第2話 赤毛の剣士

 イルの生まれ育った里はアルカーナ王国の中でもかなり北に位置しており、広大な森の中の奥まった場所に位置していたため生まれてこの方森の外に出たことがなかった。

 たまにくる行商の人間や、国境を越えて森を通過する時に里を経由地にする他国の旅人を見るくらいで、同国の人間に出会った事の方が数少ない。

 一族の直系で族長の娘といえど、生活はほぼその辺りの村娘と変わりなく、貴族なんて見たこともない。

 だが、成り行きで旅の道連れとなった赤毛の剣士、ガヴィが貴族としてかなり可笑しいことは、さすがのイルでもわかった。


(――貴族って、こんなのじゃなくない?)


 いくら武人とはいえ、爵位のついた中央の貴族にしてははじめて来た森を問題なく歩けていすぎだし、……何よりも言動が。


「王子、ワリーけど頑張ってあるこーな。

 抱えていけないこともねぇけど、なんかあると剣使えねえから」


 ……幼いとはいえ主君だよね?

 え? ……軽すぎない?


 上下の関係などまるで感じないようにポンポンと交わされる会話。

気さくに話す様は好感が持てるが、それはあくまで一般人相手の時の話だ。

 別に自分は主従関係ではないが、……それにしても不敬ではなかろうか。

「全然だいじょうぶだよ! ぼく、がんばれる!」

 しかし王子の方もなんの違和感いわかんもなく返答をしているので、段々自分の感覚が可笑おかしい気さえしてきた。

「アカツキ! がんばろうねっ」

 アカツキことイルに向かってニコッと微笑む。

イルは尻尾を軽く振って王子に答えた。

「おぉ、すっかり飼い犬らしくなっちまって」

 ガヴィがわざと肩を震わせて笑うので、イルは王子には優しく振った尾をガヴィにはスパンと打ち付けた。

「なかよしだねぇ〜」

 王子がニコニコと笑うので不本意だがぐっとこらえる。

 この可愛いイキモノには逆らえないが、赤毛の剣士の肩がまだ揺れているのがムカつく。


 だがしかし、

ガヴィは口は悪いが旅の道連れとしてはとても頼りになった。

なんせこの一行は世間知らずのおんな子ども(獣一匹?)の戦闘力も知識も低い一行で、ガヴィがいなければあっという間に野垂れ死んでしまう。

ガヴィは剣の腕だけではなく、どんなところでも生きていける処世術しょせいじゅつに長けていた。


 そして何よりも明るい。


 延々と続く深淵しんえんの森は気が滅入めいるし足は痛い。ふとした拍子に森の闇に気持ちが引きずり込まれるような気さえしたが、ガヴィの軽口とカラリとした笑みに助けられている所は確かにあった。

