第7話 春告花


 森に入り、避暑地ひしょちえてどんどん里に近づく。イルは里が近づくにつれ、自分の足取りが重くなっていることに気づいた。

 父に急かされ、燃える里を背に飛び出してから里には戻っていない。

あれから里がどうなっているのか、知る由もなかった。


(全部が……ゆめだったらいいのに)

 前に見たゆめのように、里に行ったらいつも通りの日常が広がっていて、皆が笑顔でらしている。

 イルのことは皆気にしないけれど、それでもいい。今度は、自分から話しかけに行くから。

 わずかな望みをかけて、イルはふるえる足で里に近づいた。



「……こりゃ、ひでぇな……」

 イルのいのりもむなしく、眼下がんかに広がったのは、ほのおに燃やしくされて真っ黒にすすけた里だった。

「………」

 過去に建物だったものはほとんど形を残しておらず、畑だったところはただの大地と化していた。

幸いにも、住民の遺体いたいはフォルクス伯爵はくしゃく埋葬まいそうしてくれたのか綺麗きれいになくなっていた。

「……見事に焼きくされてんな……」

 ガヴィがひざまずいて土をにぎる。

焼けげた大地はちりになってガヴィの手からこぼれた。

「……住民同士のいさかいってのには無理があんな。生き残りがいないのも不自然だし。

 ……里の者にも一切気づかれず、抵抗ていこうひまなくめ入る事なんて可能かのうか……?」

 あごに手を当て、ガヴィがひとりごちる。

 イルは居たたまれなくなり、静かにその場をはなれた。



 胸が苦しい、大声で泣きたい。

 ……この姿すがたでは、それも叶わないけれど。


 里の奥にある少し開けた所にある野原まで来て、一人こうべれる。

ここまでは火の手が届かなかったのか、イルが里を飛び出す前と同じ光景が広がっていた。

 下を向いたイルの目の前に、白い花が何の苦も無い様子で風にれている。

その様子に益々ますます苦しくなって、イルは熱いものが急速にせり上がってくるのを感じた。

 が、次の瞬間しゅをかん金縛かなしばりにあったように体が硬直こうちょくし、変な汗が一気にあふれ出た。


(おしろいだ、あのにおい――!)


 目の前に広がる、可憐かれんな白い花畑を見て思い出す。


『イル、この花は綺麗きれいだけどな? 絶対にんで帰ったらダメだぞ?』


 りし日の兄の声が頭の中で急速に再生される。

 兄は、何といっていた?


『この花は春告花はるつげばななんて呼ばれているけど、別にもう一つ名前があるんだ。見た目は可憐かれんだけれど、人をころしてしまうくらいのどくがある。

 ――“白い悪魔あくま”って別名があるくらいなんだよ』


 ノールフォールの森にはよく群生ぐんせいしているありふれた花だ。

外に遊びに出るようになった里の子どもが真っ先に教えられること。

 くれないの里の子どもたちは何度も言い含められているため、近づきもしないが、微量びりょうであれば薬にもなるため里の近くに群生ぐんせいしていても大人達は除草じょそう等はしていなかった。

 子どもたちはめもしない花にすぐに興味きょうみを無くすのだが、普段ふだんはただの花なのに薬にするために乾燥かんそうさせた時にひどいにおいがしたのを思い出した。

 不思議ふしぎなことに、人間には無臭むしゅうなのに、鼻がきすぎるのか本能が危険きけん察知さっちするのか、黒狼姿こくろうすがたの時には異臭いしゅうとなる。


 国王暗殺未遂事件あんさつみすいじけんの時、これと同じにおいがした――。



「こら、お前一人でどこでも行くなよ」

 急にガヴィに声をかけられてビクッとする。

「おお、こりゃすげぇな……」

 ガヴィは野原に群生ぐんせいする春告花はるつげばなを見てぴゅうと口笛をいた。

陰惨いんさんな里の様子からは百八十度ちが景色けしきだ。

イルはガヴィに花のことを告げようと思った。

(でも、どうやって? どうしよう、早く教えないと、また王子たちがあぶないかもしれない!)

