第一話 天文一〇年(一五四一年)一〇月上旬『スサノオの巫女にわたしはなる!』

「落ち着け。とにかく落ち着こう、わたし」


 まずは深呼吸して心を落ち着けつつ、わたしは周囲を見渡す。

 懐かしい、実に懐かしい景色だ。


 だが、今のわたし、高尾瑠璃の記憶ではない。

 はるか遠い、今や記憶さえ朧気になってしまった、織田つやの記憶にある部屋だ。


「夢、だよね?」


 思わずほっぺたをつねってみる。


 普通に痛い。

 いったいどうして!?


 記憶を思い返してみる。


 わたしは田舎への里帰りのため車を運転していて、対向車線にいたはずのトラックが雪にスリップでもしたのかいきなりこっちに突っ込んできて……

 そこからの記憶がなかった。


「もしかしてわたし、死んだ? それともこれは死に際に見る夢なのかしら?」


 まったくもって珍妙というしかなかった。

 とりあえず夢ならそのうち覚めるかなとか思って様子見するも、一ヶ月経っても二ヶ月経っても一向に覚める兆しがない。


「どうやらここで、またつやとして生きていくしかないみたいね」


 やれやれとわたしは嘆息する。

 事ここに至っては、そう認めざるを得なかった。


「さて、となると、どうしようかしら」


 頬に手を当てつつ、わたしは考える。

 はっきり言って、前と同じ人生を送る気はさらさらなかった。

 四度夫に先立たれて、忠節を尽くしてくれた家臣を皆殺しにされて、最期は逆さ磔の刑なんて絶対に絶対に嫌である。


「まず何が何でも遠山家に嫁ぐわけにはいかない、か」


 その先にあるのが、あの絶滅エンドだ。

 何がなんでも回避しなければならない。


「どうせならもう、結婚そのものを回避しておきたいところね」


 やっぱり旦那に置いていかれるというのは、つらい。怖い。

 そこに愛はなかったとしても、情はやっぱりできちゃうから。


 これでまた結婚して、すぐに死なれちゃったら?

 自分は本当に夫を呪い殺す疫病神なのでは?

 そう思うと、どうしても結婚に二の足を踏んでしまうのだ。


 それに……すでにわたしの心には、どうしても忘れられないひとがいる。

 そんな状態で他の人と付き合うのは、とても不義理な気がした。

 だから前世でも、出会いがないわけじゃなかったけど結婚はしなかったのだ。


「とはいっても、信秀兄さまはきっと許してくれないわよね」


 信秀兄さま――織田信秀の顔を思い浮かべつつ、やれやれとわたしは嘆息する。


 この時代、高い身分の娘に恋愛の自由などない。

 家と家の結びつきの為、政略結婚が普通であり、結婚は家長が決めるものなのだ。

 そこにわたしの意思が入り込む余地など一切ない。


 このままでは間違いなく、わたしは最初の夫である日比野清実ひびのきよざねの下へ降嫁させられることだろう。

 彼の事は決して嫌いではないけれど、もう夫と死に別れるのはごめんである。


「今七歳で、確か結婚は髪結い後だったから、あとたった五年か」


 その間になんとかするしかないのだけれど、難しい。

 そもそも七歳の女にいったい何ができるというのか!?


 大名の姫といっても、金も領地もない。

 動かせるのは二人の側仕えの女中ぐらいである。


「でも、諦めるわけにはいかないのよね」


 諦めたら試合終了どころか、人生終了である。

 わたしは、自由の楽しさを現代で知ってしまった。

 もう昔の感覚には戻れない。

 この時代でも自由気ままなお一人様ライフを過ごすのだ!


 ならどうすればいい?

 わたしは考えて考えて考えて、


「よし、決めた。神を降ろそう! うん、それしかない!」


 そう結論付けたのだった。

 もちろん、わたしにはそんな神通力などはない。


 だが、前世の縁もあり歴オタだったわたしには、二一世紀の未来の知識がある。

 これを利用すれば、神のお告げを装うことはそう難しくはないはずだ。

 そうしてわたしの価値を高めて、結婚したら霊性を失うとか言えば、信秀兄さまも他家に嫁がせようとはしなくなるかもしれない。


「今は天文一〇年、だったわね」


 確か天文は二四年まで。

 その最後の年に確か、厳島の合戦があったはずだ。

 はるか遠方の中国地方のことだけど、すごい大勝利だった、西国には毛利元就というすごい大将がいる、と当時評判になっていたのをよく覚えている。


 とあるゲームのシナリオの開始がちょうどその厳島の合戦で、それが一五五五年だった。

 そこから一四を引いて……


「西暦に直すと、今は一五四一年か」


 西暦こっちのほうが今のわたしにはなんだかんだ馴染み深いし、わかりやすい。


 うん、ちょうど来年いい事件があるじゃない。

 同じくゲームのシナリオの開始年だったから、よく覚えている。

 これを言えばきっと、信秀兄さまはわたしの言葉を無視できなくなるはず。


 わたしは絶対の確信とともに、にんまりと笑みを浮かべるのだった。

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