加えて、王子と一匹の数歩先を行くガヴィの燃える様な赤毛が、暗闇の中を照らす松明の火の様にゆらゆらと揺れているのが心を明るくした。

 初めて会った時、おひさまみたいだと思ったけれど、夜の篝火かがりびにも似てるなとイルは揺れる赤毛を見ながら思った。


「頑張って歩けば、今日中には避暑地に着くからよ」

「……母上、しんぱいしてるよね」

 しょんもりと王子が呟く。

ガヴィはポンポンと安心させるように王子の頭を撫でた。

「大丈夫さ。

 心配はしてるだろうけどな、狼煙玉のろしだまも飛ばしたし王子の無事はちゃんと伝わってるからな」

「……狼煙玉のろしだま?」

「おぅよ。王子を追っかける間際まぎわに王妃様付きの魔法使いが投げてよこしてくれたんだよ」


 狼煙玉とは魔法で作った狼煙で、筒状の入れ物に魔法力が込められている。

狼煙玉の魔力を開放すると狼煙玉を作った魔法使いの元におおよその場所を知らせるのだ。

本来の狼煙と違い煙は出ないし、敵がまだ近くに潜んでいた場合、狼煙の煙により自分の居場所を特定されることもない。

尚且つ短い意思伝達ならば出来るので、ガヴィは狼煙玉を使う際に念を込めた。

 王子は無事、と。


 今頃は避暑地にいる王妃にも王子の無事は伝わっているだろう。

狼煙玉の力により捜索隊がこちらに向けて出発しているかもしれない。

「他にもまだ誘拐犯の仲間がいるかもしんねぇから、王子を確保した場所からは移動したが、 避暑地に向かって歩いてるし、捜索隊が出てりゃその内かち合うだろ。問題ねえ」

「そっかあ〜! じゃあ安心だね!」

 ね〜! とイルの顔を見てにっこりする。

「……まあ、王子の帰還には問題はないわな」

「ん?」

 ポリポリと頬をかいて、ガヴィは気まずそうな顔をした。



*****  *****



「どーーして?! ヤダヤダヤダ!」

 結果、避暑地に戻る事にはなんの問題もなかった。


途中、狼煙玉で大体の場所を掴んだ王家お抱えの魔法使いが、移動魔法を駆使して捜索隊を送ってくれたおかげで半日後には避暑地に戻れた。

 屋敷に戻り、王妃と王子の感動の対面……

までは良かったのだが……。

「だからな? 王子。

 流石にこのままアカツキを連れて王都には行けねぇって」

 ガヴィは王子の予想通りの反応に苦笑いだ。

「なんで?!

 なんでアカツキを連れて行っちゃだめなの?!」

 イルはオロオロとガヴィと王子の顔を見比べた。

「だからよ、流石にな?

 森で黒狼を拾いました。だから城に連れていきますってわけにはいかないだろ?」

「拾ったんじゃないよ! 友だちになったんだもん!」

「いや、そういう問題じゃなくてだな……」


 王子はもう半べそだ。

ガヴィはやれやれと王子の前にしゃがみ込んで目線をあわせた。

「…あんな? 王子とアカツキが友だちになったのは俺も知ってるけどよ、

 アカツキはこの通りどっからどう見ても普通の黒狼だろ?

 人の言葉が解っても喋れるわけでもねえみたいだし、ただの野生の狼を自由に城に入れるわけにはいかねぇって」

「……でも……一緒にいるって、約束したのに…」

 黒曜石のような瞳からポロポロと宝石みたいな涙をこぼす。

イルは自分の事で涙をこぼす王子に胸がギュッとなった。

 ガヴィは王子の顔を覗き込むとことほか優しく語りかけた。

「……ずっとダメだとは言ってねえよ。

 まずは王子もアカツキも汚れてドロドロだしよ、綺麗にしなきゃなんねえだろ?

 んで、アカツキが王子と一緒にいても問題ないって証明がいるだろ?」

 王子がパッと顔をあげる。

「俺んとこでコイツしばらく預かってやるからよ。

 ……ちゃんと王子の側にいても大丈夫だって、陛下に言えるようにしといてやるからさ」


 ……だからちょっとだけ、我慢できるよな?


 目線でそう問われて、王子は何度もうんうんと首を縦に振った。

 かくして、イルことアカツキは赤毛の剣士、ガヴィ・レイの一時預かりとなった。



*****  *****



「だぁーかーらー! 逃げるなっつってんだろ!!」


 さて、王子としばし別れ、ガヴィの所に身を寄せる事になったイルだが、

 ……ここで一悶着ひともんちゃくあった。


 避暑地から王子達と共に移動魔法で王宮に移動し、ガヴィとアカツキは王子一行と一旦別れ、城下街から少し離れた郊外にあるガヴィの屋敷に向かった。

 本来ならば護衛として王子を送り届け、国王に報告義務があるのだが、アカツキをすぐに連れて帰れないならちゃんと安全な場所にいて欲しいとの王子たっての要望で、王妃から許可も出た為、取り急ぎガヴィの屋敷に向かう事になった。

 が、屋敷に着いたはいいが、帰郷にホッとする間もなく一番の問題に気づいた。

 ……森の中では切羽詰まっていて問題ではなかったが、先刻のガヴィの指摘通り、イルの身体がドロドロで汚いのだ。


 まずは屋敷に入る前にイルの身体の汚れを落とさなければならない。

すっかり意思疎通ができると思っているガヴィは「よし! 洗うぞ!」そこへ直れ! とやはり犬扱いでイルを洗おうとした。

 たまったものではないのはイルである。

 いや、正直言えばイルだって洗いたい。直ぐ様キレイになりたい。

なんと言ったって中身は人間の女の子なのだ、身体が汚れたらお風呂に入りたいに決まっている。


 けれど、


(バカバカ〜!! 男の人に洗ってもらえるわけないじゃない! 私、裸も同然なのに!)


