第二十話 天文十一年一月上旬『成願寺の小僧』
「ふぃ~、姫さん、着いたぜ~」
馬を止め、成経がだるそうに伝えてくる。
正式にわたしの家来になったのだから、殿と敬称を付けるのもどうかと思うので呼び捨てである。
目の前にはなんとも古めかしくも威厳を感じる寺がそびえ立つ。
天台宗成願寺。
なんと天文十一年の現時点でも創建されて八〇〇年近いという古く由緒正しいお寺である。
そうここに、わたしの求める人材がいるのだ。
「ありがとう。ずいぶん馬の扱いうまいのね。またよろしく頼むわ」
馬から降ろしてもらいつつ、礼を言う。
これはお世辞でもなんでもない。
どうやっているのかはわからないが、じぃが操っている時より、成経の馬上の揺れが格段に少ないのだ。
下河原からここまで一刻弱。実に快適な旅だった。
「ちっ、下手に乗るべきだったっすわ」
「ふふっ、今さらね。次も上手く乗ってくれないと禄下げるから」
「へ~い」
なんてたわいない会話をしながら、寺の境内に入る。
ちょうど小坊主たちが庭の掃除をしているところだった。
「いらっしゃいませ。参拝でしょうか?」
その内の一人が、声をかけてくる。
わたしは首を振り、
「いえ、人に会いに来たの。太田って家の人はいる? 確か安食村の出身だったと思うんだけど」
「え? 多分それ、拙僧かもです。どこかでお会いしたことございましたか?」
キョトンとした顔で問い返される。
おおう、まさか一番目にビンゴするとは。
わたしは冷静さを取り繕いつつ言う。
「いえ、会ったことはないわ。ただ、弓が上手な人がいるというのを風の噂に聞いて、ここを訪れたの」
「ああ、弓なら得意です。安食村では確かにもっぱら弓を射ってばかりいました。しかしまさかそれが噂になっていたとは」
誇らしげに、嬉しそうに小坊主さんは表情を輝かす。
うん、ごめん。喜んでるところ悪いけど、口から出まかせなんだ。
後世の記録で弓が得意だった、って知ってるだけで。
で、弓ってけっこう長い修練期間がいるから、子供の頃からやってるだろうってカマをかけさせてもらったのである。
「ちょっと弓の腕を見せてもらえるかしら?」
言って、わたしは成経に目を向ける。
それだけで彼は察したらしく、背中に背負っていた弓と矢筒を手に取り、小坊主さんにスッと差し出す。
小坊主さんは戸惑った顔を浮かべ、弓とわたしの顔を交互に見る。
「あの、失礼ですが、貴女は?」
「ああ、わたしは織田弾正忠家当主信秀が妹つやと申します」
「織田の殿様の!?」
小坊主さんが驚きに目を見開く。
まあ、着ている物からある程度身分のある身だというぐらいはわかっていただろうが、さすがにそのレベルとは思っていなかったのだろう。
「そ、そんな方がいったいどうして……?」
「今、わたしは兄から領地を頂き、仕えてくれる家来を探しているところなのです」
「ということは、もし弓をきちんと射れれば、武士として取り立てて頂けるということでしょうか?」
その瞳には、隠し切れない期待があった。
毎日弓を引いていた男の子だ。
そういう憧れや野心がやはり心の奥底でくすぶっていたのだろう。
実際、史実ではこの後、彼は還俗して武士の世界に入っている。
なら、現時点で私が誘っても問題あるまい。
「ええ、もちろん。禄として二〇貫文でどう? 働き次第では加増ももちろん考えるわ」
二〇貫文、つまり給料二四〇万円。
二一世紀の感覚だと高卒入社ぐらいならまあまあ普通ってところだけど、この時代、下級武士の賃金は五貫とかがざらだったりする。
それらと比較すれば、かなり破格の待遇だったのだが、
「禄はいくらでもかまいません。それより、一つお聞きしたいことがございます」
どうやらこの小僧さん、俸禄にはあまり興味がなさげである。
ってことは、雇えるかどうかはこの後の質問への返し次第か。
「ええ、いくらでも聞いて」
内心少し緊張しつつも、平静さと鷹揚さを装って言う。
実際、疑問点は最初にすり合わせて解消しておいた方が後々面倒もないしね。
「では。お言葉に甘えて。貴女にとって領民とは何ですか?」
これまた抽象的な質問を……。
う~ん、どう返すのが正解だ、これ?
わたしは少し考えて、
「そうね、持ちつ持たれつの関係、かしらね」
結局、正直に思ったことを答えることにした。
上っ面に嘘を重ねたところで、後でどうせバレるし、ね。
税金なんて民からしたら取られないで済むならこれほど有難いものはないが、管理者側としてはそうも言ってられない。
領地の管理運営、防衛にはやっぱりどうしても人手も金もかかるのだ。
そして無政府状態は悪政・暴政より市民を不幸にするのは歴史が証明している。
だからその原資として、税はしっかり取り立てる。
もちろん、搾取しまくるつもりもない。
そんなことをすれば不平不満が溜まる。
一揆が頻発すれば、田畑は荒れるし、その鎮圧に無用なコストもかかる。
領民との関係がうまくいってなければ、戦の時にもいろいろ不都合が生じる。
つまり、ウイン・ウインの関係が理想、かな。
なにかの統計でも、どっちかが搾取するウイン・ローズの関係より、ウイン・ウインの関係が結局一番、長期的にはお互いに利益が多いってあったし、ね。
つまり民のためになる善政を敷くことが、一番効率が良く、結局はそれが一番私の為でもある。
そのあたりの事を語って聞かせると、
「ありがとうございます、弓を貸してください」
どうやらわたしの答えは、彼のお眼鏡にはかなったようである。
よかったぁ。
これで貴女には仕えられませんとか言われたらどうしようかと思ったわ。
「おらよ」
「ありがとうございます」
成経から弓と矢筒を受け取り、小僧さんがスッと弓を構える。
表情が引き締まり、真剣な男の子の顔になる。
そして矢をつがえ、ゆっくりと弓を引いていく。
その一連の所作には、どこか美しさがあった。
ヒュン! ダンッ!
三〇メートルほど先の木に見事命中する。
だが、そんなのはまだ序の口だった。
ヒュン! ヒュン! ヒュン!
小僧さんは立て続けに矢を放ち――
ダン! ダン! ダン!
最初の矢の周囲に次々と刺さっていく。
「ヒュ~♪」
成経が目を瞠らせつつ、口笛を鳴らす。
彼の目から見ても、かなりのものだったらしい。
これでもう、確定だろう。
安食出身で、成願寺にいて、太田の姓に、弓の達人。
彼こそまさしく、後の太田
だが、わたしが評価したのは弓の腕前だけではない。
むしろ彼のもう一つの能力だった。
太田牛一と言えば織田信長の第一級資料『
領地経営が火急の課題である今のわたしにとっては、最も必要な人材だった。
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