第十五話 天文十一年(一五四二年)一月上旬『元旦』

「ふあああああ」


 天文一一年(一五四二年)元旦。

 領主になってはや三ヶ月、わたしはこの日を、下河原にある自らの屋敷であくびとともに迎えていた。


 7LDKの平屋の母屋に別途、風呂小屋、牛小屋、鶏小屋、馬小屋、納屋、水車小屋付きで、しめて一五〇貫文。

 信秀兄さまからもらった銭と、加藤順盛殿からせしめた銭の四分の三をつぎ込むとか我ながら何しているんだと思わないでもないが、クオリティオブライフってやっぱ大事である。

 特にお風呂と水洗トイレは必要不可欠!

 現代文明を知る身にはもう、さすがにこれらがないと耐えられないのだ!


「ううっ、さぶさぶ」


 身体を起こした瞬間、部屋の寒さに思わず身体を震わす。

 エアコンが欲しい、切実に。

 まあ、庶民とかはこんなに寒いのに、寝るとき着物をかけてただけってんだからはるかにマシだけど。


 超高級品な綿布団を使える織田家の姫に生まれて良かった!

 この時代、まだ木綿がないのよね。

 今年ちょっと試しにうちの領地に作付けしてみよう。


「とりあえず茶の間に行くとしますか」


 布団を羽織って、わたしはもそもそと寝室を出る。

 あそこには堀炬燵こたつがある。

 多分、ゆきとはるのどちらかがもう起きていて、炭に火をおこしてくれているはずだ。


「おお、姫様、あけましておめでとうございます!」


 茶の間に入ると、じぃが先に炬燵でぬくぬくしていた。

 この家の完成以来、よっぽど居心地がよくて気に入ったのか、彼はこの家に毎日のように入り浸っている。

 屋敷にある客間の一つは、もうすでにじぃの個室と化しているぐらいだ。

 いや、実質この下河原の管理運営をしているのはじぃだから、全然いいんだけどね。


「うん、あけましておめでとう、じぃ。今年もよろしくね」


 わたしも挨拶を返し、もぞもぞと布団の中に足を突っ込む。

 はぁぁぁ、ぬくぬく。幸せだわー。

 炬燵はほんと人類の至宝に認定していいと思う。


「これでわたしも八歳かー」

 掘り炬燵の中で足をぶらぶらさせながら、わたしはなんともなしにつぶやく。

 二一世紀の数え方だと、まだ六歳なんだけど。

 戦国時代は、二一世紀とは年の数え方が違うのだ。


 生まれた時からすでに一歳で、新年を迎えると自動的に一つ年を取る。

 極端な話、一二月三一日に生まれた赤ちゃんは、なんと翌日には生後二日目にして二歳になるのだ。


「ははは、まだお若いお若い。それがしは六四ですぞ」


 人間五〇年とか言われているこの時代にしては、かなりの長生きである。

 でも全然かくしゃくとしているので、ぜひとも長生きしてほしいものだった。


「姫様、あけましておめでとうございます」

「姫様ー、あけましておめでとうございまーす!」


 そこにゆきとはるが朝ごはんを持ってやってくる。

 今日はバター添えのパンケーキにホットミルクである。

 簡素ではあるが、冬場に寒い朝っぱらから長々と炊事させるのはかわいそうだからね。

 朝食はこれぐらいでいいのだ。


 ちなみにホットケーキとパンケーキの違いは、ほとんど砂糖が入っていないのがパンケーキである。毎日がっつり食べるには砂糖は高いのだ!


「あけましておめでとう。寒かったでしょ。ほら、入って入って」

「はい。ではお言葉に甘えて」

「失礼しまーす」


 わたしが炬燵を薦めると、二人もそそくさと入ってくる。

 最初の頃はゆきなんかは主人と同席するなんてと抵抗したものだけど、遠慮しないはるが一人ぬくぬくしている姿に、さすがに耐えられなかったらしい。

 最近ではもう観念したのか、すんなり入ってくるようになった。


 よきかな、よきかな。

 やっぱり一人だけ寒そうにしてると、こっちもなんか居心地が悪いしね。


「おっ、今日のパンケーキ、いい感じじゃない」

「でしょでしょ、最近焼き方のコツがわかってきたんですよー」


 はるが得意げにふふんと鼻を鳴らす。


 実際、お世辞抜きに上達したと思う。

 そこに加えて、卵も牛乳も採れたてで風味も格別!

 このあたりは二一世紀でも味わえない贅沢だろう。

 余は満足である。


「ご馳走様。あー、このままずっと炬燵でごろごろしていたい」


 パンケーキを食べ終え、ホットミルクをすすりつつ、わたしはしみじみと言う。

 でもそういうわけにもいかないんだよなぁ。

 信秀兄さまに年始の挨拶に行かないと。

 いやだなぁ、寒そうだなぁ。


「まったくですなぁ。老骨にこの寒さは染みますわい」


 じぃも隣で憂鬱ゆううつそうに嘆息する。

 ごめんね、まだわたし、一人で馬に乗れないから。

 ほんとは悠々自適な隠居暮らしなのに。


「お勤めご苦労様です、お二人とも。帰ったら鶏鍋を用意しますから頑張ってきてください」

「わ~ん、ゆき、愛してる!」


 感極まり、わたしは彼女の手を取る。

 彼女の鳥鍋はほんと絶品なのだ。

 さっさと行って挨拶して帰ってこよう。そうしよう。


「ふふっ、はいはい、わたしも愛してますよ、姫様」

「なんか平和っすねー」


 そんなわたしとゆきを見ながら、はるがしみじみと言う。


「このまま戦なんてなくて、平和で何事もない日々が続いてほしいっす」

「そうねぇ」


 頷きつつも、その願いが叶えられないことをわたしは知っていた。


 すでに去年のうちに、北の美濃国では守護大名土岐頼芸ときよりあきと謀反を起こした斎藤利政(道三)の争いが勃発ぼっぱつしている。

 戦況は初期こそ土岐氏有利に進んでいたそうだが、最近は斎藤利政が窮地を脱して盛り返してきたとのこと。


 このままいけば史実通り、土岐頼芸が尾張に追放されて尾張に流れてくる可能性は高い。

 そうなれば、信秀兄さまは彼の美濃守護復帰を大義名分に美濃に軍を進めるだろう。


 戦の足音は、すぐそこまで近づいていた。

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