


 わたしは裏でいろいろ画策するほうが好きなのだ。

 元が陰キャなので、表で脚光を浴びるのは心底苦手なのである。


「で、だ。つやよ」


 そこで信秀兄さまは声のトーンを落とし、わたしを真剣な目で見据え、


「神託には続きがあるのではないか?」

「っ!?」


 わたしは思わず驚きに目を見開く。

 そのわたしの顔で、すべてを察したのだろう、信秀兄さまはフッと自嘲気味に笑う。


「ただのカマかけではあったが、当たりのようじゃな。そして、あの時言わなんだのは、わしが負けるからか?」

「…………」


 一瞬、わたしは答えに窮する。

 さすがは一代で、一介の家臣の身から尾張を支配するまでになった人だ。鋭い。


「ふっ、これも当たりか」

「はい。その通りです」


 下手に隠し立てしても、ろくなことにはならない。

 負けるのが分かっている戦だ。

 このまま行けば、犠牲者も大勢でる。

 耳に痛い諫言をすることで不興を買うとしても、自らの保身のために黙っているなどできなかった。


「ふむ、試しに言うてみよ。わしはどのようにして負ける?」

「信秀兄さまは、まず越前の朝倉と組み、土岐氏の守護復権を大義名分に美濃を攻めます」


 二一世紀で学んだ歴史を思い出しつつ、わたしは言う。

 信秀兄さまもうなずく。


「ほうっ! やはり貴様の神託は怖いぐらい当たるのぅ。まさしくそれこそわしの腹案じゃった。で、その後どうなる?」

「最初のうちは大垣城を奪うなど、信秀兄さまが優勢に戦を進めます。が、斎藤利政はしぶとく戦線は膠着こうちゃく。やがて斎藤利政が美濃での地盤を固めるとともに勢いを盛り返し、最終的には信秀兄さまが大敗します。五〇〇〇の兵に、信康兄さま、青山殿も失う散々な結果でした」

「わ、わしが!?」「わたしがですか!?」


 その場にいた信康兄さまと青山さんが、揃って声を上げる。

 そりゃ当たるといわれた神託で、自分が死ぬといわれたら冷静ではいられないよね。


「それは……痛いのぅ」


 信秀兄さまも苦虫を噛み潰したような顔になる。


 信康兄さまは某ゲームには登場しないが、史実では政戦両面で活躍した、まさに信秀兄さまの片腕的な存在である。

 青山さんもこれまた某ゲームには登場しないが、三番家老という重鎮。


 まさに二人とも織田弾正忠家の支柱であり、他にも多くの名のある武将を失った斎藤家との戦は、織田家にとって本当に手痛いものだったのだ。

 だがこれはまだ、織田家衰退の序曲に過ぎない。


「話はまだそこで終わりません」

「まだあるのか!?」

「はい。その敗北に乗じて、東の松平、今川が動きます」

「むっ! 十分にあり得る話じゃな」

「はい。敗戦の痛手が癒え切らぬ信秀兄さまは今川にも大敗。西三河での権勢の全てを失い、北では大垣城も奪われ、尾張での求心力も低下、いくつかの謀反もあり、まさに四面楚歌の苦境に追い込まれます」

「むぅぅぅぅぅ」


 眉間にしわを寄せ、信秀兄さまはなんともいえない唸りをあげる。

 その場にいた家臣たちもまた、絶句していた。


 まだわたしが大人だったならば、推測の域を出ぬ! と反論の声もあがっただろうが、数えで八つ、満で六つの幼児体形の娘に言える言葉では絶対にないからこそ、逆に神の言葉だという信ぴょう性があるのだろう。


 重苦しい沈黙が、場を支配する。


「……スサノオからどうすればよいのかも聞いておるのか?」


 やがてボソリと信秀兄さまが問うてくる。

 少しわたしは考える。

 それはまさしく歴史のイフだ。わたしの知る由もないことである。


「そこまでは。ただ……」

「ただ?」

「わたしが観た神託では、二つの強敵に挟まれた信秀兄さまは、斎藤との和議を決心され同盟を結んでおりました」

「ふむ」

「ここからはわたしの私見ではございますが、泥沼の戦いを演じた後でも同盟が結べたのです。なら今からでも結べるでしょうし、そのほうが失うものもなく、北を警戒する必要性も薄れ、東に注力できてお得かと考えます」


 そう、これはあくまでわたしの私見ではあるが、けっこう的を射ている自信がある。


 斎藤利政――道三は、恐ろしい強敵だ。

 信秀兄さまも間違いなく傑物ではあるのだが、あの道三が相手では一段劣ると言わざるを得ない。


 一介の油売りの息子から美濃の大名にまで成りあがった男だ。

 わたしの現代知識を駆使したとしても、やはり苦戦は免れまい。

 だったら仲良くしたほうが得に決まってる。


 斎藤家にしたところで、尾張、三河、伊勢、越前、近江、飛騨、信濃と四方どころか七つの国と国境を面している。

 国内も国盗りしたばかりということで政情は不安定、隣国の信秀の後ろ盾と不戦の約定は、喉から手が出るほど欲しいに違いない。

 同盟が成る確率は極めて高いと見る。


 ちなみに史実では、信長と道三の娘濃姫との婚姻をもって同盟が結ばれたが、そこはあえてぼかした。

 あの婚姻は間違いなく信長の力になったと思うし、そこは出来れば削いでおきたいところだったので。


「ふぅむ……肥沃ひよくな美濃を諦めるのは惜しいが、二兎を追う者は一兎をも得ず、か。平手!」

「はっ!」


 呼びつけられ進み出たのは、次席家老の平手政秀である。


「聞いておったな? 斎藤との交渉は貴様に任せる。同盟の話、まとめてみせい!」

「はっ! かしこまりました。必ずやご期待に応えてみせましょう」


 言い切るその顔には、自信がみなぎっている。

 信長の傅役もりやくとして有名な平手政秀であるが、本来は織田家の外務大臣のような存在である。 

 すでにあらかたの事情は把握し、勝算が見えているのだろう。

 史実でも信長と濃姫の婚姻を取り付け織田家の危機を救ったのは彼だと言われている。

 彼に任せておけば安心だった。


 まあ出来れば、信長と濃姫の婚姻抜きで同盟結んでほしいけどね。

 その辺は運に任せるしかないか。


 まずはとにもかくにも、美濃攻略から始まる織田家衰退のきっかけを取り除くのが先決だった。

 信長がいなくても桶狭間に、今川に勝てるようにしなければならない。

 そうでなくては、信長を追い落としても織田家が滅亡してしまう。

 それはわたしの望むところではなかった。

 これはそのための布石と言える。


 この一手が、歴史にどういう影響を及ぼしていくのか、神ならぬわたしにはわからない。

 ただ確実に言えることは――


 歴史は今、その流れを大きく変えようとしている、ということだった。


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