第七話 天文一〇年一〇月中旬『未来チート第一弾!』

「姫様、できやしたぜ!」


 ゆきの夫、岡部又右衛門おかべまたえもんがソレを持ってきたのは、熱田観光をした一週間後の事だった。


 聞いてびっくりしたのだが、岡部又右衛門と言えば、あの信長の居城、安土城を作った大工の棟梁の名である。

 それがまさかわたしの女中の旦那だったとは……。

 世間は狭い。


 このコネを使わぬ手はないと、あるものの製作をお願いしたのだ。

 それがどうやら完成したらしい。


「へえ、ちょっと見せてもらえる?」

「へい」


 早速、差し出された物を手に取って、確認してみる。

 うん、形はほぼわたしのイメージ通りね。

 ちょっと玉の形が粗いけど、そこは仕方ないだろう。


「じゃあ、後は実用に耐えられるか、ね」


 早速、前もって用意していた紙を見ながら、動かしてみる。

 パチパチパチパチ……。

 うん、問題ない。耐久性に関してはまだ要検証、改良の余地があると思うけど……


「ほぼ完璧よ、これぞわたしが求めていたものだわ! 約束の報酬よ」


 言って、わたしはパチンっと指を鳴らす。

 はるが頷き、しずしずと糸つなぎの銅銭の束を持ってきて、又右衛門の前に置く。


「約束通り、報酬の一貫文よ」


 二一世紀の貨幣価値に直せば、一文一二〇円ぐらいだったはずなので、一貫文が一〇〇〇文だから、ざっと一二万円といったところか。

 これ一つにその値段はちょっと割高ではあるんだけど、わたしの描いた下手な図案を実際の形にするにはいろいろな試行錯誤があったはず。

 その手数料込みの値段である。


 まあ、七歳の女の子にはけっこうな大金だったのだが、わたしも一応は大名家の姫様である。

 手持ちの着物を一着も売れば、これぐらいは簡単に用立てることができるのだ。


「おおっ、有難く頂戴いたします」

「なかなかいい仕事だったわ。また何かお願いするかもしれないから、その時はよろしくね」

「へい、よろこんで。今後ともごひいきに! ゆき、いい仕事紹介してくれてあんがとよ!」


 又右衛門は揉み手で頭を下げて、愛妻にも笑顔で声をかけて、一貫文を抱えてほくほく顔で帰っていく。

 まあ、一週間で一二万円の収入だからね。

 割のいい仕事だったのだろう。


 さぁて、後はこれを……


「ん? なんじゃそれは?」

「っ!?」


 突然、ひょいっと現れた信秀兄さまに、わたしはびくっと身体を強張らせる。

 ゆきとはるも驚いた様子で、その場に平伏する。


「の、信秀兄さま、ど、どうされましたか?」


 若干挙動不審気味にわたしは問う。

 だって仕方がないだろう。

 これまで信秀兄さまがわたしの部屋を訪れることなど、一度としてなかったのだから。


「ん~、ほれ、先日、吉法師がおぬしに乱暴しおったじゃろう。顔に痕などが残っておっては大変じゃからな」


 一見わたしを心配した優しい言葉に聞こえるが、違う。


 大名家の娘は、政略結婚の道具である。

 顔に痕など残れば、その価値は大きく下がる。

 それを確認に来たということだ。


 もっともその無情を責めるつもりはない。

 一国を預かる大名として、その冷酷な判断力は必要なものでもあるのだから。


「ご安心ください。この通り、まったく痕など残っておりません」

「で、あるか。それはよかった。これは息子の不始末の詫びじゃ」


 信秀兄さまは、畳にスッと櫛を置く。

 光沢のある黒に金の鳥が描かれた、なんとも高そうな櫛だ。


 きっとこれ一つで、一貫文ぐらいするのだろう。

 これで水に流せ、といったところか。

 だが、そうは問屋が卸さない。


「わざわざありがとうございます。ですが、あの程度でこんな高価なものは頂けませぬ」


 スッとわたしは櫛を信秀兄さまのほうへ押し戻す。

 目上の者が下賜した物を突き返す。

 無礼以外の何物でもなく、信秀兄さまもムッと顔をしかめる。


「気にするな。こういうものは黙って受け取っておくものだ」

「いえ。お詫びというのであれば、これを見て頂くだけで十分にございます」


 言ってわたしは、又右衛門の持ってきてくれたソレを目の前に置き、


「これはソロバンと申します。神託により素戔嗚尊すさのおのみこと様よりお教えいただいた道具にございます」


 そう、これがわたしの考えた、商品第一段であった。


 尾張は商業の盛んな地域だ。

 しかし、どれだけ熱田の町を見渡しても、ソロバンを使っている様子はない。


 そりゃそうだろう。

 一応、すでに日本に伝来こそしてはいたのだが、実際に民衆の間に普及したのは豊臣秀吉の時代、明に留学して算術を学んだ毛利重能もうりしげよしが京都にそろばん塾を開いてからである。

