第二三話 天文十一年二月上旬『気相の人』

「随分とあったかくなってきたわねぇ」


 縁側で日光浴しつつ、わたしはしみじみとつぶやく。


 正月に新領地を賜ってからはや一ヶ月が経とうとしていた。

 ちなみに旧暦(太陰暦)の正月は、二一世紀の新暦(太陽暦)では、年によって変わるのだが、一月下旬から二月中旬になる。

 だからそこから一ヶ月となると、新暦ではもう三月ぐらいであり、旧暦では二月でもけっこう春の気配を感じるのだ。


「まったくですなぁ。冬の寒さは老骨にはこたえるので有難いことですわい」


 居間のほうでは、じぃがずずずっとお茶をすすりながらうんうんと頷く。 

 二一世紀でも寒いと脳卒中とか心筋梗塞で亡くなる老人は多いからなぁ。

 新領地運営で無理もさせていたし、とりあえず無事、冬を越してくれそうでなによりである。


「そういえば、ここ数日は随分早く執務が終わるようになりましたね」


 空になった湯呑みに茶を再び注ぎつつ、はるが言う。


「まあ、若いもんもようやく使えるようになってきたからのぅ」

「じぃの指導の賜物ね」

「ふふっ、それほどでもありますわい」


 その豊かな顎ひげを撫でつつ、じぃは茶目っ気たっぷりに笑う。


 冗談っぽく言っているが、割とガチ目に彼は優秀な指導者だった。

 息子三人とも、それぞれ名を遺す武将に育て上げた手腕は伊達ではない。


 知識というものは、頭だけで理解しても、実践ではうまくいかないものだ。

 しかし、じぃは、


『この馬鹿者が! ……と言いたくなる気持ちはわかるが、逆にムカッとなって、注意を聞く気が失せるじゃろう?』

『一ヶ月の指導料として給金の半分を頂くぞ……な~んて言われたら納得できんじゃろう? 民も同じじゃよ』

『ありがとう。最近仕事が早くなってきたではないか。頑張っとるのう。……どうじゃ、嬉しかろう? 感謝や褒め言葉というものは心地良いものじゃ。相手と円満な関係を築くのには大事な事じゃぞ」


