第8話 救出

 小さな猟師小屋の前で辺境の森の伯爵は不気味に唇を歪めた。

小屋の入口には、点々と血痕が落ちている。

(自らおりに入るとは……浅はかな奴だ)

 国で一、二を争う強さと言われているあの男に一太刀を浴びせることが出来た。

深い傷ではないが、剣には白い悪魔が塗り込んである。小さな傷でも無事ではあるまい。

(逃さん……お前を中央に帰すわけにはいかんのだ)

 中からは人の気配がする。

フォルクス伯爵は慎重にドアに手をかけた。



 ドアを開けると、中は薄暗く埃っぽい。

いきなり中に踏み込むのは不味いと思った。

あの狼が飛びかかってくるかもしれないからだ。

 中の暗さに目を慣らすように目を細める。

小屋の中を見回すが、赤毛の侯爵は見当たらず、代わりに、近隣の村の少女だろうか。

十四、五の娘が怯えた様子で泣いていた。

 部屋の床には血痕。部屋は荒らされている。

「……君、何があった?」

 ビクリと肩を震わせて少女はフォルクス伯爵の方を見た。

金の瞳に見る見るうちに涙が溜まる。

「きゅ、急に……赤い髪の毛の男の人と、狼が入ってきて……」

 少女の話によると、赤毛の男は小屋内を物色し、薬草の類を掴むと出ていったらしい。

よほど恐ろしかったのだろう、少女は可哀想な程震えている。

「なるほど……。

 実はその男は凶悪犯でね、私も行方を追っている。どちらの方向へ行ったか解るかね?」

 跪いて少女の顔を覗き込む。

「こ、怖くて……どこに行ったかは……

 で、でも……」

 狼に向かって東に向かうと言っていた気がする、と少女は言った。

(来た道を戻ると捕まると思ったか……)

 フォルクス伯爵は立ち上がるとレイ侯爵追尾の為に猟師小屋を出ていった。



「……」

 フォルクス伯爵の足音が遠ざかり、辺りに静寂が戻ってくる。

 少女、イルははーっと長い息を吐いた。


「……お見事……」


 ベッドの下からガヴィが顔を出す。

「……色々、突っ込んで聞きたい所なんだけどよ。今はちと置いといて……とりあえずお前、ゼファーの所に……」

「ちょっと待ってて!」

「ってオイ!」

 ガヴィのセリフに被せるように言って、そのままイルは外に飛び出して行ってしまった。


 ガヴィは荒い息のまま、ゴロンと床に転がる。

「……なんだってんだ……あー……ダメだ、限界だ」

 頭がぼおっとする。

 アカツキが銀の鎖を首から抜いた途端、ガヴィの眼の前で狼の姿からみるみる内に黒髪の少女に姿を変えた。毒と驚きで二の句が告げないガヴィに、少女は壁にかかっていた猟師服を身につけるとガヴィを無理矢理寝台の下に押し込んだ。


(あいつ……アカツキだよな?

やっぱ精霊の類だったのか?それにしては、気配がフツー……クソ、考えがまとまん、ねぇ……)


 毒のせいで朦朧もうろうとする意識の中で、ガヴィは扉が再び開いた音を聞いたような気がしたが、意識はそこで途切れた。



*****  *****



 イルは黒狼の姿で森の中を疾走していた。


(早く、早く森を出なくちゃ! あの伯爵が気づく前に!)

 

 イルが小屋に戻った時、すでにガヴィの意識はなく、イルは最悪の事態を想像して膝から崩れ落ちそうになった。

だが、微かにガヴィの胸が上下している事を確認してホッと息を吐く。

 春告花はるつげばなの毒は致死性が高いが、これもまた、この森に自生する植物で解毒出来ることはノールフォールの森に住む者なら誰でも知っている。 

幸い、野草をすり潰す為の道具は小屋に揃っていた。

 しかしもし、刃に塗られた毒が、春告花の毒でなければ効果はない。

助けを呼びに行っても戻った時には間に合わない。

 イルは祈るような気持ちでガヴィの口と傷口に解毒の野草をすり潰して飲ませた。

 解毒薬と言ってもすぐに効くわけではない。

薬が効く前に毒の成分が上回ってしまったら?

そもそもこの薬草で合っていなかったら?


