第十四話 天文一〇年十一月中旬『食べ物の恨みは恐ろしい』

「というわけで、ホットケーキの完成でーす!」


 早速ハチミツをかけて口の中に放り込む。


「ん~~~~!」


 思わずほっぺたを押さえて、舌鼓を打つ。

 これよこれ! この味をわたしは求めていたのだ!

 まあ、ベーキングパウダーがないのでちょっとふわふわ感が足りないが、それもご愛敬である。


「じぃも食べてみたら?」


 見ればよだれを垂らしそうな勢いでじぃが見ていたので、一切れを箸でつまんで差し出してみる。


「む、う~~む」


 じぃはなんとも難しい顔で唸る。

 顔にははっきりと食べたいと書いてあるのだが、牛乳を使ったことが気にかかっているらしい。


「さっきも言った通り仏罰なんて落ちませんって。ほら、乳を搾った牛、元気じゃない」

「ふむ、そうですな!」


 それが決め手となったらしく、パクリと食いつき――


「こ、これはっ!?」


 目を輝かせ、無心で噛みしめ飲み込む。


「ふわふわと柔らかく、なんとも不思議な触感ですな! このほのかに甘い生地とハチミツの相性もいい! も、もう一切れよろしいでしょうか?」


 すっかりハマったようである。

 よしよし、この時代の人にもちゃんと美味しいらしい。


「それは構わないけど、ちょっと待ってね。どうせなら別の味も試してみましょう」

「別の味、でございますか」

「はい、次のはキャラメルソースよ」


 これまたホットケーキの定番であるが、


「ふむ、今度は甘くほろ苦い! これもなかなかいいですな!」


 じぃにはこれまた好評である。


「まだまだあるわよ」

「なんとっ!?」

「多分、そろそろ出来ているはず」


 にっこり笑って、わたしは水車小屋に戻り、ひょうたんを取り出す。

 とりあえず、じぃに刀で真っ二つに切ってもらって、水分は別のひょうたんに移す。

 うーん、いちいち切って開けるのももったいないし、専用の容器を作ってもらったほうがよさそうね。

 まあ、それはともかく――


「うんうん、ちゃんと出来てるじゃない。


 ひょうたんの内側や、水分をろ過した布の上に、白い塊が乗っていた。

 これに砂糖をちょっと入れてかき混ぜて、ホットケーキに乗せて早速食べてみる。


「ん~~~♪ やっぱわたしはこっちねぇ♪」


 左頬を押さえつつ、わたしが満面の笑顔を作れば、


「こ、これまた不可思議な食感ですな。なんとなめらかな……しかし、うまい! いや、長生きはするものですな!」


 じぃも破顔一笑である。

 やっぱお菓子って人を幸せにするわね。


「ん?」


 ふと視線を感じ振り返ると、村人たちがじいっとわたしの残り二切れとなったホットケーキを物欲しそうに眺めている。

 あはは、見たこともない食べ物を、こんなにおいしそうに食べてる人達を見たら、そりゃ食べたくなるのが人情よね。

 ん~、この時代だとけっこうな高級料理になるんだけど……まあ、いっか。

 みんなの牛乳への忌避感を吹き飛ばすための第一歩と思えば決して高くはない。


「よぉし、今日は特別! みんなで食べたらもっと美味しい! ほら、女たち、作り方教えてあげるから手伝いなさい!」



  ☆



 秋のホットケーキ祭りの翌日のことである。

 午前の二回の講義を終え、わたしが自室で寝っ転がってゴロゴロしていると、ドタドタと荒い足取りが響いてくる。


「つやーっ!」


 がらっと障子が開くとともに、信秀兄さまに大声で名前を呼びつけられる。


「は、はい! なんでしょう!?」


 思わず飛び起きて、直立不動の姿勢になって答える。


 なになになに!?

 いったいどうしたのよ、わたし何かした?

 身に覚えがまったくないんだけど。


 ……いや、なんか身に覚えしかない気もするな。


「林から聞いたぞ、昨日ほっとけいきなるものを作り皆に振舞ったそうじゃな!」

「え、あ、はい」


 下手に否定したらまずそうなので、コクコクっと頷く。

 うぅむ、もしかして牛乳を使ったのがまずかったとか?