 などといったように、相手の感情をうまく引き出してから、だからこうしたほうがいいのだと教える。

 これが抜群に効果があるのだ。


 相手の身になって考える、というのは簡単なようで難しい事である。

 それを疑似的に自ら体験した直後に教えられるから、ストンとに落ちるのだ。


 人心掌握術として、とても参考になる。

 ほんと賦役を任されたのが彼で、本当に助かったわ。


「まあ、冗談はさておき、半分は牛一のおかげですな」

「へえ?」


 わたしは思わず目を丸くする。

 仕官当初は、牛一の無礼な物言いにけっこう声を荒げていた印象だっただけに、そんな風に評価するなんてちょっと意外だったのだ。


「あやつにちくちく正論で注意されたくないのか、皆、先回り先回りで仕事するようになりましたわい」

「まあ、そりゃあ、ねぇ」


 二ッと悪戯っぽく口の端を吊り上げるじぃに、わたしも思わず苦笑いをこぼす。


 ちらっと私も通りかかった時に耳にはしたが、牛一の言うことってだいたい正論で、人の痛いところをきっちり突いてくるからなぁ。

 しかもである。


『できない? 単にやる気がないだけでしょう? 前にも言いましたがね』

『前にも言いましたが言い訳はいりません。とにかくすぐに取りかかってください』

『間違いだらけですね。確認したんですか? ちゃんと見直ししてくださいと前にも言ったはずですが?』


 ってな感じで、事あるごとに「前にも言いましたよね」と付けるのだ。

 言葉も歯に衣着せないし、そのうえ、何度も指摘したぞ? ってのはプライドも傷つくしそりゃ嫌だよなぁ。


 まあ、でもだからこそ、言われないように皆も指摘された事は繰り返さないよう注意する。

 優しくやんわりと注意してほしいのが人情だけど、人ってやっぱそれだと行動を改める気にはなかなかなれないのよねぇ。


「んー、わたしとしては皆がきちっと仕事してくれて助かるんだけど、牛一は大丈夫なの?」

「まあ、皆から敬遠されてはおりますな」

「その辺は先の陳情で知ってるし、本人も覚悟の上なんでしょうけど、問題はこれよ」


 言って、わたしは自分の胸を手刀で斜めにズバッと斬ってみせる。

 すなわち、刃傷沙汰である。


 ここは平和な二一世紀ではなく、気性の荒い戦国時代である。

 恥をかかされた! ってだけで殺害に及ぶような事は、日常茶飯事なのだ。


「まあ、それも大丈夫じゃと思いますぞ」


 あっけらかんとじぃは言う。

 本当にあまり心配してなさそうである。


「そう思う根拠は?」

「二つあります。一つは先日の姫様の説教が、ずいぶんこたえたようで」

「あ~」

「儂もそばで見ておりましたが、あの迫力には圧倒されました。まるで今巴御前でしたぞ」

「フフッ、ありがとう。お世辞でもうれしいわ」

「いえ、お世辞ではありませぬぞ。割と本気で背筋が寒くなりましたわい」

「またまた~」


 じぃも冗談がうまい。

 巴御前は、木曽義仲の妻で、日本で女武者と言えば、いの一番に上がる名前だ。

 それに伍するとはお世辞としてもさすがに言いすぎだと思う。

 

 まあ、でも頑張った甲斐はあったかな。

 一発ガツンとかまさないと、とは思っていたので、それなりに効果があったのならなによりである。

 やっぱり上に立つ者として、締めるべきところはきっちり締めないとね。


「で、もう一つはなに?」

「最近は長近ながちかが間をうまく取り持っております」

「へえ、長近が?」


 わたしは少し驚きに目を見開く。

 長近とは、先日、わたしが触れを回して雇った家来、金森長近のことだ。

 史実においては最終的に五万石強の大名にまで出世する人である。


 二一世紀の人からしたら、ン十万石クラスの大名が日本にはゴロゴロいるじゃないかと思うかもしれないが、五万石だって現代に換算したら年商一二〇億円である。

 その社長にまで登り詰めたと考えれば相当なものだ。

 応募に仕官してきた時には「SR武将来たー!」とテンション上がったものだった。


「温和で人の話をよく聞ける男でしてな。間に立って、角を立たせず、お互いに納得できる落としどころに話をまとめるのが滅法上手い」

「へえええええ」


 わたしは感嘆の声をあげる。


 長近は仕官してくれた家来たちの中では未来の石高的に一番の有望株だったんだけど、正直、仕事ぶりは他の者よりちょっといい程度。

 あれ、この程度? と正直、期待外れもいいところだったのだが、やはり五万石クラスの男はそれだけのものをちゃんと持っていたらしい。


「いわゆる調整役ってやつね」

「然り」


 わたしの評にじぃも頷く。

 組織においては、いわゆる潤滑油のような存在である。


 徳川家康が『気相けそうの人』、すなわち空気みたいな人だと言って高く評価していたというのはそういうことだったのか。

 なるほどなぁ。


 地味であまり派手な活躍はしないが、組織に必ず一人は欲しい人材だった。

 いるといないのとでは組織内のチームワークや雰囲気に雲泥の差が出る。


 じぃも下への接し方からそういう感じがするが、やはり年が離れすぎている。

 同年代にもそういう人間がいてくれるのは、安心だった。


「つまり、今の我が家臣団は盤石ってことね!」


 副社長に経験豊かで人望もあるじぃ。

 政務部門にやり手の牛一係長、戦闘部門にイケイケの成経係長。

 そしてムードメーカーの長近係長。

 実に鉄壁の布陣である。


 え? わたし? わたしは……


「こうも皆が優秀だと、わたしはちょろっと決裁の花押書くぐらいでいいから、気楽なもんだわ」


 言いつつ、わたしはゴロンとその場に横になる。

 上の人間がするべきことは、決断と、それに対して責任を取ることである。

 すなわち、いざと言う時にしっかりとした判断ができるよう、普段は英気を養うのが仕事なのだっ!