 最悪の未来ばかりが浮かんでは消える。


(大丈夫……大丈夫……ガヴィは、死んだりしない)


 暫くすると、青白かったガヴィの顔に赤みが差してきた。呼吸も心なしか穏やかになった気がする。

「薬……効いたんだ……!」

 目の前がぼやけてくる。イルは涙が落ちる前に頭をブンブンと振って涙を堪えた。

(泣いてる場合じゃない! ガヴィが見つからなかったら、アイツがまた戻って来るかも!)

 薬が効いたとはいえ、ガヴィはまだ暫くは動けないだろう。

今の時点でフォルクス伯爵が戻ってくれば元の木阿弥もくあみだ。

 早急に助けがいる。


「……ガヴィ、待ってて……!」


 イルはガヴィを再びベッドの下に押し込み、姿が見えないように布団をかけた。そしてガヴィの荷を担ぐ。

 イルは小屋の扉に手をかけた。

ガヴィがいるベッドの方を振り返る。

(……絶対、助ける!)

 イルは扉をきっちり閉めると黒狼の姿に戻り駆け出した。


 森の、外へ向かって。



*****  *****



 イルは全速力で森を駆け抜けていた。


 背にはガヴィの鞄。

これにはあるものが入っていた。


 王都へ戻ろうと思っても、どんなに速くても一週間はかかってしまう。それでは間に合わない。

 ドムの店での別れ際、ガヴィはドムにあるものを渡されていた。


『お前にはいつもご贔屓ひいきにしてもらってるからよ、これは俺からのサービス品だ』

 渡されたのは、見覚えのある筒。

狼煙玉のろしだま?』

『いやいや、ただの狼煙玉じゃねえぞお?

 これはな、力を発動させると勝手に魔法陣を描く』

 魔法を使えない者でも術者の所まで道を繋ぐ魔法の道具。

まだ改良が必要だけどなと笑ってガヴィに渡す。

まだ詩作段階で魔法の定着が不安定だから、使う時はドムの魔力が感じられる所、つまり森に来た時に開いた魔法陣の入口に近いところで使用しろとのことだった。

ガヴィは「人体実験かよ」と毒づいていた。


(ドムさんのお店まで行ければ助けが呼べる)



 イルは走って走って走った。

 一心不乱に走ったので、木の枝等を体のあちこちにつけたままであったがそんな事は気にしていられなかった。息が上がり肺も苦しかったが、森の終わりが見えた時には力が沸いた。

 ただ、森の外に飛び出すことはしなかった。

フォルクス伯爵が手を回しているかもしれないからだ。

 イルは乱れた息をなるべく殺し、辺りを警戒して誰もいないことを確認する。

茂みの中でガヴィの荷を降ろし、人の姿に戻った。

黒狼の姿では魔法の筒が使えない。

ドムに説明する事もできない。

もう、後戻りはできない。


(父様 、ごめん)


 平穏をとっても、そこに大切な人達がいなければ意味が無い。

最後にくれた父の愛情を大切にしておきたかったけれど。

(大丈夫。父様の気持ちはもう知ってるから)

 魔法の筒を握り魔法陣を発動させる。

筒から溢れた光は鮮やかな軌跡を描いて魔法陣を描いた。



*****  *****



「あん?」

 ドムは自分の魔法が発動したのを感じた。

(赤毛のボーズ、あれを使うには早すぎじゃねえかあ?)

 狼煙玉の原理と同じで、筒の力を使うと術者に使用したことが伝わる。狼煙玉は普通の狼煙と同じ様に目印くらいにしかならないが、ドムの魔法の筒は術者を目印に道が繋がるのだ。

 ボリボリと頭を掻きながらガヴィとイルを送った小部屋に向かう。

 程なくして部屋の中心がボウッと光りはじめ、魔法陣が浮かび上がった。

「お前さんよ、ちょっとは有難がって使えって ……うぇおっ?!」

 魔法陣から飛び出してきたのは、赤毛の剣士ではなく、黒髪に金色こんじきの瞳の少女。

「はァ?! え? あ、アンタ誰――」

「ドムさん! 助けて! ガヴィを助けて!!」



 よろず屋の主人ドムは困惑の極みにいた。

(――まて、ちょっと落ち着けドムさんよ)

 一つも落ち着いていやしないが、頭を整理しようと息を吐く。

 自分の魔法陣から飛び出してきた少女はガヴィを助けろと訴えてくる。ということはあの青年の知り合いだろう。

 しかしドムの知り合いにはこんな少女はいない。

(なんでこのお嬢さんは俺のこと知ってんだ? ……ん?)