「……ん? どうし――」

「おや? そこにおられるのは……レイ侯爵こうしゃくですかな?」

 ガサリと音を立ててそこに姿すがたを現したのは、ノールフォールの領主、フォルクス伯爵はくしゃくだった。

が領におしになる事は聞いておりませんでしたが……本日は何用で?」

 ガヴィは少々バツが悪そうな顔をしたが、すぐに侯爵こうしゃくの顔をり付ける。

「先のけんの事を含めて調査に。

 フォルクスはく許可きょかを得ず入領にゅうりょうしたのは申しわけなかったが、王の命ゆえ容赦願ようしゃねがいたい」

 素直に謝意しゃいべる。

フォルクス伯爵はくしゃくはにこやかに笑った。

「お気になさらずに。レイ侯爵はくしゃくのお立場は充分理解しておりますゆえ、存分に調査なさって下さい。それが陛下へいか御代みよ安寧あんねいに繋がります」

 イルが足元で小さくえたが、ちょうどいた風の音にかき消されてしまった。

ガヴィの意識が、フォルクス伯爵はくしゃくとの会話に向いていたのもこの場合敗因はくしゃくであった。

「して、なにか進展はありましたかな?」

「いや、これといっては。

 ただ……内紛の線はないと思う。どう考えても里を全滅ぜんめつさせる事が目的の燃やし方だ」

「……なるほど」

 ガヴィの見解に相槌あいづちを打つ。

「……ちなみに、今日ここにレイ侯爵こうしゃくがおられることはだれ把握はあくされておられるのですか?」

「いや、今日は個人的に調査に来ただけだ。

 これからアヴェローグ公に報告する」

「――左様さようですか」

 フォルクス伯爵はくしゃくに背を向け、里の方へと足を向ける。


(――ダメ! ガヴィ!!)


 イルははげしくえた。


 もし、ここにいたのが国一番の剣士、ガヴィ・レイでなければ、間違まちがいなくそく死んでいたであろう。

イルがえたことで瞬時しゅんじに事を察したガヴィは、本能的に身体をひねった。

「ぐ……うっ……!!」

 敵襲てきしゅうやいばはガヴィの左肩をかすめて鮮血を散らせた。

転がったガヴィにとどめをそうと、フォルクス伯爵はくしゃくけんを振りかざす。

 その時、フォルクス伯爵はくしゃくの背後からイルが伯爵はくしゃくけんを持つ手に飛びかかりみ付いた。

「ぐぁっ……! ……この! 野獣やじゅうめが!!」

 ポロリとフォルクス伯爵はくしゃくの手からけんが落ちる。

 イルが飛び付いたすきにガヴィは瞬時しゅんじに体制を立て直し、だがフォルクス伯爵はくしゃくと再び応戦はせず距離きょりを取りさけんだ。

「……っ! アカツキ! 来い!」

 イルはフォルクス伯爵はくしゃくの手からはなれガヴィにけ寄る。

 二人は風のようにその場から走り去った。


 ガヴィとイルが去ったあと、フォルクス伯爵はくしゃくは血のしたたうでおさえながらノロノロと立ち上がり、けんを拾うと先程の柔和にゅうわな顔とはうってかわりくちびるを不気味にゆがめた。

「……にげげられはしない……

 レイ侯爵こうしゃく、お前はここで終わりだ……!」



*****  *****



 前を走るガヴィの左袖ひだりそでがどんどん赤くまっていく。

早く止血をしなければならない。

 しかしガヴィの歩みは止まらず、疾走しっそうし続けている。森には、ガヴィとイルの息遣いきづかいだけがいやひびいている。


(ガヴィ……ガヴィ! 止まって!

 ……手当てしないと死んじゃうよ!!)

