第五話 天文一〇年一〇月上旬『鬼が来た!』
翌朝、早速城門に向かうと、仁王像が立ちはだかっていた。
実際は人である。
だが、まさにそうとしか言えない人物だったのだ。
でかい。いやもうひたすらでかい!
周りの武士たちより頭一つぐらい高い。
戦国時代は男性でも平均身長一五五センチぐらいだったって話なのに、普通に一八〇センチ前後あるぞ、これ。
しかもひょろ長いわけではなく、骨格もがっしりしていて筋肉質だ。
「っ!?」
目が合った瞬間、ゾクッと背筋に寒気が疾った。
な、なんて鋭い眼光なの!?
まるで獲物を狙う鷹のようだった。
え!? わたしなんかした?
不躾にガン見しすぎたのが気に障ったとか?
わたしが戸惑う中、巨漢がズカズカとこっちに近寄ってくる。
「おつや様とお見受けしましたが、相違ござらぬか?」
ドスの利いた低い声で問われる。
近くで見ると、より一層でかい。表情も険しくいかにも不機嫌そうである。
「え、ええ、そうですけど」
少しだけキョドりつつ、わたしも返す。
これでも前々世では女城主として荒くれ者どもを率いていたので、けっこう慣れてるつもりだったんだけど、この人はちょっと格が違うかも。
別に、いかにも強面という風貌ではない。
むしろ目鼻立ちが整っていて、イケメンの部類である。
ただ、なんだろう、存在しているだけで人を威圧するような、そんな凄みをまとっているのだ。
現代でも、一流の格闘家は向き合うだけで、あるいは歩き方や構えを見ただけで、おおよその相手の強さが掴めるという。
戦国時代は、死が間近な世界だ。当然、その辺の感受性は鋭敏にならざるを得ない。
昔とった杵塚というか、わたしも多少、そういうのを感じ取ることが出来る。
その危険センサーみたいなものが、ビンビンに反応するのだ。
この人はめちゃくちゃ危険だ!! と。
私の隣では、ゆきとはるも恐怖に顔を引き攣らせ、涙目になっていた。
さもありなん、と思う。
正直、虎とか熊とかの猛獣が人の姿をしてそばにいるような感じだった。
決してこっちを襲ってくることはない。
それがわかっていても、怖いものは怖いのだ!
「拙者、本日の護衛を承った
「っ!?」
思わず息を呑む。
さぞ名のある武士に違いないと予想はしていたが、それでも想像以上すぎた。
「拙者の名に何か?」
「い、いえ、別に何も」
慌ててわたしはぶんぶんと首を左右に振る。
もちろん、嘘である。
知らないはずがなかった。
柴田勝家――
織田信長の覇道を支えた織田四天王の最古参にして筆頭格!
幾多の戦で勇猛果敢に先陣を切り、付いた異名が「かかれ柴田」や「鬼柴田」という家中随一の猛将だった。
そりゃ身にまとう空気が別格だわ!
「今日はよろしくお願いしますね」
内心の動揺を惜し隠し挨拶するも、ちょっと声が硬かったかもしれない。
いやだってまさか、たかだかわたしの熱田見物の護衛に、こんなビックネームが来るとか思うわけないじゃん。
そりゃ焦るって!
