第十二話 天文一〇年十一月中旬『甘いものが食べたい!』
「甘いものが食べたい」
下河原の領主就任からはや一ヶ月が過ぎようとしていた頃である。
この一ヶ月、午前二回、正午から一回という一日三回のソロバン塾に、新商品の開発とそこそこ忙しく頑張ってきたつもりである。
机上の空論と実地はやっぱり違っているので、開発は試行錯誤の連続だ。
頭を使いまくる。
ストレスが溜まりまくる。
そう、今のわたしには糖分が足りていないのだ!
「ではようかんでも切って参りましょうか?」
はるがそう言って立ち上がるも、
「ようかんは飽きた」
わたしはふるふると首を振る。
いや、ようかん好きなんだけどね。
さすがにこう頻繁だと、ね。
「では干し柿を……」
「ううっ、それももう飽きた~」
わたしが今欲しいのは、そういう重たい感じの甘みじゃないのよ!
わたしの身体が、舌が欲しているのは、白砂糖のすっきりとした甘みなのだ。
いや、わかっている。
わかっているのだ、この時代に洋菓子などないということぐらい。
だが、あの甘さに慣れてしまった身としては、もう元には戻れないのである。
「姫様、成宗様がいらっしゃいましたよ」
そんな感じでもんもんしていたら、ゆきが呼びに来た。
もうそんな時間か。
「はーい」
ささっと準備して、じぃとともに馬で領地へと向かう。
なんか毎日毎日送り迎えさせて申し訳なく思うんだけど、
『なぁに、すでに隠居して暇な身ですからお気になさらず。良い暇つぶしですわい。姫様はやることなすこと奇想天外で、見ていて飽きませぬからな』
とのことである。
まあ、本人が楽しそうならなによりである。
半刻ほど走ると、
川の中には木造の三角錐のようなものが三つほど並ぶ。
これが例の聖牛である。
そしてその周辺には、武士たちが難しい顔で話し合っていた。
すでに聖牛のことは信秀兄さまに報告済みである。
下手に使えば、水の流れを変えて対岸の堤防をぶっ壊したりするらしいので、後々問題になって叱られるのはさすがに怖い。
作るだけ作って、後はもう治水の専門家に任せることにしたのだ。
もうちょっと簡易版の「牛」はすでにこの時代にもあるみたいだしね。多分、なんとかしてくれるだろう(他力本願)。
「おお、おつや様。ご機嫌麗しく」
武士のうちの一人がこちらに気づき、親し気に声をかけてくる。
二〇代後半ぐらいの生真面目そうな、でもひょろっとしてちょっと弱そうな青年である。
「ああ、林殿。お仕事お疲れ様です」
わたしはわざわざ馬を降り、深々と頭を下げる。
若くてひ弱そうだからと侮るなかれ。
彼こそ林
現在、織田弾正忠家の家臣の中で一番偉い人なのである!
某ゲームだと、織田家が割れた時に信長の弟の信行についたことや、一五八〇年に信長に追放された件が響いたのか、いまいち渋いステータスの人物だが、わたしに言わせれば彼のこの評価は不当もいいところだった。
ちょっと考えてみてほしい。
あの能力主義の信長に一度は帰参を許され、その後二〇年以上に渡り筆頭家老として重責を担わされてきた人物である。
後継者である信忠付きの家老も任されている。
無能のはずがない。むしろ超優秀と言っていい人物だった。
「この聖牛、まだまだ研究が必要ではございますが、なかなかに面白うございますな!」
興奮した様子で、林様はペラペラペラペラと熱っぽく語り始める。
うん、何言ってるのか正直全くわからない。
まあでも、治水に凄く詳しいというのは伝わってくる。
し、しかし、いつ終わるんだ!?
さすがに筆頭家老の話を打ち切るわけにもいかないし……
「林様、姫様にもご用事があってこちらに参ったはず。あまり引き留めるのは……」
途方に暮れかけたその時、すっと割り込んできて助け船をくれたのは、勝家殿である。
林殿の与力として、彼も治水作業に従事しているのだ。
た、助かったぁ。
「あ、ああ、すみません。つい治水の話になると我を忘れて……」
ポリポリと頭を掻きながら、林殿が所在なさげに頭を下げる。
オタク気質だという自覚はあるらしい。
「いえ、仕事ではそういう方が一番頼りになります」
お世辞ではなく、本音である。
好きこそものの上手なれ、だ。
「ははっ、そう言っていただけると助かります」
「ただ、すみません。領内も見て回りたいので今日はこのあたりで」
ペコリと頭を下げ、その場を後にする。
ちらりと勝家殿にも目を向けて、助かった、ありがとう、の意を込めて小さく頭を下げる。
あっちも気づいたのか、一礼してくれた。
パッと見は言葉少なめで不愛想だけど、やっぱ凄いいいひとだよなぁ。
「さて、今日の領地の様子はっと」
そんなこんなで領地に足を踏み入れると、今度は生きた牛が出迎えてくれた。
「あー、そういえば今日だったっけ」
先日、牛小屋と放牧用の柵が完成したので、加藤さんから五匹ほど買い付けたのだ。
どうやらそれが今日、届いたらしい。
これがわたしの河川敷利用法である。
枇杷島川方面の河原には雑草が生い茂っている。それはもうぼうぼうに生い茂っている。
いつ洪水になるかわからないから農業にはあまり向かないが、天気のいい日はその辺で牛を放牧し、この雑草を食わせるぐらいは全然問題ない。
そうすれば餌代もかなり浮くという寸法だった。
「ふ、ふふふ、ふふふふふっ!」
思わずわたしの口から笑い声が漏れる。
これが笑わずにいられようか、いやいられない。
両拳を天に衝き、わたしは魂の咆哮をあげる。
牛が、念願の牛がついに来たのだ。
「これで、これで、これでぇぇっ! これで洋菓子が食えるぞぉぉぉっ!!」
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