 イルは全力で逃げ回った。


 いくら子どもとはいえ、もう父とも兄とも風呂を共にしなくなって久しい。

ガヴィは中身は人間だと知らないから仕方ないが、知ってる自分からすれば年若い男性に洗ってもらうなんてとんでもない。

獣の手では洗えないから、あんなところやこんなところまで洗ってもらう羽目になる。

 お姫様然としていなくたってそれくらいの羞恥心しゅうちしんはある。


 恥ずかしい。死ねる。


 ガヴィの屋敷の前庭を小一時間、逃げて逃げて逃げた。

 不毛な追いかけっこに一人と一匹はゼーゼー肩で息をしながら睨み合う。遂にガヴィがキレた。


「――いーかげんにしやがれ!

 ちゃんと洗わねーなら、一生王子んとこにはいけねーからな!」


 この勝負、イルの負けである。


 イルはトボトボと、本当にトボトボと洗髪嫌いの犬の様にお縄についた。

「ったくよ! 初めからそうしてりゃいいんだよ!」

 ブツブツと文句を言いながらおけに張った水をイルにかけようとしたが、不意にガヴィの鼻孔びこうをある香りが掠めた。

(――血の臭い?!)

「お前、どっか怪我してんのか?!」

 ガバとイルの身体を確認する。

(ひええぇえぇ…!!)

 イルは内心目を白黒させたが、ガヴィは真剣だった。

(……怪我は……してねぇな。こいつの血じゃねえ。……返り血? そう言えばこいつ、どこから来たんだ?)

 チャリ……と首の鎖が手に当たる。

イルはビクリと身体を震わせた。

「……お前、他にご主人様がいるのかね?

 ……王子泣かせんなよ」

 呟いてから水をかけた。

 イルも観念して大人しく洗われた。



*****  *****



 すったもんだの後、

やっとアルカーナ王国の侯爵、ガヴィ・レイの屋敷に足を踏み入れたのだが、

 ……ガヴィの屋敷は奇妙であった。

侯爵といえば王家の血をひく公爵家に次ぐ上から二番目の階級であるにも関わらず、彼の屋敷はこぢんまりしている。

流石に一般家屋かおくとは言わないが、規模的には街の重役レベルの邸宅ではないだろうか。

作りは良いが大変小ざっぱりしている。

とても侯爵家とは思えない。

 とはいえ、門をくぐりイルが逃げ惑った前庭は品良く季節の草花が植えられているし、清潔に整えられた敷地内は好感が持てる。

しかし華美過ぎない屋敷にホッとしたのも確かだ。

 森から出たことのない村娘同然、しかも今は獣姿の自分には突然のお屋敷暮らしは敷居が高すぎる。


 もう一つ、違和感を感じたのは人の少なさだ。

侯爵家と言う割に屋敷内に人がいなさすぎる。

屋敷に入った時に律儀にも紹介された執事のレンと呼ばれる青年以外、殆ど人と会わないのだ。

屋敷を囲む塀の門には警備をする為の兵士がいたが、建物の入口には誰もおらず、扉もガヴィが自分で開けていた。

(……この人、本当に侯爵なの?)

 チラリとガヴィの顔を伺う。

ガヴィはイルの視線に目聡めざとく気がついてニヤッと笑った。

「お前さんが何考えてるか当ててやろうか?

 『こいつほんとに侯爵か?! 屋敷はしょぼいし、人いなさすぎ!』」

 思っていたことを丸々言葉にされてイルは面食らった。

「……俺はよ、侯爵っても元々貴族様じゃねえ。

 武勲ぶくんを上げまくって王様に気に入られての所謂いわゆる成り上がり貴族だからな、でっけえ屋敷は性に合わねえし領地を貰ったって管理に困るわけ」

 侯爵とはいえ、ガヴィは国王の手足となり、国のあちこちに行き任務をこなしているため、屋敷の滞在期間が短い。

なので普段は専属執事のレンが屋敷内の事は一人でこなし、警備等については城から派遣された兵士が交代で行っているらしかった。

 客人が来た時等は通いでメイド等を雇う時もあるが、ガヴィに用事のある者はほぼ城にある職務室にくるし、私邸であるこの屋敷を訪ねてくる者は殆どいないらしい。



「ガヴィ様、お茶が入りました」

 テラスのついたリビングに行くと執事のレンが紅茶を運んで来た。

「おぉ、ありがとな」

 ガヴィの屋敷のリビングはそんなに広くはないが(とはいってもイルの住んでいた私室の四倍くらいはありそうだった)少し広めのダイニングテーブルと暖炉、その前に低めのソファがあり、壁の一面がガラス張りになっていて庭に出るための扉がついている。