「はっ、では案内致します。付いてきてください」
くるりと踵を返し、勝家殿はスタスタと歩き始める。
こっちを振り向きもしない。
「なんか……怖い人ですね」
「あまり機嫌を損ねないよう、静かにしていましょう」
「そ、そうね。何が気に障るかわからないし」
「です。くわばらくわばら」
ゆきとはるが、こそこそと囁き合う。
途端、くるりと勝家殿が振り返り、
「別に好きにしゃべってもらってかまわぬぞ」
表情一つ変えず、淡々と言う。
「「ひっ! すみません! すみません!」」
まさか聞かれていたとは夢にも思っていなかったのだろう。
ゆきとはるは、悲鳴じみた声とともに何度もぺこぺこと頭を下げる。
「……別に怒ってない」
そんな二人に勝家殿は面倒くさそうな嘆息をして、勝家殿は再びわたしたちに背を向け歩き出す。
ゆきとはるはすっかり委縮してしまい、黙りこくってしまう。
しばらく何の会話もなくてくてくとわたしたちは歩き続けるが、
(さすがに退屈ね)
速攻でわたしは飽きてしまった。
「そういえば柴田様は、今おいくつなのですか?」
意を決して、わたしは目の前を歩く巨漢に声をかける。
「「っ!?」」
ゆきとはるが非難がましい視線を送ってくるが、熱田まで徒歩で半刻(一時間)もかかるのである。
その間、ずっとこの気まずい空気の中にいるのは正直、わたしは退屈で我慢できそうになかった。
「は?」
振り返った柴田様は意外そうな顔をしていた。
まさか声をかけられるとは露も思っていなかったようだ。
「……今年一五になります」
すぐにぶすっとした不愛想面に戻り、淡々とした声で返す。
だが、その程度でめげるわたしではない。
「へえ。初陣はもうされたのですか?」
この時代の男子は、一四か一五歳ぐらいで元服(成人)する。
そして、武士の子ならばそう時を置かずして初陣、すなわち初めて戦場に立つことになる。
「昨年、安祥で」
「へえ、やはり緊張したりするもんなんです? 初陣はそうなると耳にしたのですが」
というか、前々世での実体験だったりするのだが。
あの戦特有の空気感が焦燥感や不安を煽るし、いきなり城主なんてのも重圧がやばいしで、ガチで地に足つかなくて、テンパりまくってパニクりまくったものだった。
「まあ、それなりに」
「それなりで済むのですか!? 肝が据わってらっしゃるのですね!」
「らしいですね。殿にもそう言われました」
「どうすれば勝家様のように、豪胆でいられるのでしょう?」
「生まれつき、なのでわかりませぬ」
何を質問しても、勝家殿は仏頂面のまま端的に返すのみ。
まるで会話が弾まない。
もしかしなくても、鬱陶しいと感じていそうである。
だが、最初は別にそれでいいのだ。
まず相手の人となり、関心事がわかれば、今後、適切な対応ができるようになる。
敵を知り、己を知らば百戦危うからず、だ。
また質問するということは、貴方に興味がある、と暗に伝えることでもある。
心理学では返報性の原理というのがあり、好意を示せば、相手からも好意が返ってきやすいという。
何度も好きです、とアタックすれば、最初は断っていた異性もほだされてオーケーするのはこういう理屈だ。
多少うざがられても、攻撃あるのみである!
「豪胆と言えば、源義経の崖下りは凄いですね」
「そうですね」
「弁慶の立ち往生も、立派です。あれぞ武士の鑑かと」
「はい」
むぅ、これも反応が薄い、か。
これぐらいの年の子、それも将来の猛将なら、過去の英雄とかに強い憧れとか抱いていそうなものなんだけどなぁ。
「でも、個人的に許せないのは、源頼朝です。あれほど戦功のあった者を、しかも実の弟を処刑するなんて」
これは探りではなく、ぽろっと出たわたしの本音だ。
わたしも甥である信長に裏切られて、処刑された身である。
義経ほど功はなかったけど、他人の気がしない。
「仕方がなかったのでしょう。将来の禍根は断たねばなりません」
勝家殿は淡々と感情のこもらない声で言う。
まあ、彼の言ってることは、正論ではある。
平家討伐で多大な戦功のあった義経は、頼朝からすれば、自らの地位を脅かす存在だ。
頼朝に不満を持つ者たちが、旗頭として担ぎ上げる可能性もある。
政権の安寧を考えるなら、そういう存在を排除するというのは理にかなっている。
叶っているが、それでも何か別に方法があったのでは、と思ってしまうのだ。
「それは……いざとなれば勝家殿も兄弟でも殺す、ということですか?」
ちょっとだけ、意地悪な質問だったのかもしれない。
だけど、わたしの中にいる前々世のわたしが、問わずにはいられなかったのだ。
「……ええ、それが必要なことならば」
遠くを見据えるその目からは、断固とした覚悟がひしひしと伝わってきたのだ。
ゾクッと背筋に冷たいものが疾る。
その言葉に嘘偽りは、一切ないのだろう。
さすが鬼柴田、情け容赦ない。
……と思う人もいるかもしれないが、私の感想はちょっと違った。
身内を斬ることに何の感情も抱かないのであれば、そもそも覚悟などいらないのだ。
わずかだが、返答するまでの間もいらなかったはずだ。
言い換えるなら、断固とした覚悟が必要なほど、できることならしたくない、ということである。
ようやく人間らしいところが垣間見えて、わたしはホッとする。
気難しい人ではあるが、決して血の通わぬ人間と言うわけではなさそうである。
これならなんとか付き合っていけそうだった。
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