間話 天文十一年一月下旬『孤高の男』

 太田牛一が作業の途中、ふと尿意を催し厠へと向かった時の事である。


「なあ、成経殿、あんたも牛一にイラついてましたよね?」


 不意に曲がり角の先からそんな声が聞こえてきて、思わず足を止める。


「あん? まあ、そういうこともあったな。それがどうしたよ?」

「我々もあいつにはイラついてんですよ」

「へえ?」

「確かに言ってることは正しいかもしれねえけど、言い方ってもんがあるでしょうが、言い方ってもんが」

「ほんとだよ。あいつは人の気持ちってものがわからねえんですよ」

「少し仕事ができるからってえっらそうによぉ」


 口々に不満をぶちまける。

 声からすると、成経の他にどうやら三人いるらしい。


「ふっ」


 思わず牛一の口から自嘲の笑みがこぼれる。


 つやが新領地を賜って雇った足軽頭は牛一を含め計六名。つまり、現時点で一人を残して全員が自分に強い不満を抱いていることになる。

 この調子ならその残る一人もそうなる可能性は高い。

 とはいえ、はなから覚悟していたことではあるので今さら傷つくなどということはない。


(まあ、いつものことだ)


 そんな達観すらあった。


 どうにも自分は、空気というものが読めない。言葉がきつい。

 おそらくはそのせいだろう。

 どこにいっても牛一は敬遠されがちだった。

 生まれ育った安食村でも、親の伝手で仕えた武家でも、成願寺でも、だ。


 だが、その事に牛一は反省も後悔も一切ない。当然直す気もない。

 自分が間違っているとは、到底思えないからだ。


 安食村の名主は、牛一の諫言を聞かず、自らの財を蓄えることに夢中になり飢饉で民を大勢飢え死にさせ、結果、田畑が荒れ税がほとんど取れなくなった。

 村の者たちも、牛一の味方をせず、結果、飢えて死ぬか、家族に死なれた。

 仕えた武家の主君も、牛一の忠告を聞かず、杜撰な仕事で信秀の怒りを買い、領地を取り上げられ今は家族もろとも流浪の身だ。

 成願寺でも、真面目に読経をしているのは自分ぐらいだった。

 あの調子ではおそらく、他の者たちは僧として大成することはないだろう。


(屋根の上で踊っているのを注意したら、なじられるようなものだ。わけがわからん)


 屋根の上で踊ってなどいたら、何かの拍子に滑り落ちて怪我をする可能性は高い。

 子どもでもわかる簡単な理屈だ。

 そのはずなのだが、どうにも世の中にはその程度のことがわからぬ者がとにかく多い。


「それで、ですね。皆であいつを辞めさせてくれないかって成宗様や姫様に嘆願しようかって思ってんですよ」

「それに成経殿も加わってもらえれば、な、と」

「そうすれば四人、もう一人にも声をかけて全員の嘆願となれば、お二人も無下にはできないかと」


 そう、このように牛一の善意の注意に怒りだし、恨みを抱き、村八分にしようとしてくる始末だ。

 つくづく度し難い。


 柔らかく言っても話をろく聞かず動こうとしない。

 強く注意すれば、渋々動くが恨みを抱く。

 ならば後者のほうがまだマシ。

 それが牛一の出した結論だった。


(だが、ここともおさらばかもな)