 ちゃんと論破はしたけど、宗教的なことって時々理屈じゃないしなぁ。


「なぜわしに声をかけぬ!?」

「へ?」


 間の抜けた声とともに、わたしの目が点になる。


「作ったものはまずわしに報告しろと重々言っておいたはずじゃぞ!」

「え、いや、でも、ただの手慰みで作ったお菓子ですよ? 信秀兄さまに報告するほどのことでは……」

「やかましい! 秀貞や勝家が言うておったぞ! これまで食べたことのない、不可思議で甘露な味わいであったと! それを聞いたわしの気持ちがお前にわかるか!?」

「えと、つまり、召し上がりたかった、と?」

「その通りじゃ! さっさと用意せい!」


 かつてないほどの勢いである。

 たったそれだけのことで怒鳴りこんできたのか、この人は……。


 いやでも、昔から食い物の恨みは恐ろしいって言うしなぁ。

 ううっ、言いにくい。

 言いにくいが、言うしかないか。


「その、ざ、材料がここにはありませぬ」

「なにぃ!?」


 信秀兄さまの表情の険しさが増す。

 いやいや、だって仕方ないじゃん!

 冷蔵庫なんてこの時代にはないのである。

 いくら秋だって言ったって、牛乳を常温保存とか怖くてできないって。


「下河原に行けばあるのか!?」

「え、ええ、まあ」

「ではすぐに向かうぞ」

「はいっ!? で、でも信秀兄さま、お仕事は?」

「そんなものは全部、林に押し付けておけばよい!」


 ひでえっ、横暴すぎる。

 職権乱用もいいとこでしょ。

 ほんと食い物の恨みは恐ろしいな。


 そしてあれよあれよという間にわたしは下河原へと連れていかれ、ホットケーキを焼かされる羽目になったのだった。


「ほう、これがホットケーキか。確かに美味だな。特にこのバター味が絶品じゃな!」

「でしょう!」


 わたしは思わず食い気味に同意する。

 バターは生クリームをさらに遠心分離機にかけると生成できる。

 昨日は時間もなくて食べれなかったけど、わたしはこれが一番好きなのだ。


「後はこれを」


 そっとホットケーキを食べ終えた信秀兄さまの前に、湯呑みを一つ置く。

 だが、中に入っているのはお茶ではない。


「おう、気が利くのうって、なんじゃ、これは?」


 信秀兄さまが訝しげに眉をひそめる。

 わたしは澄ました顔で言う。


「プリンでございます」


 実はこれも昨日、作っておいたものである。

 ただ熱したものを冷ますには時間が足らず、今日食べるつもりだったのだ。

 ほんとはじぃ用のなんだけど、信秀兄さまに食べさせとかないと後々めんどくさそうだしね。

 ごめんね、じぃ。


「このレンゲですくってお食べください」

「う、うむ。……なんじゃこれはっ!?」


 一口食べた瞬間、信秀兄さまがカッと目を見開き、大声を上げる。

 その身体がわなわなと震えていた。


「こ、これこそが天上の甘露であろう! この世にこんな美味いものがあったのか!」


 おおっ、なんか凄い大絶賛が来ましたよ。

 パクパクパクパク、レンゲをすくう手が止まらない。


「おい、お代わりはないのか!?」

「…………一つだけあります」


 苦渋の決断である。

 わたしの分だったが、仕方がない。

 わたしはいつでも食えるが、信秀兄さまは忙しいしね。


「しかし、牛の乳にこれほどの可能性が秘められておったとはな、盲点じゃったわい」


 ゆきがプリンを取りにいている間、食後のお茶をすすりながら、う~むと信秀兄さまが唸る。

 戦国時代は小氷河期であり、寒冷な気候が続いたせいで農作物の生産量ががくんっと落ち込んでいた。

 そんな食糧難の時期に、農耕用にいっぱい牛を飼っているにもかかわらず、その乳を迷信から食用していなかったなんてのは、確かにあまりに勿体ない話である。


「ええ、栄養も豊富で腹持ちもいいです。また、子牛の胃袋と発酵が必要なので今日お出しすることはできないのですが、チーズというものにすれば保存が効き、良い兵糧食になります」


 実際、西洋の方では、チーズはメジャーな兵糧食である。


「なんと! まさか兵糧食も作れるのか!?」


 信秀兄さまが驚きに目を丸くする。

 兵糧の問題は、戦国大名なら皆、頭を悩ませる問題である。

 そこにも寄与するとなれば、相当有難いはずだった。


「牛の乳とは実に天晴な万能食じゃな!」


 すっかり牛乳のとりこになってしまったようだった。

 感心しきりである。


 その後、おかわりのプリンも平らげ、信秀兄さまは慌ただしく帰路につく。

 なんだかんだで多忙な方なのだ。


「実に興味深く、また美味であったぞ、つや」


 とりあえず満足したようで、信秀兄さまの機嫌はすっかり治ったようだった。

 お褒めの言葉を残して、ほくほく顔で帰っていく。


 よかったよかった。

 これで一件落着である。

 さて、改めて自分用のプリンでも仕込むとしますかね。


「「姫様! わたしたちにもなにとぞプリンを!」」


 ゆきはるよ、お前らもか!

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