第二二話 天文十一年一月中旬『奇貨居くべし』

「ほんっとどうしたものかなぁ」

「どうしたものですかのぅ」


 夕餉のカニしゃぶを突っつきつつ、わたしはじぃとともに嘆息する。

 あまりの美味しさに食べる時には無口になると言われるカニも、今はあまり喉は通らない。


 言うまでもなく、昼間の佐々成経と太田牛一の喧嘩のせいである。

 とりあえず、短気を起こすなと成経を説得はしたのだが、すっかりムキになっちゃって、「あの太田のクソ坊主とは反りが合わねえ!」の一点張りだ。

 このままでは本当に出ていきかねない。


「儂のしつけがなっておらず、愚息がご心労をおかけして、真に申し訳ありません……」


 じぃもすっかり困り果てた顔で平謝りである。


「じぃのせいじゃないわ」


 わたしはふるふると首を横にする。

 これは慰めではなく、誓って本心である。


 成経は粗野で言葉遣いも荒く喧嘩っぱやい一面は確かにあるのだが、誰彼構わず手を出すような無法者ではない。

 今回の事だって、怒りの衝動に任せていきなり斬りかかるなんてことをせず、決闘という正々堂々とした形にこだわっていた。

 しかも刀は抜かずあくまで素手での決闘に、だ。


 悪ぶってはいるが、そういう一本筋の通ったところがあるのだ。

 漫画に出てくるような、いわゆる古き良きヤンキーなのである。


 実際、牛一以外とは一度もトラブルは起こしていない。

 じぃの育て方が悪かったなんて、そんな事は絶対にない。

 問題があるとすれば一つだけ――


「ただ、牛一と致命的なまでに相性が悪いのよ……」


 はあっとわたしは深々と嘆息をつく。


 豪快で細かいことを気にしない成経と、几帳面で小さな間違いも指摘せずにはいられない牛一とでは、まさに水と油である。

 ちょっと絡めば、否応なしに衝突してしまう。イラっと来てしまう。

 人間一人はそんな天敵がいるものだ。


 それが身近にいるというのが、まさに不幸と言うしかなかった。


「左様でございますな。しかし、このままではいきますまい?」

「そうねぇ」


 少々性格に難のある尖った二人だが、どちらもかなり有能なのだ。

 我が織田下河原家には絶対に必要な人材と言える。

 面倒くさいけど、どうにかしないとなぁ。


「失礼いたします。姫様、太田牛一が参っております」


 不意に足音とともにゆきが現れて、障子の外から言う。


「そう、通して」


 じぃと目配せし、彼が頷くのを確認してからわたしは了承する。

 仕事が終わり次第、牛一にはわたしの部屋まで顔を出すよう指示しておいたのだ。


「太田牛一、まかりこしました」

「うん、疲れてるところ悪いわね。座って」


 現れた牛一に、わたしの対面を指し示す。

 彼があぐらをかくのを確認してから、


「さて、なんでここに呼ばれたのかはわかっているわよね?」

「昼間の成経殿との一件でしょう? 書簡に明らかな間違いがあったので、やり直しを要求しただけです」


 背筋をピンと伸ばしたまま、しれっとした声で牛一は答える。

 自らにやましいことは何一つないとその顔にはありありと書かれていた。


「確かにぬしの言い分はその通りではあるが、武士には体面というものがある。多少なりともそれを慮ってやることも必要じゃぞ?」


 じぃが苦笑ともに諭そうとするも、


「お言葉ですが、言葉を濁しなあなあにして、そこに何の得があるのでしょうか? そういうことをしても相手はまったく反省せず、同じ過ちを繰り返すだけです。相手の為にもならんでしょう?」


 牛一は理路整然と反論してくる。

 まあ実際、牛一の言う通りではあるんだよなぁ。


 人間、優しく言われてる内は、行動を改めるって難しいんだよなぁ。

 本気で「怖い」「痛い」「いやだ」って思ってやっと、その重い腰を上げることができるものだ。


「それはその通りではあるが、世の中には長幼の序というものがある。上から言われたのならばともかく、下から指摘されてもそう素直に頷けんものよ」

「それは器が小さいだけでしょう」


 うわぁ、ズバッと切り捨てるなぁ。

 これにはじぃもさすがにその笑み引き攣らせるしかなかった。


「確かにそうかもしれんが、世の中そんな器の大きな人間ばかりではなかろう。おぬしはもう少し世の中というものを知り、処世術というものを身に着けるべきじゃな」

「そんなもの拙者には必要ありません」

「なに?」

「耳心地の良いおべんちゃらをかた佞臣ねいしんなどまっぴらごめんです。主君が相手であろうと、正しいことは正しい、間違っていることは間違っている、そう言える者こそ真の忠臣であると拙者は思います」

