第三話 天文一〇年(一五四一年)一〇月上旬『因縁の仇敵、織田信長』

「生意気な!」


 ぶぅんっと大振りの拳が、目の前を通過する。

 ちょっと!?

 いくら子供だからって、女の子を思いっきり殴ろうとする、普通!?


「危ないじゃない!」

「うるせえ! 避けるな!」


 理不尽なことを叫ぶと同時に、また殴りかかってくる。

 今度はかわせず、なんとか腕で受け止めるも、やっぱり痛い!


「いい加減に……しろ!」


 ここまでされて黙ってられるか。

 相手が織田家の嫡子とか知ったことか。


 前々世からの恨みを喰らえとばかりに、わたしも再びびんたを放つ。

 が、ぱしっと手首を掴まれる。

 それならっともう片方の手で殴りかかるも、それも掴まれてしまう。

 なんとか逃れようとするも、相手の力が強く逃げられない。


「ふんっ!」


 がつぅん! と鼻に強烈な衝撃が走る。

 あまりの激痛と勢いに、わたしは思わずその場に倒れ込む。


 も、もしかしてこいつ、頭突きしやがった!?

 くああああ、マジで痛い!

 ほんと信じらんない!


「はっ、まだまだっ!」


 がんがんがん!

 調子に乗った吉法師が、わたしに馬乗りになって次々とわたしの顔目掛けて拳を振るってくる。

 わたしはなんとか両腕でガードするも、防ぎきれない。

 何発かもらってしまう。


 痛い。

 だがそれ以上に胸の中にうずまくのは怒りである。


 ただただ悔しかった。

 またこいつにいいようにボコられてる自分が。

 何もできず亀のようにして身を守ることしかできない自分が。


「なんだ!? おい、何をしている!? 吉法師!」


 信秀兄さまの声が響き、すぐさまわたしに乗っかっていた吉法師をひっぺはがしてくれた。


 ふう、とりあえず助かった。

 でも、顔も腕もじんじん痛い。


 正直わんわん泣きたい。

 でも泣いたらなんか負けた気になるので必死に我慢する。

 絶対に心までは屈したくなかった。


「なぜこんな事をした?」


 ボロボロになったわたしに視線を向けた後、信秀兄さまはギロリと三法師を睨みつける。


「あいつが、父上の仕事の邪魔をしたから、成敗したんだ」

「はあっ!?」


 そんなもん、まったくした覚えはない。

 いやまあ、確かに時間とってもらったと言えばそうだが、きっちり有益な情報を渡している。

 しかも要件を伝えるや、さっさと退室もしている。

 責められるいわれはまったくない。


「俺でさえ父上には滅多に会えないんだ。貴様ごときが父上の時間を奪うな!」


 ちょっと!?

 もしかしてたったそんだけでわたしに殴りかかってきたわけ!?


 そりゃあ小さい子が両親に会いたい気持ちはわからないでもないが、だからって女の子にここまで暴力を振るっていいはずがない。

 ハッとわたしは鼻で笑ってやる。


「わたしなんか、父上の顔も母上の顔も知らないわよ。生まれてすぐどっちも死んじゃったからね。ちゃんと生きてて会えるだけ全然マシじゃないの。甘ったれんな」


 相手が信秀兄さまの嫡子で、信秀兄さまの目の前だ。

 黙っていたほうがいいのかもしれないけど、知ったことか。

 ここまで殴られて、前々世の恨みもあって、愛想笑いできるほどわたしは人間できてない。


「ぐっ、な、なんだとぉっ!? あだぁっ!?」


 わたしの言葉に再び激昂しかけた吉法師だったが、その頭にごちんっと信秀兄さまの拳骨が降り下ろされた。

 へへん、いい気味だ。


「だいたい事情は察した。愚息が酷いことをした。代わって謝ろう。済まなかったな」


 信秀兄さまがわたしの方を振り向き、ペコリと頭を下げてくる。


「なっ!? 父上が謝ることなど……」

「やかましい! お前はしばらくの間、部屋で謹慎じゃ! 頭を冷やせ、うつけが!」

「ぐっ」


 尾張の虎の大喝に、さすがの後の天下の覇者も怯んだようだった。

 キッとわたしを物凄い形相で睨みつけ、


「お、覚えてろよ!」


 三下のような捨て台詞とともに、走り去っていく。


「まったく……あやつのやんちゃには困ったものだ」


 そう言葉では言いつつも、信秀兄さまはふふっと楽し気に笑っている。


 まあ、今は戦国の世だ。

 信秀兄さま自身、一介の奉行の身から、戦国大名へとなりあがった人である。

 親に怒られてシュンとなるおとなしい子より、ああいう負けん気の強いほうが、後継ぎとして頼もしいと感じるのだろう。


 と、頭ではわかるのだが、被害者のわたしとしては全然納得がいかない。

 散々殴られたってのに、その加害者は全然反省してなくて、その父親もそんな息子のやんちゃぶりを内心では嬉しく思っているとか、正直ふざけんな! である。


 このやるせない怒りをどうしろっていうの!?

 ああ、なんかふつふつと思い出してきた。


 家臣たちを殺されたあの悔しさ、悲しさ、罪悪感。

 逆さはりつけの刑の痛み、苦しさ、つらさ。

 前世でも何度夢に見て、飛び起きたことか。


(やっぱり許せないわ。この恨み、晴らさでおくべきか!)


 絶対、ぜったい、ずええったい!

 ぼっこぼこのずったずたにして、最後は逆さ磔の刑に処してやるからなぁっ!

 覚悟しろよ、織田信長ぁっ!

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