第八話 天文一〇年一〇月中旬『私の望む褒美は』
「では、
考えに考え抜いた末、わたしは願い出る。
この尾張で加藤と言えば、加藤清正が有名だが、そもそもまだ生まれていない。
その関係者……でもまったくない。
むしろ関係があるとしたら、徳川家康だ。
まだちょっと先の話になるけれど、徳川家康が家臣の裏切りに遭い、この尾張で人質生活を送っていた時、その身柄を預っていたのがこの人である。
まあ、今のわたしにはそんなことはどうでもいいんだけどね。
彼の名を挙げたのは、別の理由である。
「ほう、なるほどの。こいつを売りさばくつもりか」
私の申し出に、信秀兄さまが楽し気に口の端を吊り上げる。
そう、今のわたしにとって重要なのは、彼が熱田を取り仕切る豪商だ、ということだ。
世知辛いことに、たとえどんなにいい物を作ったとしても、売れるとは限らない。
販売戦略や販売網、ブランド力などなどが重要となる。
塾とかも同時並行する必要があるだろう。使い方がわかって初めてその利便性が分かる商品だし。
そんな諸々を考えると、今の何も持っていないわたしがやるより、熱田一の豪商に取り仕切ってもらってマージンを取ったほうが、はるかに楽だし売れるし儲けが出る、と判断したのだ。
「確かにせっかく作ったのだ。売りたいというのは道理である。だが待て。大名としてそれは容認できん」
眉間にしわを寄せ、難しい顔で信秀兄さまはわたしのお願いを却下する。
「なぜでしょう?」
「これが広まれば、やがて近隣の大名家にも伝わるじゃろう。今、他家に栄えられては困るのだ」
なるほど、信秀兄さまは近隣の土地を戦って奪い取る拡大戦略をとっているし、敵が強くなってはそれもおぼつかなくなる。
それは困るということだろう。
だが、それはすでにわたしも想定済みの問いだった。
「問題ありません。ソロバンを普及させれば、最も儲かるのは信秀兄さまです」
「ほう?」
信秀兄さまが、興味深そうに目を光らせる。
「商人たちは目ざといものです。このソロバンの価値を理解し、こぞって手に入れようと集まってくるでしょう」
「じゃろうな」
「ソロバンを身につけるため、尾張に滞在もするでしょう」
「そこで、尾張にさらに金が落ちる、という寸法か」
「しかりでございます」
「だが、それは一年かそこらであろう? 一国の大名たるもの、長い目で見ねばならぬ」
「それも問題ありませぬ。信秀兄さまは熱田、津島と二つの大きな港町を押さえております。ソロバンが普及し商売が盛んになれば、確かに他家にも恩恵はありましょうが、信秀兄さまの利益はそれ以上のものになるかと」
「ふむ。他家に益をもたらしても、相対的にわしのほうが力がつく、か」
「しかり」
わたしは頷く。
さすがは信秀兄さまである。こちらの意図をあっさりと理解する。
打てば響くとはこのことだった。
「……ふむ、筋は通っておるな」
ふうっ、信秀兄さまも納得してくれたようである。
良かった良かった。
せっかく作ったのに、大っぴらには売れないとかなったら泣くわ。
「むしろ通り過ぎておる。弁が立ちすぎる。先に会った時から違和感は覚えておったが、決定的じゃな。とても七つの童の言とは思えん」
「あっ……」
思わず絶句して二の句が告げなくなる。
しまったぁ!
そういえば今のわたしってまだ七歳なんだった。
しかも数え年だから、実際は六歳、幼稚園年長の年である。
ついうっかり以前の感覚で話していたけど、これは確かに怪しい。
てか怪しいを通り越してこれはもう気味が悪い。
もう少し自重すべきだったか?
「おぬし、何者じゃ? つやではあるまい? 素戔嗚の遣いか? それともそれを語る化け物の類か?」
信秀兄さまがじっとこちらの目を覗き込み、問うてくる。
先程までの可愛い姪に向ける優しい目ではなく、鷹のごとく鋭く厳しい乱世を生き抜く戦国大名の目であった。
(どうする? どうする!?)
向けられた疑いの目に、わたしは必死に考えを巡らせていた。
これもしかしなくても、けっこうヤバくない?
ここで化け物だと判断されたら、本物の姫と入れ替わった不埒者として処刑される?
まさか……また逆さ磔の刑とか?