「むぅぅぅぅ」


 眉間にしわを寄せ、なんとも難しい顔で唸るじぃ。

 牛一の言っていることは、実に正論だ。同時に若いとも思うけど。

 海千山千のじぃには、世の中そんな理想通りにはいかないと言うのが見えているのだろう。


 だが、なまじ牛一の言葉は正論なだけに、そして見るからに筋金入りの頑固者っぽいだけに、どう諭せばいいのかわからないのだ。


 ……ん? 待てよ。頑固、か。

 これは奇貨居くべし、かもしれない。


「その考え、ずっと貫き通すつもり?」


 とりあえず探りを入れてみる。


「はい、男に二言はございません」

「そう。でも、耳障りな言葉ばかり言う人間は、嫌われるわよ?」

「それで嫌われるようなら、拙者のほうから付き合うのは願い下げです」

「今日のように、喧嘩も絶えないでしょうね?」

「仕方がありません。誰かが言わねば、仕事が回りませんから」

「誰かの恨みを買って、嫌がらせを受けるようになるかもしれない」

「多少の事は無視します。目に余るものは、姫様に事の詳細を報告し裁いて頂きます」

「そんなことばっかしてたら、わたしの虎の威を借りる狐と言われるわよ?」

「かまいませぬ」


 間髪入れずにきっぱりと言い切っていく。

 わずかの迷いさえない。


「……何がそこまで、貴方を掻き立てるの?」


 さすがに聞かずにはいられなかった。

 この覚悟には、並々ならぬものがある。

 何か相応の理由がある、そんな気がしたのだ。


「……拙者の生まれ育った安食村は、乞食村と称されるほどに貧しいところでした。妹は、それで亡くなり、拙者もお前だけでも生き延びてくれと寺に預けられました」


 言うべきか言わざるべきか、少し葛藤するような間の後、牛一は淡々と語り始める。

 なんともヘビーな話である。

 だが別にこの時代では、決しておかしなことではない。

 どこにでもよくあること、だった。


「領主が私腹を肥やすことにばかり執心せず、その半分でも民の為に使ってくれれば、妹は死なずに済んだやもしれません」


 牛一は、膝の上に乗せた拳をグッと固く握り締める。

 そのあまりの力に、拳にはありありと血管が浮き出ていた。

 やるせない憤りのほどが、ひしひしと伝わってきた。


「寺で中国の史書を読みふけりましたが、やはり国が傾くのは、いずれも皇帝や高官たちが民の暮らしに興味を持たず、私欲におぼれ、政治をおろそかにしたからでした」

「そうね。その通りだと思うわ」


 歴史は繰り返す。

 古今東西、強壮な外敵に滅ぼされるなんてケースもあるにはあるが、基本的には稀で、国が滅ぶのは、内部が腐敗して国が乱れてが大半である。

 二一世紀の日本も、まさにそうやって、世界第二位の経済大国から、失われた三〇年に突入していったのだ。


「しかし、政治に腐敗はつきもの。ゆえに、民の安寧の為には、大勢に流されず、しっかり物申す者が必要なのです」


 強い意志の宿った瞳で、牛一は言い切る。

 なるほど、そういう過去があったのなら納得だった。

 彼の言っていることも、至極もっともと言える。


 私が目指すのは、クリーンでホワイトな職場でブラックな環境にするつもりはさらさらないが、さりとてなあなあとだらだらが横行し、するべきこともしない職場は論外だ。

 締めるべきところはちゃんと締めねばならないと、私も強く思っていたところだ。


「わかったわ、そこまでの覚悟があるのなら、その道を貫きなさい。わたし相手も遠慮しなくていい。間違ってると思うのなら、ガンガン遠慮せず言えばいいわ」

「ありがとうございます。それが口だけにならぬことを切に願っております」

「なっ!? 貴様さすがにそれは無礼であろう!」


 主君を主君とも思わぬ牛一の生意気な口ぶりに、今度こそじぃが眉が一気に吊り上がり、怒声を発する。


「申し訳ありません。思ったことを口にせずにはいられぬ性分でして」


 それでも牛一は、涼しい顔でうそぶく。

 肝に毛が生えているとはこの事を言うのだろう。

 さすがは織田信長が存命の頃から、信長に都合の悪い事も書き記していた硬骨の士と言ったところか。


 あるいはわたしの事を試しているのかも。

 実際、口では器の大きな事を言っても、いざとなると手のひら返す奴いるしね。


「ガキがっ! 実のある諫言かんげんならいざしらず、何でも思ったままに口にすれば良いと言うものでは……」

「いいのです、じぃ」


 まだ怒りの収まらないじぃを、わたしはすっと割り込むように手で制す。


「し、しかし姫様……」

「わたしがいいと言ったのです。好きなだけ諫言しろ、と。それに、無礼さでは成経殿もいい勝負ですしね」

「……それを言われては、何も言えませぬな」


 はあっと溜息をつき、じぃは一旦留飲を下げ引き下がってくれた。

 まあ、あまり納得はしてないようだけど、そこは大人である。わたしを立てて呑み込んでくれたらしい。

 わたしは改めて牛一の方に向き直り、


「口だけかどうかは、時が経てばわかることです。お互いに、ね」


 仕返しとばかりに、わたしも挑発する。

 下がちょっと跳ね返って無礼を働くのを大目に見るだけのわたしに対して、彼の進む道はまさに茨の道である。

 果たして貫き通せるのか?

 そう煽り返してやったのだが、


「死ぬまで貫き通してみせますよ」


 百点満点の答えが返ってくる。


 豊臣秀吉にとっての石田三成のように。

 徳川家康にとっての本多正信、井伊直政のように。


 組織にはこういう頑固な硬骨漢が、必要不可欠なのだ。

 周りから疎まれても、弾かれても、正しいと思った事を愚直に言い続けられる人間が。

 そんな人間が一人いるだけで、組織というものはぴしっと引き締まるのだ。


 彼はもしかすると、想像以上に掘り出し物だったかもしれない。


 ちなみに、成経との喧嘩であるが……


 むしゃくしゃした成経はうっぷん晴らしに賭場に乗り込み、そこで大勝ちしたらすっかり怒っていたこと自体忘れてしまっていた。

 熱するのも早いけど冷めるのも早いと言うか、その場のノリだけで生きてると言うか。

 まあ、感性派の人間ってのは往々にしてそういうものである。


 とりあえずはめでたしめでたし?

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