 イルが語りかけてもガヴィには通じない。


 自分の姿すがたが人間で無いことをこれ程のろった事はない。

 しかしガヴィの疾走しっそうも長くは続かず、段々だんだん速度そくどが落ち、いよいよヨタヨタと歩くまでにスピードが落ちた。

 前方を見ると、猟師りょうしりのときに使う小さな猟師りょうし小屋が現れた。

ガヴィは周りを確認すると素早くその小屋に身をすべり込ませる。


(――くそ……っ! ……しくったぜ!)


 小屋に入るとガヴィはイルも入れ、戸を閉めた。

小屋はせまいながらも小さなかまと水場があり、猟師りょうし道具が置かれたたな仮眠用かみんようのベッドが置かれていた。

簡素かんそな衣類がかべかっている事から普段ふだんから使われていたのだろう。

 ガヴィは切られた部分の服をやぶき、すぐさま傷口きずぐちを確認した。

傷口きずぐち自体は大きくないが、血は流れ続け、傷口きずぐちの周りが不自然ふしぜんに変色している。

 ガタガタと猟師りょうし小屋の中を物色する。

こういう小屋には、毒蛇どくへびなどにまれた時に対応するために毒消どくけしの草などが常備じょうびされている事が多いのだ。

しかし残念ざんねんながらそれらしき物は見当たらなかった。

 ガヴィは舌打ちすると持っていた小刀を傷口きずぐちに当てすべらせた。

「ちっ……!! ぅ……ぐっ!」

(ガヴィ?!)

 開いた傷口きずぐちを広げ血をしぼる。

 オロオロしているイルを余所よそに、ガヴィは水瓶みずがめの水を傷口きずぐちにかけて血を流した。

そのままドカリと座り込む。

(――即効性そっこうせいどくか。しろで使われた物と同じか?)

 走ったせいでどくの周りが速い。

だが、あそこにいても切られて終わりだ。


「……おい!」

 ガヴィはイルをんだ。

「い、……いいか。

 ……おれは今、動けねぇ。どくが回ってるからな。

 ……でも、お前はまだ動けるな?」

 ガヴィはやぶいた服の切れはしに自分の血で何かを書き、イルの首輪にき付けた。

「ゼファーにこれをとどけろ。

 おれは……ここで休んでからいくから……」

 ガヴィの物入れもイルの体にき付け、中身の説明を簡単にするとわかったな、と言われたけれどイルは動けなかった。


 ガヴィを置いていく。それはすなわちガヴィとの永遠の別れを意味している。


「――はやく、いけっ!」


 肩で息をしながら急かすガヴィに、イルの身体がビクッとふるえた。


 その時――


「!」


 ザクッ……ザクッと人の足音が近づいてくる。


 もしかしてフォルクス伯爵はくしゃくが追いかけて来たのかもしれない。

 怪我けがをしたガヴィの血が点々と土間に付いている。小屋の入口にも落ちているかもしれない。


 この小屋には裏口うらぐちはない。

 とびらを開けられたら万事休すだ。


 足音は段々だんだんと近づいてくる。

(このままじゃ、見つかっちゃう――!)

 ガヴィはあらいきをしながらけんを支えに身体を起こした。ガヴィの額に脂汗あぶらあせにじむ。


 せまる足音、逃げ場のない猟師りょうし小屋。


 ハタと、イルはこの窮地きゅうちを二人で切り抜ける方法を思いついた。でもそれは、父との約束を反故ほごにする。


(でも、でも――!!)


 父との約束より、大事なもの。


 イルは、ガヴィの青白い顔を見て覚悟を決めた。



「……いいか、とびらが開いたらおれりかかるからお前はすきを見て外に出ろ。たのんだ――」

 イルはガヴィが支えにしているけんつかぎんくさりを引っかけると、スルリと首からくさりいた。


 そして、ねがう。


「……は……。お、おま……」


 目の前で起こった光景に、ガヴィは息の苦しさもわすれた。


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