第十七話 天文十一年一月上旬『お年玉』

「あの、どういうことでしょう?」


 さすがに状況についていけず、わたしは思わず問い返す。


 一二〇〇貫って、けっこうな大領である。

 江戸時代ならば、幕府仕えで大身旗本、五〇万石クラス以上の大名家でも重臣扱いというけっこうな碌である。

 さすがにお年玉の域を超えすぎている。

 意味がわからなかった。


「三年以内にソロバン並みのものを三つ用意すれば加増すると最初に言うておいたじゃろう。まさか三年どころか二ヶ月ほどで達成するとは思いもせんかったがな」

「……え~っと、まだわたし、聖牛ぐらいしか提示してないと思うんですけど?」


 眉をひそめて、わたしは小首をかしげる。

 そんなわたしに信秀兄さまは、はぁっと大きく嘆息し、


「聖牛に、釈迦の乳粥と醍醐味による牛乳の迷信の払拭に、兵糧食チーズの開発、ついでにプリンじゃ」


 その中にプリンが入るんだ!?

 なんか一つだけ浮いてる気がするんだけど!?


 いやまあ、プリンはわたしも大好きだけどさ。

 しかし、牛乳をそこまで評価していてくれてたとは盲点だった。

 ほとんどあれはわたしのお菓子欲による道楽みたいなものだったからなぁ。


「というわけで、約束通り貴様には褒美を与える。遠慮なく受け取るがよい」

「は、はあ」


 曖昧に返事しつつ、顔が引きるのが自分でもわかった。

 遠慮なくって言われても、一二〇〇貫って約一億四四〇〇万円相当なんですけど……。

 しかも毎年!


 もちろん五公五民で半分は農民のものなんだけど、それでも毎年七〇〇〇万円以上が自動で入ってくるようになるとか、そりゃ怖気づくっての。

 そこまで価値のある仕事をしたって感覚もないしなぁ。所詮、他人のふんどしだし。


 ……よし。


「働きを高く評価してくださり、ありがたき幸せに存じます。されど、わたしのような小娘には一二〇〇貫もの大領を治める器量はまだございません。今の下河原で十分です」

「ほう、なんとも欲のないことよ」


 信秀兄さまが呆れたような声で言う。


 いやいや、五〇貫でも年商六〇〇万円実収入三〇〇万円だから!

 一応、じぃに領地管理のお礼として月一貫文を渡しているけど、それでも年一五〇万円分ぐらいは残る。

 八歳の子供には今でもう十分すぎる額である。


 それに……ただでディスカウントするつもりもない。


「代わりと言ってはなんですが、一つお願いしたいことがございます」

「面白い。聞こうではないか」


 信秀兄さまが楽し気に口の端を吊り上げる。

 一二〇〇貫もの領地を蹴っての願いである。興味が湧いたといったところか。


 そんな信秀兄さまの目を見据えて、わたしは言う。


「結婚相手を選ぶ権利を頂けますか?」


 領地なんかよりも、まずなにより欲しいものがこれだった。

 前回は自粛したが、一億五〇〇〇万円相当の土地を渡すぐらいの価値をわたしの発明に感じてくれているのなら、交渉する余地はあるかもしれない。


 わたしはもう、誰とも連れ添う気はないのだ。

 わたしには、死神が憑いている。

 わたしと一緒になれば、数年のうちに死んでしまうかもしれないのだ。

 わたしなんかの運命に巻き込んでしまうのは、あまりにかわいそうだった。


 非科学的だってことは、わかっている。

 ただの偶然かもしれないって。

 でも、旦那に置いていかれるのはもうこりごりなのだ。


「ほう。そう来たか……ふむ、まあ、いいじゃろう」

「ほ、本当ですか!?」


 わたしは食い気味に確認する。

 言っておいてなんだが、まさかここまであっさり了承してくれるとは思わなかった。

 この時代の大名の姫の結婚は、政略の一つなのに。

 

「ああ。じゃが、条件が一つある」


 ですよねー。

 信秀兄さまはそんな甘いおひとじゃない。

 でも、間違いなく突破口は見えたんだ。突っ込むのみである。


「なんです!? また何か三つ作れ、ですか? それとも五つですか!?」

「あっさりと言うのぅ。まだまだスサノオの知恵はある、ということか。まさにそういうところじゃな」

「え? そういう、とは?」


 キョトンと問い返すわたしに、信秀兄さまは苦笑し、


「おいそれと貴様を他家にやるわけにはいかん、ということよ。要求通り、選ぶ権利はくれてやろう。じゃが、選択肢はわしがこれと見込んだ奴からだけじゃ」


 うぅむ、そう来ましたか。

 八つの女の子が絶対結婚したくないです、というのもなんか説得力ないかなってことで選ぶ権利を欲しいと言ったのだけれど。

 ちょっと裏目に出てしまったかも。


 まあ、自分で言うのもなんだが、わたしの知識はこの時代にあっては宝の山だ。

 織田家当主としての立場から見ると、至極妥当な判断ではある。

 ……ふむ。


「確認ですが、選べると言うことですから、もしわたしが気に入らなければ全て袖にしてもいいんですよね?」


 少し考えてから、わたしは問う。

 そもそもこんな願いをしたのは、結婚しないためである。

 全て断れるのなら、まったく問題はない。


「是非もなし! 好きなだけ吟味し、納得のいく婿を選ぶがよい。貴様の成し得たことにはそれぐらいの価値はある」

「ありがとうございます!」


 がばっと勢いよく、わたしはその場に平服する。


 いやぁ、心の荷が降りたわ~。

 これで自由気ままなおひとり様ライフを満喫できるってもんよ。


 すでに織田家臣へのソロバン指導は、村井貞勝さだかつって超優秀な人がマスターしたんで予定より早いけど後はその人に任せてお役御免だし、聖牛も林さんが担当だし、領地の管理運営はじぃがしてくれてる。

 その他のアイディアも、だいたいはもう実務段階に入っていてわたしの手を離れている。


 去年はけっこう忙しかったし、信秀兄さまの課題もクリアしたし、しばらくはのんびりしようかしら。

 冬の間、炬燵こたつでゴロゴロ寝正月。

 うん、最高ではなかろうか。


「ああ、そうだ。やはり日比津一二〇〇貫は受け取っておけ」

「へっ!?」


 夢の生活に思いを馳せていたら、いきなり冷水を浴びせかけられた。


 待って?

 下河原で人口は六〇人。

 その二五倍の貫高ってことは……単純計算でも人口一五〇〇人!?

 そんな人数の地域の管理運営とか、仕事が激増するのが目に見えているんですけど!?


「そう遠くない未来、間違いなく貴様の名声は近隣諸国に轟こう。ぜひ我が家に、という声も殺到するはず。その時五〇貫より一二五〇貫の大身のほうが断りやすい」

「うっ、確かに」


 姫とは言えすでに一家を構えた重臣を他家にやるわけにはいかないとか言えば、実にいい断り文句である。

 むううう、結婚断るためには仕方ないかぁ。


「わかりました。有難く頂戴いたします」


 まさに苦渋の決断だった。

 こうしてわたしは、下河原・日比津一二五〇貫の大身領主となり――


 ごろ寝正月の夢は泡と消えたのである。

 ちくせう。

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