第3話 銀の髪の公爵

 目を覚ますと、そこは見慣れたくれないの里にある自室だった。

(……え?)

 キョロキョロと辺りを見回す。慌てて自分の手を見た。


 人間の手だ。


 鏡の前に立つと、短い黒髪に紅の民らしくない金色の瞳の姿。なんだか長らく見ていなかったような気がする自分の顔が映っていた。

(……今までの事は……夢?)

 コンコン、と音がして振り返ると、そこに六つ上の兄が立っていた。

「にいさ……」

「やっと起きたのか。

 ……仕方ないなぁ、イルは」

 半ば呆れて、でも瞳の奥には優しさが詰まっている。

イルは熱いものが喉を込み上げてきて動けなくなってしまった。

「? ……どうした? 何かあったのか?」

 兄が心配して近づいてくる。

イルは目をゴシゴシと擦って頭を左右に振ると、必死に笑顔を作って答えた。

「うううん! 何でもない!

 目にゴミが入っただけだよ!」

 えいっと兄の胸に飛び込む。

 父は何を考えているのかイマイチ解らなかったが、兄はいつでもイルに優しかった。

ぎゅうっと抱きつくと大好きな兄の匂いがする。

「……ちょっと怖い夢を見ちゃって……でも大丈夫!」

 そう言って兄の顔を見上げると、兄の肩口からひょっこりとガヴィが顔を出した。

「へえ? どんな夢だよ」

「……どんなって……

 ……ガヴィ、なんでここにいるの?」

 口にして、全てを悟った。



 ――ああ、ゆめ、かぁ……――



 目を開けると、テラスから差し込んだ光が優しくイルを照らしていた。

 目の前には、黒い毛並みの狼の足。

ゆっくり顔を上げると、ダイニングのテーブルでお茶を飲んでいるガヴィと目が合った。

「お。起きたかよ。よく眠れたか?」

 朝の光がガヴィの赤毛に当たって綺麗だ。


 兄とガヴィは全然似ていない。

兄はガヴィみたいに人を食ったような笑い方はしないし、木漏こもれれ日みたいに優しく笑う人だった。

 でも、どうしてだろう。

 おひさまみたいな、あったかい笑顔は一緒だ。

胸がぎゅうっとなる。


 イルは下を向いた。

 目から熱いなにかがこぼれそうだったから。


「なんだ? 具合でも悪いのか?」

 いつもふざけているのに、思いのほか心配そうに覗き込むから、イルは立ち上がると照れ隠しにガヴィの顔をパシッと尻尾で軽く叩いた。

「ってぇ! ……お前なあ……」

 人が折角よお…と二、三文句を言ったが、肩をすくめて嘆息たんそくするとそれ以上は追及してこなかった。


「……ところでよ、今日俺は城に登城とじょうするがお前も行くか?」

 ガヴィの言葉に耳がピンとなる。

イルはガヴィに向き直ってじっと彼の顔を見つめた。

「もちろん、そのままじゃいけねえぞ。

 とりあえずはコレを付けてもらう」

 取り出したのは朱色の首輪と鎖だ。

「野生よろしくそのまま王都を歩きゃ大騒ぎだろうし、俺の飼い犬然として来るなら王子に会わせてやる。どうだ?」

 飼い犬……の下りにイルは嫌な顔をしたが、王子には会いたい。

ガヴィはいつも断りようのない二択を持ってくるからたちが悪いと思う。

 素直にウンというのもしゃくに触るが、ガヴィに連れて行ってもらわないと王子には永遠に会えやしないので、肯定の意味を込めて床を二度尻尾で叩いた。

ガヴィにはそれでと伝わったのか、いつものように不敵な顔で笑った。


 そんなやり取りをしている間に、レンがティーカップを片付けにやってきて(ガヴィは朝食を食べていたらしい)イルが目が覚めたことに気づくとおはようございますと挨拶をしてくれた。イルにも温かいミルクを入れてくれる。

 レンはガヴィが用意した首輪を見ると素朴な疑問を口にした。

「ところでガヴィ様、首輪はその色でよろしかったのですか?」

「あ?」

 なんでだよ? とレンを見る。

「いえ、特に深い意味はないのですが……」

 モゴモゴと珍しく歯切れ悪くレンが答える。

「だってコイツ真っ黒だし朱が映えんだろ?

鎖はもうしてるしよ。めすだから丁度いいだろ」

 ガヴィははっきりと答えた。

(――え?! なんで?!)

「そ、そうなのですか?

 どうしてそんなことがおわかりに?」

 イルもレンもびっくりしているのを尻目に、

ガヴィは事も無げに答えた。

「あん?