 自分が間違っているとは露も思わないが、世間とはそういうものだということは理解している。

 成経もあれだけ自分と言い争ったのだ。

 きっと彼らに賛同するだろう。


「くっだんねえ!」


 そう思っていたのだが、成経の口から吐き捨てられたのは、牛一にとってまったくの予想外のものだった。


「ったく、男が三人も集まってなに女みてえなこといってんだ! んなくだらねえことに俺を付き合わすな!」


 なんとも苛立たしげな声だった。

 心底から関わり合いになりたくない。

 そんな心の声が聞こえてきそうだった。


「し、しかし、成経殿も牛一には迷惑しておられるのでしょう!?」


 なおも一人が食い下がるも、


「あぁん? まあ、確かに俺ぁ、あいつのことが気に食わねえ」

「でしょう!?」

「だが、それはあくまで俺とあいつの問題だ。姫さんや親父の力を借りるなんて、ンなだせえことする気はねえ。ケリつけるならサシでやらぁ!」

「「「…………」」」


 ここまで言われては、押し黙るしかないようだった。

 彼らもどこかわかってはいるのだろう。

 自分たちが卑怯なふるまいをしているということを。


「気分わりい。帰るぜ」


 その言葉と同時に、こちらに近づいてくる気配がした。

 顔を合わせるのは少々、ばつが悪い。

 隠れるか? 一瞬、そういう考えも過ぎったが、自らに恥じ入るところはない。

 その場で迎え撃つ。


「よう、盗み聞き野郎」


 目を合わすや、成経は特に驚いた風もなく、にやっと口の端を歪めてからかってくる。

 気配で牛一の存在を察していたらしい。

 伝え聞いてはいるが、実に獣じみた嗅覚である。


「盗み聞きではない。厠に用を足しにきたらたまたま耳にしただけだ」

「そーかい」


 嘆息とともに牛一が返すと、どうでもよさげな声が返ってくる。

 実際、心底興味がないのだろう。


 一方、厠のほうから複数人が足早に走り去る気配がした。

 先程の三人組だろう。成経の言葉で牛一の存在に気づいてバツが悪くなって逃げだしたといったところか。


「けっ、臆病者どもが」


 舌打ちとともに吐き捨て、成経はスタスタ歩き出し、牛一の横を通り抜けていく。

 牛一も特に彼に聞くべきこともない。

 当初の予定通り厠へと歩き出すと、


「ああ、一つだけ言っておく」


 思い出したように、成経が背中越しに声をかけてくる。


「なんです?」

「てめえを助けたわけじゃねえ。てめえも気に食わねえが、あいつらのほうがもっと気に食わなかった。それだけだ」

「わかってますよ」

「なら、いい」


 今度こそ興味ないとばかりに、成経は立ち去っていく。

 その後ろ姿を見送りつつ、牛一は思う。


(自分は少しだけ、彼の事を誤解していたかもしれないな)


 腕っぷしだけの粗暴な馬鹿、と思っていた。

 その評価自体はあまり変わらないが、つやが言うように、一本、しっかりとした芯が通っている。

 今後もおそらく相容れることはないし、今回の事で指摘や注意に手心を加えるつもりもない。


 だが、こういう愛すべき馬鹿が、牛一は嫌いではなかった。

 