 改めて少女を見る。

少女は黒髪、金目、年の頃は十四、五か。

やけに小汚い服を着ている。というかよくよく見ると体に合っていない。

猟師が狩りの時に着る服に似ていた。

 顔は何かで切ったのか小さな傷だらけだし、足も――

「?! ……っ?」

 服が体に合っていないどころか、そもそもこの少女、下のズボンを履いていない。

服が大きいのでチュニックのようになっているが上着だけである。しかも裸足だ。

「ちょ…!

 お嬢さん、とりあえずこれ着ようか!」

 思わず自分が着ていた長いガウンを着せる。

ふと見ると、少女の首には見覚えのある赤い太陽を模した首輪がついていた。


(まさか)


「私、アカツキです! ガヴィが連れてた!」

 少女が必死に訴える。


「魔法で狼の姿になってたの。

 ドムさん、お願い……ガヴィを助けて!」

 そのままグイグイとドムの腕を引っ張り、今にでも魔法陣を張れ! と言い出しそうな勢いだったので、ドムはいやいやと首をふった。

「ちょっと落ち着きなよお嬢さん。

 ……お前さんの言葉を信じるなら、アンタはあの赤毛ボーズが連れてた狼って事だけどよ、それをハイそーですかって信じるヤツはまずいねえよ」

 その言葉にイルは絶望の顔をする。

「いや、ちと落ち着きなって。

 まずは……そうだな、とりあえずまともな服着てよ、ちゃんと説明してくれや」

 そう言ってドムは店の商品をひっくり返してイルが着れそうな服と靴を探してくれた。

魔法陣で道を作ってくれた部屋の、あの壊れかけた椅子に座らされると濡れたタオルを渡される。

「……顔拭きなさいよ。ちと染みるかもしれないけど」

 そこで初めてイルは自分が酷く汚れていることに気づいた。

有難うと受け取って顔に当てる。

ピリピリと傷が傷んだけれど、なにかハーブの心地良い香りがして、不思議と痛みが和らぐような気がした。



「……で? 詳しく話してもらいましょうか?」

ドムも部屋の隅からもう一脚椅子を引っ張ってきて行儀悪く座る。

 イルはノールフォールの森には調査で行った事、調査中に出くわした伯爵が突然切りかかってきた事、剣には毒が塗られていた事を、はやる気持ちを抑えて説明した。

「一応解毒薬は飲ませたんだけど、ガヴィ……まだ目を覚まさなくて……早く助けに行かないと、またあの伯爵が戻って来るかもしれなくて」

 今すぐにでもあの小屋に戻って、ガヴィの無事を確かめたい。

「……でも、私だけじゃ絶対に助けられないから、ドムさんの力を借りたいんです。

 ガヴィは、逃げろって行ったけど……私は……このまま逃げたら一生後悔するから」

 ドムさんにはなんの得にもならないけれど、お願いしますと頭を下げられて、黙って聞いていたドムはなるほどねえ〜とのんびり答えた。

「……確かに俺には何の得にもならねえな」

 イルは握っていた服の裾をギュッと握る。

「ま、でも、何の得にもならねえが、

 ……お得意様を失っちゃ、損失にはなるわな」

「!」

 宮中一級酒も貰ってねえしな、と笑われてイルは有難う! とドムに抱きついた。


「ただ一つ問題がある。

 俺様は道は繋げるんだが、基本、一度行ったことのある場所にしか道は繋げない」

 ノールフォールには行ったことがあったから魔法陣で道を作れた。

たがガヴィのいる小屋には行ったことがないから道を繋げないのだ。

「お嬢さんの話によると時間の余裕があまりなさそうだから直接その小屋に道を作りたい。さっき使った狼煙玉みてえな目印がありゃ、知らないとこにも繋げるが……魔法筒は使っちまったしな」