 だってコイツ、洗った時についてなかっ――」

 イルはガヴィの足に思い切り噛み付いた。


 屋敷にはガヴィの叫び声が響いたが、優秀で思慮深い執事は主人を助けなかった……らしい。



*****  *****



 アルカーナの王都は背の高い強固な城壁で囲まれている。

荘厳そうごんな城門をくぐると、そこには賑やかな市場や街並みが広がっていた。

城壁内は城から繋がる大きな通りが十字に伸びており、通りに沿って大小様々な家々が建ち並んでいた。近隣の国々に比べてもかなり賑やかな城下街だ。

森から出たことのないイルは、人々の往来や色とりどりの建物が物珍しくて目をキョロキョロとさせた。

「……キョロキョロしてんじゃねえ。

 真っすぐ歩けよ、大人しくしてねえと警戒されんぞ。……くっそ、足まだ痛ってぇなあ……!」

 ブツブツ文句を言いながらイルの鎖を引くのはご存知、赤毛の剣士ことガヴィ・レイ侯爵である。


 イルはフンっと鼻を鳴らした。

(ガヴィって本当にデリカシーがないんだから!)

 元々貴族出身でないことから、普通の侯爵でないことは解ったが、それにしたって口が悪い。

こんな調子で王様に仕えているとか未だに信じられない。

 しかもレンを見ても思ったが、ガヴィに関してはどう見ても二十代そこそこだ。

この若さでどんな手柄を立てれば侯爵位なぞ拝命できるのだろうか?

「いいか? 俺の言う事をちゃんと聞いて、オリコウさんにしてねぇと城の中、ましてや王子の側になんて行けねえからな?」

 念を押すようにガヴィが言う。イルは心得た、と小さく吠えた。


 城下街を抜け、通りをどんどん進んでいくと、アルカーナ王国創世記に出てくる伝説の剣を携えた初代国王の石像が立っている広場に出る。

 石像の横を通り緩やかな石段を登っていくと、城を囲む城壁にたどり着いた。

城門前には兵士が立っており、イルはにわかに緊張した。


「ごくろーさん。通るぞ」

 ガヴィが慣れた様子で門をくぐろうとする。

「お待ち下さい! レイ侯爵」

 しかし門兵の一人がガヴィを止めた。

「あん?」

「お、お呼び止めしてしまい申し訳ありません。

 レイ侯爵は問題ありませんが、そちらの狼は一体……」

 門兵は緊張した様子で戸惑いながら己の任務を遂行しようとした。

「ああ、コイツ? 犬だよ!」


 ――そんなわけあるか。


 門兵どころかイルでさえそう思った。

いくらなんでも無理がある。

 もう少しマシな言い訳があるだろう、とイルは胡散臭そうな視線をガヴィに向けた。

「なんだよ、その目は。

 ……ちげぇよ、コイツはシュトラエル王子殿下の特別な飼い狼なわけ。

 王子の犬も同然だろ?」


 嘘だと思うならアヴェローグ公を呼んでくれや。


 門兵は顔を見合わせたのち、一人が急いで城内に確認に行った。



*****  *****



「ガヴィ!」

 しばらく待つと、城内から銀色に輝く髪色のとんでも無い美青年が小走りに駆けて来る。

銀髪の青年は何やら門兵と会話するとガヴィとイルの側にやってきた。

「……まったく君は! 先触さきぶれを出せばややこしくならないですむだろう!」


(う……、わぁ!! 凄い……!

 こんな顔の人……いるんだ……!)


 銀髪の青年は年の頃はガヴィより少し上だろうか、背の丈もガヴィより頭半分位高い。

見事な銀髪に深い翡翠色ひすいいろの瞳をしており、不思議な風格があった。

腰には細工の見事な剣を挿していることから、彼も武人で有ることが知れる。

服装もアルカーナ伝統の衣装を今風に品良く着こなしていて、まるで物語の中に出てくる精霊かなにかのようだ。

「先触れだして、返事を待ってーなんてやってたら、余分に二日はかかっちまうだろ?

 王子待たせんのも悪いし、お前呼んだ方がはえーもん」

 人懐こい笑顔でニカッと笑う。

 ……間違いでなければ、先程の会話の中でこの銀髪の青年は公爵だと聞こえなかったか?

