第六話 天文一〇年一〇月上旬『鬼柴田の本気』
「へえええ、ここが熱田かぁ!」
目が輝いているのが、自分でもわかった。
熱田――
信秀兄さまの居城、古渡城から南に徒歩で半刻(一時間)ほどのところにある、三種の神器の一つ草薙の剣が奉納された熱田神宮の門前町にして、伊勢湾に面した港町である。
東海道でも三指に入るほどに栄えた大きな町で、織田家の分家筋であり奉行の一人に過ぎなかった信秀兄さま――織田信秀が、今や主家を上回るほどに強大な勢力を誇るまでになったのは、この熱田と津島という二つの商業港を押さえたことで得られる潤沢な資金のおかげだったと言われるほどだ。
勿論、二一世紀の東京とかと比べると、人混みは大したことはないのだが、なんというのだろう、掛け声があちこちから飛び交い、まるでお祭りのような活気が、この町には満ち満ちていた。
「よし、皆、早速いろいろ見て回りましょう!」
心がワクワクと踊り、いてもたってもいられず、わたしは走り出す。
向かったのはまず熱田神宮のほうである。
道すがらに立ち並ぶ家々の店先には、食べ物や飾り物、衣類に鍋やお玉のような日用品まで、実に様々なものが並んでいる。
へえ、こういうかんじなんだ。
おっ、あっちにあるのはもしや!
わあ、もしかしてあれってあれじゃない!?
ふぅん、ふむふむ、なるほどなるほど。
やっぱり実際に自分の目で確かめると、何があって何がないのか見えてくるわね。
「ってあれ?」
気が付けば、周りにゆきもはるも勝家殿もいなくなっていた。
しまったぁ!
つい夢中になるあまり、三人を置いてきぼりにしてしまったらしい。
何かに没頭すると、我を忘れてしまうのよね、わたし。
「ゆきー? はるー? 勝家殿ー?」
キョロキョロしつつ、名を呼ぶも返事はやっぱりない。
うーん、どうしよう?
二一世紀みたいに迷子センターがあるわけじゃないだろうし。
スマホとかなしにこんな雑踏の中を探し回るのもなかなか現実的じゃないし。
なんてわたしが途方に暮れていると、
ガシッと後ろから腕をつかまれる。
「勝家殿?」
力強さからそう判断し振り返ると、
「ひひっ、お嬢ちゃん、こんなところで一人じゃ危ないよ~」
いかにもガラの悪そうな若い男だった。
後ろには似たような感じのが三人ほどいて、いわゆるゴロツキだった。
「けっこういい着物を着てるねー」
「どこの子かな?」
「くくっ、お兄さんたちが連れて行ってあげるよ」
ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべて話しかけてくる。
実はこう見えていいひとたち……なんてことはなさそうである。
やらかしたなぁ。
ここは治安のいい二一世紀の日本じゃない。
戦国時代だ。
身なりのいい子どもがいたら、そりゃさらおうとする輩がいても全然おかしくなかった。
「たすっ……っ!」
「おっと!」
大きい声で助けを呼ぼうとしたが、腕を強引に引っ張られ、口を塞がれる。
くっ、このままじゃほんとにさらわれる。
がりっ!
「いてえっ!」
思いっきり手を噛んでやると、さすがに痛かったのか拘束が解ける。
よし!
そのまま地面に着地するや、ダッシュする。
が、
「逃がすかよ!」
「ぐぇっ!?」
すぐに襟を掴まれ、吊り上げられる。
これだから子どもの身体は!
「くそっ、離せ! 離せぇっ!」
手足をばたばた振り回すも、びくともしない。
「ったく、よくもやってくれたな、がきぃ。覚悟はできてんだろうなぁ?」
さっき手を噛んでやったゴロツキが、忌々しげに顔を歪ませながら近づいてくる。
くそっ、万事休すか!?