 イルは眉を下げた。

「オイオイ、そんな顔しなさんなって。

 俺はよ、天才なんだよ。

 ……移動魔法に一番大事なのは、イメージなんだ」

「イメージ?」

 イルが聞き返すとドムはニヤリと笑った。

「そう。自分の行ったことのある場所を正確にイメージする事。魔法力と魔法陣の精度の問題もあるが、一番大事なのはイメージの正確さだ」

 イメージと実際が離れすぎていれば辿り着けない。違う場所に飛ばされたり、最悪空間の狭間から戻ってこれなくなる。

「やったことはねえが、お嬢さんのイメージが正確ならば、俺と協力して魔法陣をその小屋に繋げるかもしれねえ」

 どうだ、やるか? のドムの挑戦的な声に、イルはやる! と即答した。


 ならば思い立ったが吉日とドムは立ち上がり、イルを部屋の中心に手招きした。

「いいか? 今から俺が魔法陣を描く。

 今だ! と言ったらお嬢さんは道を繋ぎたい場所を強くイメージするんだ。

 正確に、強くだ。いいな?」

 その際、必ずドムの手を離さないこと、離せばイルのイメージを拾えないし、もしイルとドムが別々の場所に飛ばされた場合、助けに行けない事を注意された。

  イルは深く頷いた。


「よし、はじめるぜ」

 イルはドムの左手をギュッと握り目を閉じてイメージした。

 ド厶が呪文を詠唱すると足元に光の魔法陣が浮かびキラキラと光が周りを包み始める。

「今だ!」

 ドムの掛け声にイルは強く願った。

ガヴィの元に行きたい! と。



*****  *****



(――あ?)

 不意に意識が覚醒した。

だが目の前が真っ暗だ。いよいよここが地獄の入口か、と思ったところで自分が頭まで何かを被っていることに気づいた。

 軽く頭を動かすと視界が開ける。

 ……まあ視界が開けたところでやっぱり薄暗かったが。

 天井が低いと思ったのは自分が寝台の下にいるからだった。

二、三度手を握ったり開いたりする。……問題なく動けそうだ。

 辺りを警戒しながら寝台の下から這い出す。

ガヴィは前後の記憶を掘り起こしていた。

(アイツは……逃げたか。

……頭は確かだな。あれからどのくらいたってる?)

 毒を受けた筈だが、思いの外身体は楽になっている。口の中が変に苦い。剣を受けた傷口を見ると薬草が巻かれていた。

 ベッドを背もたれにしてふーっと息をつく。

どうやらアカツキが手当てをしてくれたらしい。

小屋の隙間からは光が漏れているので、まだ日は高いようだ。気を失ってからそう時間はたっていないと踏んだ。

(アイツも無事逃げたみたいだし、俺もなんとかここから出るか)

 まだ完全復活とは言えないが、さっきに比べれば天と地の差だ。

(あぶねーあぶねー、危うくこの世とオサラバするとこだったぜ)

 直前の出来事を反芻はんすうする。

(アイツ、結局狼なんだか人間なんだか……。

あー、でも中身があれなら、色々納得だわな)

 何故自分達と行動を共にしていたのか、何故人になれる事を黙っていたのか、解らない事は多々ある。

けれどガヴィは何かストンとアカツキの存在が腑に落ちた。

悪意があって近づいたわけではないことはガヴィを助けた事でも理解している。

 謎は、本人に聞けばいい。

「ま。また会えたらだけどなー」

 呟いてよっこらせっと立ちあがる。

剣を腰に刺し直した所で床が微かに光輪を描いた。


「ん?」

 光は瞬く間に円陣を描き、次の瞬間には今ほど考えていた少女とドムが目の前に現れた。

 突然の事にぽかんと口を開ける。

ガヴィが立っていることを理解したイルの目に、見る見るうちに涙が溜まっていった。

「ガヴィ!!」

「おわっ!」

 もはや体当たりと言っても過言ではない勢いで飛びつき、情けない事にガヴィは尻もちをついた。

「オイ……」

「良かった……良かったよぉ……」

 ぎゅうぎゅうと抱きついて泣くイルに、ガヴィは怒鳴ろうと思ったが、諦めてポンポンと背中をあやす。

「……感動の再会の所悪いんだけどねえ?

 この状況良く無いと思うんだわ」

 ハッと我に帰る。そういやドムがいたんだった。

ガヴィはベリッとイルを引き剝がすと立ち上がってイルを引っ張り起こした。

「どうやらこの小屋に向かって、いくつかの足音が近づいてるみたいよ?どうする?」

 ドムの問いかけにガヴィは即断した。

「ここを離れる。おっさん頼む」

 ドムは無言で頷くと再び光の軌跡を描いた。



 程なくして、数人の兵士が猟師小屋の扉を開けたが、そこには赤毛の剣士も黒髪の少女も影も形もありはしなかった。


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