だとしたら彼はガヴィよりも格上であるし、王家の血筋を持っていることになる。失礼にも程がある。


「……君な……」

 しかし青年はそんなガヴィの態度にも慣れっ子なのか、呆れはしているが気にした様子もなくガヴィの足元のイルに視線をやった。

「……こちらの黒狼こくろう殿が例の?」

「おう。シュトラエル王子が名付けた。

 ――アカツキだ」

 ガヴィに紹介されて、銀髪の青年公爵はなんと膝を折ってイルと目を合わせると唇の端を持ち上げた。

「初にお目にかかります。アカツキ殿。

 私はゼファー・ティグリス・アヴェローグと申します。以後お見知りおきを」

 黒狼姿のイルなんかにそれはそれは優美に微笑むものだから、イルはなんだかドギマギしてしまった。控えめに尻尾を振る。

「おまえ……俺の時と態度違うなあ?」

 ガヴィがイルを見て毒づく。

「……君の接し方の問題じゃないのか?」

 やれやれ、と呆れた様子でゼファーはその綺麗な眉を下げた。



*****  *****



 アルカーナの城内は強固な石造りの城壁とは対照的に緑で溢れていた。

城内に森があるかのようにあちこちに木々が植えられている。

しかし、光もきちんと射し込むように計算されているのか暗い印象はない。

 落ち着いたレリーフの入口を抜け、脇の回廊から階段を上がる。

途中で兵士の立っている扉をいくつか抜けたが、もう三人を止める者はいなかった。


 ガヴィとゼファーはある部屋の前に立つと扉を開けた。

そこは執務室らしく、しつらえの良い執務机と応接セット、奥には続きで部屋があるようだった。

ガヴィは慣れた様子でソファにドカッと腰を降ろす。

どうやらここはゼファー・アヴェローグ公爵の執務室らしい。

イルはガヴィに習い、ソファのそばに腰を降ろした。

イルが落ち着かない気持ちでいると、侍女がお茶を持ってくる。

ゼファーはお茶を受け取ると何やら侍女に指示を出し、侍女はかしこまりました、と下がっていった。

 部屋には二人と一匹だけになる。

「……さて、アカツキ殿についてだが、私個人としては君が大丈夫と判断したなら問題ないと思っている。

 だが……王子殿下の側に置くとなればやはり見極めは必要だ。

 まあ……君と、私のお墨付きがあれば問題ないだろうが」

 一週間ほどガヴィと行動を共にし、危険な行動がないと周りに知らしめつつ、二公爵が認めているとなれば王子に会っても異論はでないだろう(なにより王子自身も望んでいる)との事で、イルはこのままガヴィ預かりとなり、ゼファーの監督の元、しばらく王城で生活することとなった。

「来週辺りに王子が庭園に出ている時にでもさり気なく引き合わせよう」

 王子からもお願いしていただいてその内陛下にも許可をいただきましょう、とゼファーはイルの方を向いて微笑んだ。



「……ところで、」

 ゼファーは紅茶を一口飲み、ティーカップを置くとガヴィに向き直った。

「今回の王子誘拐の件についてだが、実行犯は君の報告通り死亡していて首謀者に繋がるものは今の所出ていない。

 ……だが、気になる事はある」

 含んだ言い方に、ガヴィも顔を上げた。

「……避暑地の北。国境近くにある小さな村が王子誘拐の同日に壊滅している」


(――!!)


 ゼファーの口から思いがけず自分と関係する言葉がつむがれてイルは硬直した。

「村?」

「……ああ、小さな村だ。

 黒煙が上がっていると目撃をうけて、森への延焼も危惧される為、領地管理下の伯爵家が調査に行ったらしいが、村は焼き払われて住民は皆殺しにされていたらしい」

 ガヴィが顔をしかめる。

イルは胸の音が嫌に耳に煩く響いていた。

「……誰がやったのか……いくら小さな村とは言え、個人の仕業ではあるまい。

 ……しかし、むごい事件とはいえ、国の最北端の部落とも言える規模の村の話だ。

 普段なら中央まで上ってくる話ではない」


 だが――


「同日に王子の誘拐事件。

 ……実行犯が逃げた方角が村の方向に一致する。

 それに加え、……その村と言うのが『くれないの一族』と言ってな、アルカーナ創世記にもある伝説の剣を作ったと言われる一族の隠れ里なんだ」

 カツンとカップが皿にあたり、ガヴィが持っていた紅茶が少し溢れた。

「私は二つの事件が無関係とは到底思えん」

「……確かにな」

 真剣な表情でガヴィも前を見る。


「王子殿下の誘拐事件は君が未然に防いだ事、世間に広がれば陛下への求心力の低下に繋がる可能性を鑑みて、一部の人間以外には伏せられている。

 だが引き続き調査は必要だ。

 ……陛下より、君と私に命が降りている」

 ゼファーから真剣な視線を送られて、ガヴィもゼファーと目を合わせた。

「……承知した」

 いつもとは違うガヴィの真剣な顔に驚きながらも、里に起きた悲劇がまさかここで話に上がるとは思わなかった。


(――この人達といれば、犯人がわかるかも)


 父に言われた通り、あの場から逃げるしかなかった。

知り合いも頼る所もない。

父が娘の無事を祈り、最後に願った黒狼の姿で命を繋いでゆくしかないと。

王子の側で彼の笑顔を守れたらと思っていた。


 けど、


かたきが、討てるかもしれない)



 イルは胸に新しい炎が灯ったのを感じた。


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