「あら、いけませんよ、姫様。横になったら寝てしまうじゃありませんか」

「わたしが寝るんじゃないの。お天道様がわたしを眠らせてくるのよ」

「もう、夜眠れなくなっても知りませんよ?」

「大丈夫、わたしは一日の半分寝れる女だから」

「何言ってるんですか。ほらしゃきっとしてくださいませ。まだお天道様が見てる前でそんなゴロゴロしていたんじゃ家来の皆に示しがつかないでしょう?」

「つくつく。わたしがのんびりまったりしてたら、みんなだって休んでいいんだって思うでしょ」


 二一世紀でも、上が定時過ぎても帰らずに仕事していると、下は仕事が終わっていてもなんとなく帰りづらいものだった。

 でも、ちゃんとした休養を取ったほうが仕事の能率が上がることは、様々な統計から明らかになっている。

 ゆえに働くべき時はしっかり働く。その分、英気を養う時間もしっかりとる。

 うちが目指すのはそんなクリーンでホワイトで効率的な職場なのだ。

 そう、そして、わたしが今ぐうたらしているのは、下にも休んでいいんだと伝えるためなのだ!(ここ重要!)


 といった内容を、わたしはかつてないほどの熱弁で言葉巧みに語ってみせたのだが、


「最近の姫様はいくらなんでもサボりすぎです。休養も大事ですが、皆が姫様を真似てサボり出したら本末転倒です!」


 といった言葉でけんもほろろに一蹴されてしまう。

 根が生真面目なゆきには、わたしのこの皆を想う切なる願いは伝わらなかったらしい。

 だが、この程度で怯むわたしではない。

 ニコッと微笑んで返す。


「ならないならない♪ 牛一も目を光らせてるし」

「そんなわけないでしょう! 姫様がそんなでは牛一殿が叱っても効果がなくなります! ただでさえ孤立しがちなのに、それではいくらなんでもかわいそうでしょう!?」

「むぅぅ」


 そう言われると、言葉に詰まる。

 くそう、わたしを口で言い負かすとは、やるな、ゆき!

 まあ、でも、なんだかんだ姫という身分にあるわたしを、こうしてきっちり叱って注意してくれる人材は有難くはあるんだよなぁ。

 まったく人から注意されなくなるってのも、すごく怖いしね。増長しそうで。


「そこまでお暇なってきたのならば丁度いいですね。領地を賜ってから色々とお忙しく、行儀作法の指南がおろそかになっておりました。そろそろ再開すると致しましょう」

「うげえええ」


 わたしは女にあるまじき声で不満を表明する。


「なんて声を出してるのですか。やはり指南が必要ですね。さ、参りましょう」

「いやいや、いいっていいって。もうちゃんと行儀作法は身に着けているから」


 うん、前々世で散々仕込まれたし。

 今さらまたやる必要なんてない、ない。


「今の声や、前も指南役の前で居眠りした身で何を仰ってるんですか」

「それは……あまりにも退屈で……」


 そもそも前に習って知ってる内容だし。

 そりゃ眠くもなるって。


「まさにそういうところです。今はまだ八つですから大目に見てもらえますが、恥をかくのは姫様なのですよ? 行儀がなってないというだけで、露骨に馬鹿にしたり見下してくる輩だっているんです。そうならないためにも……」

「見下させておけばいいじゃん、そんな奴ら。こっちからお断りよ」


 どうせそんな実を見抜けない上っ面だけの連中なんて、後で結果で鼻を明かしてやれるんだし。

 そんないちいちマナーとか空気を気にして中身のない会話に終始するより、腹を割って話すほうが気楽だし有意義だと思うんだよなぁ。

 下手にからんで、足の引っ張り合い、愚痴の言い合いに巻き込まれるのもごめんだしね。


「またそんなことを……」

「姫様! 姫様はおられますか!?」


 ゆきの言葉を遮るように、ドタドタと荒い足音とともに牛一の声が遠くから響いてくる。

 ナイスタイミング!

 声の調子からして何かトラブルでもあったらしいけど、今ならどんなトラブルでもウェルカムですよ。


「いますよ、いつものところに! ふふっ、今日も行儀作法はお預けのようね?」

「もうっ、今度絶対やりますからね」


 むぅっとゆきが唇を尖らせる。

 彼女も、牛一の用件のほうが重要とわかっているのだ。


「姫様、古渡城より急使が参っております。大至急、登城せよとのことですぞ!」

「……へ?」


 思わず間の抜けた声が漏れる。

 てっきりいつものように、領内のトラブルだと思っていたのだけれど。


 しかし大至急、か。

 まあ、なんとなく予想はつく

 おそらくはアレが起こったのだろう。

 だとするならば……


 これから一波乱も二波乱もありそうだった。

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