「おい、あんまり傷つけるなよ? 売り物だ」
「わぁってるよ、ちょっと大人への礼儀ってやつを教えぐふぇっ!?」
嫌らしい笑みを浮かべたゴロツキの頬が突然歪み、吹っ飛んでいく。
そこには、巨大な拳があった。
ついでブゥンと風切り音がして、
「がふっ!」
わたしを掴んでいた男の顎が跳ね上がる。
ふわっと一瞬の浮遊感の後、がっしりとした腕に抱きとめられる。
「はあはあ……ご無事ですか?」
「勝家殿!」
そこにいたのは、仏頂面の仁王様だった。
初対面の時はちょっと怖かったが、今はこれほど頼りになる人もいない。
「危険なので、下がっていてください」
わたしを地面に降ろしつつ、勝家殿が言う。
その息が上がり、顔が汗ばんでいる。
おそらくわたしを探して走り回ってくれたのだろう。
「てめえ、何しやがる!?」
「よくも佐吉たちを!」
残ったゴロツキの二人が、叫びながら刀を抜く。
瞬間、ぶわっ! と勝家殿から噴き出る『圧』が、跳ね上がる。
「っ!」
思わず息を呑んだ。
出会った時も、存在の圧を感じたものだが、そんな比ではなかった。
ただでさえでかかった体が、さらに大きく見える。
カチカチと我知らず歯が鳴り、体が震え出す。
これが……これが織田四天王、鬼柴田の本気か!
「刃物を出す以上、覚悟はできているんだろうな?」
にぃぃぃっと勝家殿が口の端を吊り上げ、腰の刀を抜き放つ。
殺気がさらに膨れ上がっていく。
まだ上があるの!?
もはやそこにいるのは人ではなく、『鬼』そのものだった。
「ひっ!」
「あ、あわわ……」
ゴロツキたちが短い悲鳴とともに、よろめくように後ろに下がる。
その表情は完全に恐怖に歪んでいた。
味方であるわたしでさえ、これだけ怖いのだ。
その殺気をもろに受けた彼らは、痛いほどよくわかったのだろう。
待っているのが絶対的な死であるということを!
「き、今日の所は見逃してやらぁっ! い、いくぞ!」
「お、おう。覚えてろよ!」
ゴロツキたちはいかにもな捨て台詞とともに、そそくさと逃げ出す。
のびてる仲間二人を置いて。
よっぽど慌てていたんだろうけど、さすがにちょっと薄情すぎないか?
まあ、ゴロツキやるような奴らにそういう倫理を求めるのも酷なんだろうけど。
「……ふう」
ゴロツキたちが去るのを確認してから、勝家殿は一息つき、ギロリとわたしを睨み据える。
思わず心臓が跳ね上がった。
もちろん恋とかではなく、恐怖で。
「一人勝手に走り回らんでください!」
「は、はいっ!」
思わず直立不動になって答える。
そんなわたしの様子に、勝家殿はどこかバツが悪そうな顔で、ポリポリと後頭部をかく。
先程までの不動明王もかくやという圧は薄れ、どこか途方に暮れているようにも見えた。
おそらくわたしたちの怯えを感じ取ったのだろう。
「……あ~」
勝家殿が何か口を開きかけ、閉じる。
なんと声をかければいいのかわからないのだろう。
そんな様子を見た瞬間、さっきまでの恐怖は嘘みたいにかき消えていた。
ここにいるのは、昔話の「優しい赤鬼」だ。
体はでかくてごつくてパッと見怖いけど、多分いや絶対、この人、実はすっごく優しい人だ!
かなり不器用で不愛想なだけで。
よくよく思い返してみれば、柴田勝家って、すっごい部下の面倒見がいいって逸話、枚挙に暇がなかったしなぁ。
トコトコっと彼に近づいていき、ペコリと頭を下げる。
「ありがとうございました。勝家殿がいたおかげで助かりました」
顔を上げるや、にっこりと笑いかける。
怖がっていないよ、と。本当に心から感謝しているよ、と伝えるために。
そんなわたしに、勝家殿のほうがうろたえているようだった。
「……俺が怖くないのですか?」
「怖かったです。それはもう」
ここで下手に嘘をついても、きっとろくなことにはならない。
だから正直に言う。
「なら、なんでそんな笑っているのです?」
「こんなに強くて怖い人が味方なら、逆にこれほど頼もしいことはないじゃないですか」
あっけらかんとわたしは言う。
勝家さんはきょとんと目を丸くし、ついで吹き出す。
「くっ、くくく、ははははははっ! 確かにその通りですな。賢い! それに肝も据わっておられる。さすがは殿の妹君です! はははははっ!」
何がそこまでおかしいのか、しばらく勝家殿は爆笑し続けていた。
その後――
ゆきやはると合流し、泣きながらお説教をくらったのは言うまでもない。
反省反省。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます