第十三話 天文一〇年十一月中旬『お釈迦様が食したもの』

「ひ、姫様、お止めください! 御自らそのような……っ!」


 早速乳を絞ろうところ、じぃに悲鳴を上げられた。


「え? でもみんなやりたがらないでしょ。先ず隗より始めよって言うじゃない」


 あっけらかんとわたしは言う。


 二一世紀では普通に出回っている牛乳だけど、実は明治に入るまで、日本ではまるで飲まれていなかったりする。

 牛がいなかったわけではない。

 平安時代ぐらいまでは普通に飲まれてたらしいのだが、鎌倉時代ぐらいからある理由でそういう文化がなくなってしまったらしい。


 当然、乳絞りなんてした人もいないわけで。

 忌避感もあるだろうし、そりゃもう言い出しっぺがやるのが筋というものだろう。


「そ、そもそもそんなものをどうするおつもりで!?」

「食材です」

「はっ!? はああああああああっ!?」


 わたしの端的な答えに、カクーンとじぃの顎が落ちる。

 そこまで驚くほどのことだろうか?

 まあ、そうなんだろうなぁ。


「い、いけませんぞ、姫様! 牛の乳を飲んでは仏罰が下りますぞ!」


 こういうしょーもない理由で。

 んなこと言ってたら、二一世紀だけでも一億人ぐらい仏罰が下ってそうである。


 殺生がいけないというのは、仏教的にまあわからないでもない。

 ただなんかそこから派生して、牛乳もよくないということにいつの間にかなったらしい。

 正直なんで!? と不思議に思うんだけど、戦国時代、日本ではまじでこういう理由で牛乳がまったく普及していなかったのは事実である。


 だからこそ、わたしは言いたい。


「仏罰って、お釈迦しゃか様だって乳粥食べてますけど?」

「な、なんですと!?」


 じぃが驚きに目を丸くする。

 やはり知らなかったか。


「お釈迦様が苦行を自らに課していた時、村の娘から差し出された乳粥に命を救われたそうです。そして苦行では悟りを得られないと知ったのだとか。沢彦たくげん和尚に尋ねられてもけっこうですよ?」


 前になんかテレビ番組で見たうろ覚えだけど、釈迦の苦行放棄のきっかけとしてけっこう有名なエピソードらしい。

 ちなみに沢彦和尚は、けっこう偉いお坊さんで、信長の教育係として有名なひとであり、岐阜という地名の名付け親でもある。

 

「む、むむぅ」

「あと、醍醐味だいごみって言葉、知ってますよね」

「それはもちろん。本当の面白さとか、そういう意味ですな」

「それ、語源は仏教の経典からで、牛の乳から作ったものが由来ですよ」

「なっ、ま、真にございますか!?」

「ええ、さすがにどの経典からかは失念しましたが、『牛より乳を出し、乳より酪を出し』……後なんだったかな。とにかく最後は醍醐を出すそうです。で、その醍醐を食べたら、病は皆除かれる。と書かれております。だから醍醐味、なんです」


 これもテレビの受け売りである。

 わたしが実際に経典を読んでみたわけではない。

 でも、醍醐味の語源がこうなのは確かである。ググって調べもしたし。


「開祖のお釈迦様の命を救い、経典にも有難い食べ物と乗ってるものを食べて、仏罰が下るなんて思えないのですが?」

「む、むむむ、ま、参りました。姫様はまっこと博識でいらっしゃる」

「スサノオノミコト様の神託です」


 年齢的に知ってるとおかしいことは、全部これで押し通す所存である。

 神道と仏教じゃ管轄が違う?

 細かいことはいいんだよ!


「というわけで、乳を搾ります」

「だからお待ちください!」

「まだ何か?」


 わたしは少し苛立たしげに返す。

 お菓子食べたいんだから、さっさと搾らせてほしいんだけど?


「さすがに危のうございます。これ、そこの。お前が絞れ」

「は、はい」


 じぃに杖で指名され、村人の一人――茂助が返事する。

 さすがにちょっとかわいそうだった。


「別に構いません。わたしが言い出したことですから」


 わたしがそう言うも、


「い、いえ! ひ、姫様にやらせるぐらいならお、おらがやります! ひ、姫様はそちらで待っていてくだせえ!」

「この者の言う通りです」

「むぅ」


 わたしはじぃに強制的に引き離されてしまった。

 後でこの事が信秀兄さまにバレたら怒られる、村が潰されるとか考えたのかな。

 もちろん、そんな事はさせないんだけど、彼らからしてみたら怖いわよね。

 ちょっと申し訳ないことをした。


 でも、ごめんね。どうしても牛乳が欲しいのだ。

 ちなみに、日本の在来牛は農耕用の役用牛だ。

 筋肉質で肉質はよいが、乳の出はあまりよくない。

 二一世紀では一般的な乳牛ホルスタイン種が一日二〇リットルに対し、その四分の一の五リットル程度。

 まあ、でもとりあえず、私用に使う分にはまったく問題ない。


「と、とりあえずこんなもんでよろしいでしょうか?」


 しばらくして、茂助が桶いっぱいの牛乳を差し出してくる。

 うん、こんだけあれば大丈夫だろう。


「弥兵衛、それを持ってついてきて。悪いけど、茂助はもう一杯よろしく。後でいいものあげるからがんばって」


 そう言って、次にわたしが向かったのは村長の家である。


「村長! かまど借りるわよ」


 声をかけるや、わたしは許可も待たずにスタスタとかまどへと向かう。

 村長の家は雨が降って帰れなくなった時などに、もう何度かわたしの仮宿にさせてもらっているのだ。

 もはや勝手知ったるというやつである。


 消壺の中から焼けた炭を火箸で取り出し、かまどの中に藁と一緒に放り込む。

 火種をいちいち作るのは大変だからね。

 前回の火をしっかりとっておく生活の知恵である。


「加熱殺菌消毒っと」


 桶から鍋に移し替え、火であぶる。

 低温殺菌がいいとは言われるが、かまどでそんなコントロールはむずい。

 とりあえずぶくぶくっと沸騰しかけたあたりで火から離し、それを漏斗でひょうたん水筒に移し替え、きっちり蓋をして密封する。


 そして向かうのは水車小屋である。

 名工岡部又右衛門おかべまたえもんさんに作ってもらった私用の特注品、いわゆる水力の遠心分離機だった。

 さすがに電動のに比べればかなり遅いけど、人力でやるよりはるかに楽である。

 その桶の一つにぽいっとひょうたんを放り込む。


「さぁて、とりあえず半刻ほどで様子見かな」


 うんっと満足げにうなずき、わたしは再び村長の家へと向かう。

 次に取り出したるはフライパン。


 戦国時代にそんなもんあるかって? いやいや、なければ作ればいいのだ。

 加藤さんに腕のいい鍛冶職人を紹介してもらって特注した逸品である。


「こちらに砂糖と水をしっかり測ってまず入れて、と」


 分銅による天秤でしっかり測って入れる。お菓子作りで目分量は厳禁だ。


 ちなみに砂糖は現時点では日本で採れないので、明国(中国)からの輸入品に頼るしかない。

 一斤二五〇文、二一世紀換算すると、なんと六〇〇グラム三万円!

 一キロ五〇〇円を知ってる身からするとふざけた値段としか言いようがないが、背に腹は代えられぬ。


 なぁに、今のわたしの総資産は二〇〇〇万円オーバーだ!

 これぐらいどうってことはない。

 甘味がわたしを呼んでいるのだ!

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