 ☆



 それからまた数日たったある日のことである。

 牛一が領内統治の具申案をまとめたものを提出しようとつやの部屋を訪れると、


「太田牛一殿を辞めさせてください!」

「あやつは人の気持ちというものがわからないんです!」

「ええ、そんなやつとはやっていけません!」


 どうやら先客がすでにいたらしく、荒々しい声が轟いてくる。

 声からして、先日の三人組か。

 またこんな場に居合わすとは、とことん自分は間が悪いというしかない。


「良薬口に苦しって言うでしょ。もう少し我慢してみたら? きっと貴方たちにとっても得るものがあると思うけれど」


 つやがやんわりとなだめようとするが、


「我慢ならすでにもう十分し尽しました!」

「ここまで恥をかかされて黙っていては、武家の名折れ!」

「あやつを辞めさせないというのであれば、我々はここをお暇させて頂く所存です!」


 三人はすでに聞き入れるつもりはないらしく、自らの進退までかけて牛一の放逐を主張する。

 よほど自分が疎ましくて仕方ないらしい。


「そう、そこまでなの……。どうやらわたしの目は節穴だったみたいね」


 ふうっとつやの嘆息が聞こえてくる。


「おおっ、わかっていただけましたか!」

「そうなんです。姫様の前ではいい子ぶってるだけで、あいつは酷い奴なんです!」

「ええ、あんな奴はさっさと放り出したほうが姫様の為です」


 三人組が喝采の声とともに、勝ち誇ったようにぼろくそに言い始める。


 ギュッと締めつけられるような感覚が、牛一の胸を襲った。

 あの三人に何を言われたところで、牛一は毛ほどにも痛痒を感じない。

 だが、この不思議な姫にだけは失望されたくなかったのだ。


 彼女の語った領民たちとの関係は、牛一の想像の上を行っていた。

 片方が片方を搾取する関係では長続きしない。両方が得する塩梅こそが長期的には一番双方に利益があるのだ、という考え方は、目から鱗が落ちた気分だった。

 牛一はただただ税を減らすことしか考えていなかったというのに、だ。

 彼女が岡部又右衛門に語って聞かせる道具の構想も拝聴させてもらったことがあるが、どれも素晴らしいもので、領民の生活を必ずや向上させるであろうものばかりである。


 つやの描き出す未来の実現を、彼女のすぐ近くで見てみたい。

 このたった二週間で、そういう強い想いが牛一の中に生まれていた。

 まだ道半ばどころか、始まったばかりだというのに、その未来を創る手助けができなくなる。

 それがただただ口惜しかった。


「ええ、十分わかったわ。あんたたち、クビ」


 だが、つやから放たれた言葉は、これまた成経の時同様、牛一の予想に反するものであった。


「……え?」


 思わず牛一の口から間の抜けた声が漏れるが、


「「「……は!? ええええええ!?」」」


 より驚いたのは、当然の事ながらクビを宣告された三人組のほうだった。


「ど、どうして!?」

「我ら三人より牛一を取るというのですか!?」

「あんな奴を残しても、家中の不和を煽るだけですよ!?」


 口々に三人組が疑問の言葉を口にする。

 だが、つやはしれっとした声で、


「むしろあんたたちみたいなのがいるほうが、組織が腐ります」


 いっそ気持ちいいぐらいにきっぱりと言い捨てる。


「「「なっ!?」」」

「貴方たちの言に従えば、確かに一時の和は保たれるかもしれません。けど、その先にあるのは緩慢なる衰亡です。それは結局、皆が不幸になるだけよ」


 これには牛一も心から同感だった。

 内部の空気読みや政敵の追い落としにばかり腐心するようになった国は、古今東西衰退すると相場が決まっている。

 なぜなら、彼らの視線が民のほうを向いていないのだから。

 うまくいくはずがないのである。


「だいたいね。あんたたち、その悪口、本人の前ではっきり言える?」

「えっ!?」

「そ、それは……」

「言えば十倍百倍になって返ってくるので……」


 つやの問いに、三人組がしどろもどろになる。

 そんな様子に、つやは再び嘆息し、


「それをせずに影で徒党を組み、自らの怠慢を棚に上げ、楽をしたいがためだけに謹厳実直なる者の悪評を上に吹き込む。これ亡国の臣なり。恥を知りなさい! 恥を!」

「「「……っ!!」」」


 つやの裂帛の叱責に、ぐうの音も出ないらしく、三人組は黙り込む。

 その迫力に、圧倒されたということもありそうだ。

 おそらく、彼らはどこかつやの事を舐めていたのだろう。

 所詮女だ。所詮八つの子供だ。なんとでも言いくるめられる、と。


 だが、彼女は彼ら程度に御せるような玉ではなかった、ということだ。

 なんとも言えない静寂が場を支配し、


「……とは言え、たった一度の事でクビにするほど、わたしも鬼ではありません」


 ふっと先程までとは一転して、柔らかい声でつやがそんなことを言い出す。


「もし我が家にまだ仕える気があるのなら、今回はまだ許しましょう」

「「「あ、ありがとうございますっ!!」」」


 三人組が、蜘蛛の糸にすがるかのように、食い気味に大声で礼を言う。

 その声には安堵の色が濃い。


 つやの下河原織田家は、他に比べて俸禄が格段に高い。

 それを、姫様育ちゆえと舐めて調子に乗って今回のようなことになったのだろうが、いざ失うとなると途端に怖くなったといったところか。

 それならこんなことを企てなければいいのにと牛一は思うのだが、人はそれだけ絶えず求め続ける欲深い生き物ということなのだろう。


「貴方たちはまだ若い。これからいかようにも変われます」


 そう言うつやが家中では断トツで若いのだが、その言葉には不思議な説得力があった。

 まるで何十年も生きてきたかのような、そんな妙な貫禄がある。

 そんなはずはないのに、だ。


「為になる言葉というのは総じて耳に痛いものです。ですがそれを受け止めてこそ人は成長できます。忠告を真摯に受け止め、心身を磨きなさい。それができぬようなら……次はないかもしれませんよ?」


 最後の一言は、底冷えするような寒さが宿っていた。

 やるとなったら迷わず切る。

 そんな冷徹さを感じ取ったのだろう、


「「「はっ!!」」」


 三人組の返事は、実にきびきびしたものであった。


 外で聞いていた牛一は、感嘆に身体を打ち震わせていた。

 厳しいだけでは人は付いてこない。牛一のように。

 甘いだけでは舐められる。金払いがよく幼いつやが、そう誤解されていたように。


 だがつやは断固とした厳しい姿勢を示す事で、彼らの勘違いを正してみせた。

 その上で温情をかけることも忘れない。


(これが将たる者の器か!)


 おそらくあの三人組たちは、これまでとは打って変わって勤勉に働くようになるだろう。

 つやの怒りを買わないように。

 そして、つやに感謝もするだろう。寛大に許してくれた、と。

 心酔さえするかもしれない。

 叱責の時のいつもと違う凛とした声には、思わずその言葉に従いたくなるような、王たる風格と威厳が漂っていた。


 この硬軟織り交ぜるメリハリの妙は、自分には逆立ちしても真似できそうにない。

 驚くべきはそれをやってのけたのが八歳の少女だということである。

 自分や成経といった生粋の偏屈者を受け入れる度量の広さもある。

 今でこれなら、この先いったいどれほどの傑物へと成長するのか!?


(もしかすると、この方は千年先にも名を遺す英傑かもしれない)


 誇張抜きで、そう感じた。

 彼女がもたらす未来の光景が見てみたい。

 この方の手足としてその一助をしたい。

 冷静沈着を旨とする牛一でさえ、胸にふつふつと熱いものがこみあげてくる。


(我、終生の主君を得たり!)


 これほど仕え甲斐のある主君が他にいるであろうか。

 いやいない。日本中どこを探してもいるわけがない!

 自分はこの方に仕えるために、支えるためにこの世に生を受けたのだ。

 そういう確信さえあった。

 今この瞬間、牛一は心からつやの忠臣となったのである。

 

 やがて彼がつやの股肱ここうの臣として、『下河原織田家に太田牛一あり』とその名を轟かせるようになるのは、もうしばらく先の話である。

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