いやだ! あれだけはもう二度と絶対ごめんだった。
わたしは緊張と恐怖からゴクリと唾を飲み込み、慎重に口を開く。
「わたしは、間違いなくつや本人でございます。信秀兄さまの父上、信定の娘の。ただ……」
「ただ?」
「
今さら神託なんて嘘でーすとは言えないので、とりあえず即興で思いついたことを口にする。
とは言え、あながち嘘というわけでもない。
二一世紀の文明は、今の時代から見ればまさに神々の世界のようなものだろう。
若い肉体に引っ張られているのか心も若返ってる感じはするけど、わたしがすでに前々世、前世と合わせれば五〇歳を超えているというのも確かだ。
なにより、こういうのはあんまり嘘をつかないほうがボロが出にくいものだし、ね。
「ふむ、五〇年か。にわかには信じられんが、今のおぬしが異質であることは確かじゃ。とりあえず仮にそれが正しいとして、五〇年も素戔嗚の下におったのなら、これ以外にも何か教えてもらっておるのではないか?」
言って、ジャラジャラっとソロバンを振りながら、信秀兄さまはじっと探るようにわたしの目を見据える。
ううっ、完全に見透かされてるような気がする。
これは後々のためにも、下手に言い逃れはしないほうがいいだろう。
「はい。左様にございます。まだ人が知り得ぬものをいくつかお教え頂いております」
「ふむ、たとえば?」
「しいたけの栽培法などでしょうか」
「ほう!」
信秀兄さまが興味津々にその目を輝かせる。
このあたり、熱田と津島の経済力を基盤にのし上がっただけに、利に敏い。
椎茸といえば二一世紀では一パック二〇〇円、安い時には一〇〇円で売られていたりする安価な大衆食材だが、この時代ではまだ栽培法が確立しておらず、二一世紀における松茸並の高級食材なのだ。
前世で普通に一般庶民の食卓にポンポン出てきたときにはびっくりしたものである。
「吹かしではあるまいな?」
「誓って」
「他にもなにかあるか?」
「あるにはありますが、言葉では説明しがたく。実際に作ってお見せするほうが早いかと」
「どれぐらいかかる?」
「さすがにすぐというわけには。それなりの広さの土地と人手、相応の先立つものも必要ですし」
ソロバンであれば又右衛門さんのところで受注生産してもらえばいいし、しいたけぐらいであれば、その辺の軒先でそこそこ大量生産も可能だが、例えば火薬とかになるとそうはいかない。
火薬の原料である硝石の生成には糞塚を作る必要がある。
まあ、あんな危険なもの、作る気ないけど。
とりあえずはソロバンやしいたけを売って、そのお金でどこかに土地を借りて、って感じかな? いったいどれだけかかることやら。
「ふん、なるほど。もっともである。よかろう。つや、貴様に五〇貫ほどの土地を与える。別途、当座の資金として銭一〇〇貫文もつけてやろう」
「……へ?」
わたしの口から、なんとも間抜けな声が漏れる。
今このひと、なんて言った?
「なんじゃ、これではまだ足りぬと申すか?」
「い、いえいえいえいえ! じゅ、十分にございます! ま、まさかそんなに過分の物を頂けるとは想像しておらず……」
「ふん、このソロバンとやらは、なかなかの品じゃ。シイタケも興味深い。他にもあるというのなら、投資してみるのも悪くないと思ったまでじゃ。大した額でもないしな」
いやいやいやいや!
五〇貫の土地って石高で言えば一〇〇石、現代貨幣価値にすれば年商六〇〇万円ですよ?
それに加えて当座の資金として一二〇〇万円!
とんでもない額でしょ、どう考えても!?
……まあでも一国の大名としてみれば、決して高くもない、か。
今の信秀兄さまはその所領の貫高だけを観ても七万貫、さらに別途津島や熱田から上がってくる金は一三万貫を越えるという。
計二〇万貫、現代貨幣価値にするとなんと年商二四〇億円!
そんな信秀兄さまからすれば本当にこの程度、端金に過ぎないんだろうな。
う~ん、経済感覚が違い過ぎる。
「だが、ただでやるつもりはないぞ」
あ、やっぱり。
そんな甘くもないですよね。
いったいどんな条件を突きつけられるやらとわたしが戦々恐々とする中、信秀兄さまはピッと指を三本立て、
「三年じゃ。三年以内にこのソロバン並みのものを三つ用意せよ。一つも作れなければ領地は召し上げじゃ。逆に結果を出せば、加増も考えよう」
「へ……?」
た、たったそれだけ?
な~んだ、その程度か。ビビって損した。
「なんじゃ、さすがに難しいか?」
「い、いえ! か、必ずやご期待に応えてみせます! 頑張ります!」
慌ててわたしは声を張り上げる。
こんだけの資金に三年もあれば十分すぎるぐらいに勝算あるし、これを受けない手はなかった。
こうしてわたしは七歳にして領主(仮)になったのである。
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