 物自体はあっても使い方がわからねば広まる道理はない。

 つまり、現時点では五〇年ぐらい時代を先取りした代物だった。


「ふむ、つまり祭器か」


 あからさまに興味のない様子で、信秀兄さまは言う。

 このあたりはやっぱり信長の父親というか、合理的で現実的なひとなのだろう。

 わたしはふるふるっと首を振り、


「いえ、これは計算をするためのものでございます」

「計算、とな?」

「はい、論より証拠。こちらを」


 言って、わたしは一枚の紙と筆を信秀兄さまに手渡す。


「こちらにお好きな数字を一〇個、適当に書いてくださいませ。わたしは後ろを向いておりますので、書き終わったら読み上げてください」

「ふぅむ、まあ、よかろう。余興に付き合ってやる。……よしできたぞ、九、六、二、七、五、一、七、三、八、十」

「五八」


 信秀兄さまが読み上げるのとほぼ同時に、わたしは答えを言い放つ。

 まあ、ソロバンがあれば造作もないことである。

 というか実は、これぐらいなら頭の中のソロバンを弾いて暗算でできるのだが、そこはデモンストレーションだ。


「……むう、正解じゃな」


 信秀兄さまが紙を使って計算し終えてから、難しい顔で唸る。


「十や百単位の計算でも、ほぼ同じ速さでできますよ」

「っ!? 真か!?」

「ええ、このソロバンを身に着ければ、造作もないことです」

「ふぅぅぅむ」


 信秀兄さまがソロバンを凝視しつつ唸る。


 領地経営なんてやっていれば、計算とは切っても切れない関係だ。

 その頭の中では、ソロバンが使える場所が次々と思い当たっているはずだ。


「……うむ、大したものじゃ。よくやったぞ、つや!」


 ぽんっと頭に手を乗っけられ、ぐしゃぐしゃっと撫でられる。

 女の子の頭を! とも思ったのだが、一方で胸の奥と目がしらがジンっと熱くなった。


 ……お父さんに褒められるってのは、もしかしたらこういうものなのかもしれない。

 前世でも前々世でも、わたしにはいなかったからなぁ。


「これを官吏たちに習得させれば、領内統治も大幅に捗ろう。戦の時にも兵糧や人員の計算に役立ちそうじゃ」

「はい、仰せの通りかと思います」

「どれぐらいで習得できる?」

「二桁の足し算引き算ぐらいでありましたら、一日半刻(一時間)ほどの鍛錬で、一ヶ月ほど。掛け算割り算を含めれば半年ほどでしょうか。わたしがそうでしたので」

「ほう、素戔嗚すさのおのとこで習っていたのか?」

「はい」


 しれっとわたしは嘘をつく。

 もちろん、普通に現代でソロバン塾で習いました。

 だがここは嘘も方便である。


「よし、では早速、明日から何人かお前のところに回す。叩き込んでくれ」

「…………それは構いませんが、報酬はいかほど頂けますか?」


 ちょっと言うかどうか迷ったのだが、結局言うことにした。

 前世では安い給料でこき使われたし、サービス残業もしこたまやらされた。

 ただ働きは死んでもごめんである。


「…………」


 信秀兄さまがパチパチっと目を瞬かせる。


 もしかして、怒るか?

 前世だとけっこういたんだよなぁ。無料でやるのが当たり前で、金がかかると知ると怒り出すやつ。

 他にもいきなりお金のことを持ち出すなんて意地汚いやつとかあさましいとか言うやつ。

 正直、くそくらえって思うけど、そういう上司に責められたことが何度もあるのだ。


 信秀兄さまがもしそうだったら、と内心びくびくものだったのだが、


「ふっ、ふはははは、そうじゃな! これほどのこと、ただというわけにはいかぬな」


 どうやら杞憂きゆうだったらしい。

 まあ、尾張は商業の盛んな土地で、信秀兄さまはその財を掌握してのし上った人だからね。

 そのあたりの目端はきちんとつくのだろう。


 ふう、でも安心した。

 これが現状、わたしにとっては唯一の収入源だったのだから。


「そうじゃな。一日一貫文でどうじゃ?」

「っ!?」


 い、一貫文!?

 つ、つまり日給一二万!?


 さすがは大名、な、なんて破格な条件だ。

 とはいえ、そう安易には食いつかない。

 おいしい話には裏があることも多いからね!


「一日とは具体的にいつからいつまででしょうか? 朝から晩までとなるとさすがにきついです」


 いくら日給がいいといっても、あんまり時間を拘束されるのはごめんである。

 他にやりたいこともあるし、のんびりする時間だって欲しい。

 わたしは単純な金銭の多寡より、クオリティオブライフを重視する人間なのだ。


「ふむ、しっかりしとるのぅ」

「この辺でふわっとしてると、後でモメる元ですので」

「ふっ、一理ある。なら……そうじゃな。あんまり一度に詰め込んでも覚えられるものでもなし。一回の講義は半刻(一時間)、午前と午後の二回でどうじゃ?」

「……え?」


 思わずわたしの口から間の抜けた声が漏れた。

 そんだけ? たったそんだけでいいの!?


「なんじゃ、何か不満があるのか?」

「いえ、それでよろしゅうございます」


 下手に値引きされる前に、とっとと請け負うに限る!

 一日二時間で一二万円とか、時給六万!

 うわぁ、ボロいなぁ。むしろぼったくりじゃね?


 けど提示してきたのは信秀兄さまだしね。

 もらえるもんはもらう主義である。

 いやぁ、儲かった儲かった。


「さて、それとは別に褒美もやろう」

「褒美、ですか?」

「うむ、このソロバンは、間違いなくこの尾張を潤わすじゃろう。たいていの願いなら聞いてやるぞ」

「えっ!?」


 た、たいていの願い事!?

 今一番わたしが欲しいものと言えば、それはもちろん結婚の自由である。

 だがこの戦国の世、武家の女の最大の役目は、結婚し有力な家と実家との結びつきを強めることである。

 それが織田家にもたらす莫大なメリットとソロバン一つではまだちょっと釣り合わない気がする。

 まだ了承してもらえる可能性は低い。


 なら今のわたしに一番必要なものは――

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