扉と庭の間には屋根付きのテラスがあり、光が柔らかく差し込んで居心地が良さそうだった。


「ところでガヴィ様、アカツキ様のお部屋はいかがなさいますか?」

「あぁ? 部屋? いや、獣に部屋もなんもねぇだろうが。まさかベッドで寝るわけでもねえし」

 改めてイルを見る。

(……確かにコイツ、人間みたいにこっちの言ってることは理解してるし、たまに錯覚起こしそうになるが、どこをどう見ても獣だし)

 一部屋やるのは可笑しくないか? 目線でレンに問うと、

「シュトラエル王子殿下からお預かりした大切な方だとお聞きしましたので」

 とにっこり微笑まれる。

「……お前、どうするよ?」

 イルは突然話を振られて困惑した。


 部屋は正直欲しい。

 一人で羽根を伸ばしてのんびりしたい。


 けれどガヴィの言うように獣が人間の部屋を使うというのはかなり変だ。

 イルは束の間考えると、返事をするかわりにテラスから差し込む光が気持ちの良い部屋の角に行き、何度かクルクルと回ってその場に座り込んだ。

 それを見てレンは笑みを深くすると、

「アカツキ様用にクッションをお持ちしますね」

 と下がっていった。


「……さてと、俺は報告書上げるからよ。

 お前適当にくつろいどけな」

 敷地内ならどこ行ってもいいぞーと紅茶の入ったカップを持ち上げ、パタパタとイルの顔も見ずに手を降って自室に戻った。



*****  *****



 一人取り残されたイルは、やることもないのでガヴィの言葉に甘え屋敷内を散策することにした。

 リビングからテラスへ抜けるガラス扉を鼻先で押し、テラスへ出る。

テラスにも座り心地の良さそうなベンチが置いてあり、そこから庭を眺められるようになっていた。

 庭はそんなに広くはなく、木々と生け垣に囲まれて塀の外は見えない。

テラスから庭に出ると左の奥に小さな池があり、生け垣の足元には前庭と同じように色とりどりの草花が咲いている。

決して派手ではなく、どちらかといえば素朴で屋敷全体が可愛らしい秘密の花園といった装いで、おおよそ赤毛の剣士とは似つかわしくない。

庭の右には小さなアーチをくぐると細い小道があり、ガヴィとイルが追いかけっこをした前庭に繋がっていた。

 前庭に出ると、執事のレンがしゃがみ込んで花壇の手入れをしている。

レンはすぐさまイルに気がつくと、作業の手を止めイルに会釈をした。

「これはアカツキ様、お散歩ですか?」

 イルに柔らかい笑みを向ける。

イルは尻尾を左右に振って返事をした。

(私、こんな姿なのに普通に話しかけてくるんだな)


 この屋敷の人間は不思議だ。


 ガヴィにせよレンにせよ、人の姿でないイルに対しての接し方にまるで壁がない。

普通はいくら主人が大丈夫と言っても獣を連れてきたら恐れを抱くのが当然ではないのか。

それに、レンは執事の割に若すぎる気がする。

勝手なイメージだが、こんなお屋敷の執事と言えば、老齢の髭をはやしたお爺さんが出てくるものと思っていた。

レンはどう見ても三十手前に見えるし、どういう経緯で執事になったのだろう。

 イルが不思議そうな顔でレンを見つめていると、レンは手についた土をはらい「……お腹、減っておられませんか? 何かお出ししましょうか」と立ち上がった。

イルは特段お腹が空いていたわけではないのだが、そう言われた途端にお腹がクルルとなった。

 ……そう言えば里を出てから何も食べていない。

レンはクスクスと笑うと、狼は何を食べるんでしょうねえと呟いて歩き出した。

イルは鳴り止まないお腹の音に恥ずかしくて下を向いたが、大人しくレンの後をついて行った。

「お口に合うものを探してお出ししましょうね」

 優しく微笑む。

 どこか兄の面影が重なり、まだなんにも彼のことは知らないけれど、イルはもうこの青年が好きだな、と思った。



 その日の夜は、緊張が解けたのかレンが用意してくれたふかふかのクッションと毛布に包まれると、気絶するように眠りの渦へと吸い込まれた。


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