ゆっくりと距離を縮める二人

 数日後。

「あ、ほら、あそこ。ナゼールとミラベル嬢だぞ」

「あら、早速二人きりですわね」

「最近開発されたらしい写真機カメラというものがあればあの二人を撮影して笑い物に出来るのに」

「あら、そんな物がなくても十分じゅうぶん笑い物でございますわよ。あんな見た目がパッとしない二人なんて」

「ナゼール殿、まともに話が出来ずにミラベル嬢に気持ち悪いとか思われてる可能性もありますよ」

「あら、ミラベル様ももしかしたらナゼール様に地味女だとか思われていたりして」

 ダゴーベールやバスティエンヌ達は、ミラベルとナゼールが二人でいる様子を目撃して嘲笑している。

 周囲の悪意により無理矢理出会わされたミラベルとナゼール。二人の仲はぎこちないが、悪くはなかった。

「ナゼール様、その……何を読んでいらっしゃるのですか?」

 二人共あまり会話が得意ではないが、ミラベルは隣で読書をするナゼールに聞いてみた。緊張により少し表情は硬い。

「これはその……機械工学……に関する本です」

 ナゼールはしどろもどろになりながら答える。

「機械工学……。えっと、申し訳ございません。その、わたくし機械のことはよく存じ上げていなくて……」

 ミラベルは申し訳なさそうに肩を落とした。

「その、気にしないでください。……機械工学は単なる僕の趣味なので」

 ボソボソと話すナゼール。緊張しているようでミラベルとはあまり目を合わさない。しかし、顔を上げて再び話し始める。

「ただ……この学園の理事長である女大公閣下が女王として現役だった頃、雷の正体が電気であることを発見しました。そこから電気について研究が行われ、電池が開発されました。この電池によって、機械がもっと発展するのではないかと……あ、すみません。……喋り過ぎ……ですよね……」

 少し饒舌になっていたナゼールだが、ハッと我に返り俯く。

「いえ、ナゼール様がどういったものにご興味をお持ちなのかがよく分かりました」

 ミラベルは優しく微笑んだ。緊張が少し解れたようだ。ナゼールは目を見開き、黒縁眼鏡を掛け直す。

「ミラベル嬢は……僕の趣味に関して気持ち悪いとは思わないのですか?」

 再び俯くナゼール。ミラベルはきょとんとしている。

「気持ち悪いとは思わないです。それに……余程他者に迷惑をかけるような趣味でない限り、わたくしは他の方の趣味を悪く申し上げることは出来ませんわ」

「そう……ですか。……ミラベル嬢の趣味は何でしょうか? その、僕ばかり話すのも……申し訳ないので」

 ナゼールは緊張しながらミラベルと目を合わせた。眼鏡越しのヘーゼルの目が一瞬だけミラベルを捉える。しかし、すぐに目線を下に移してしまう。

わたくしはその、大したことではございませんが……ガーデニングでございますわね」

「ガーデニング……」

「ええ。ルテル領にあるお屋敷や、王都の屋敷タウンハウスの庭の一画で花を育てております」

「それは……素敵な趣味ですね。花を育てる、素敵です」

「ありがとうございます、ナゼール様」

 ミラベルはまだ少し緊張しているが、嬉しそうにムーンストーンの目を細めた。






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 学園からルテル伯爵家の王都の屋敷タウンハウスへ戻る馬車の中にて。

「ミラベル、いつもより楽しそうだね。何か良いことがあったのかい?」

 そう聞くのはミラベルの兄エクトルである。エクトルは十六歳で、ミラベルと同じくラ・レーヌ学園に通っている。年齢も学年もミラベルより一つ上だ。栗毛色の髪にムーンストーンのようなグレーの目はミラベルと同じだが、洗練された見た目である。

「ええ。モンカルム侯爵家のナゼール様という方と交流を始めたのです。……わたくしの趣味を素敵だと仰っていただけました」

 柔らかく微笑むミラベル。

「良かったね。ミラベルが育てた花はとても美しく咲くから、私もつい庭で足を止めてしまうよ」

 ミラベルに優しい目を向けるエクトル。

「ありがとうございます、お兄様」

「そうだミラベル、一週間後に父上と母上がルテル領から王都の屋敷タウンハウスに来るけれど、新しく開発された肥料を持って来てもらうかい? 本来は小麦栽培用だけど、ガーデニングにも使えるはずだよ」


 ルテル伯爵領は小麦の栽培が盛んでナルフェック王国内での小麦生産量は三位である。また、寒さに強い小麦や肥料の開発もしている。


「ええ、お願いしたいです」

 ミラベルは少し心躍らせた。






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 その日の晩、モンカルム侯爵家の王都の屋敷タウンハウスにて。

 社交シーズンではないが、ナゼールの父クロヴィスと母マリアンヌが仕事の関係で王都に滞在している。

「ナゼール、ここ数日少し明るくなったな。学園で何かあったのか?」

 夕食時、クロヴィスがそう聞く。クロヴィスは黒褐色の髪にクリソベリルのような緑の目で素朴な顔立ちだ。ナゼールが痩せたら恐らくクロヴィスのようになるだろう。

「ルテル伯爵家のご令嬢と話すようになりました」

 ナゼールはそう言いながら左手に持ったナイフでこの日の夕食の鴨肉のソテーを切る。家族に対しては緊張せず話せるようだ。

「あら、ルテル伯爵家と言えば、セルジュ様の」

 マリアンヌが反応する。マリアンヌはアッシュブロンドの真っ直ぐ伸びた髪にヘーゼルの目で甘めの顔立ちの美人である。ナゼールの目の色はマリアンヌ譲りだ。

「そう言えば、マリアンヌさんはルテル伯爵閣下と知り合いだったね」

「……それは初耳です」

 思い出したようなクロヴィスの言葉にナゼールは目を見開く。

「セルジュ様とは『薔薇の会』で一緒でしたの」

 ふふっと懐かしそうに微笑むマリアンヌ。

「『薔薇の会』!? 確か、現国王ガブリエル・ルイ・ルナ・シャルル・ド・ロベール陛下の弟君であり、ウォーンリー王国の王配になったレミ殿下がお作りになったサロンですよね? 現在は国王陛下のご子息で第二王子のミカエル・ルナ・ガブリエル・ナタリー・ド・ロベール殿下が取りまとめているサロンで、このサロンのメンバーに選ばれたら宰相など次期主要役職候補同然で……!」

 ナゼールは驚いていた。

「ええ、そうよ、ナゼール。ただ、わたくし達の時は、現国王陛下をサポートする為の極秘サロンだったのよ。それが今ではそう変わったのね。ちなみに、宰相でヌムール公爵家当主ユーグお兄様とその妻で医務卿のクリスティーヌ様、それから法務卿のディオン様とラ・レーヌ学園でマナーや所作などの紳士淑女教師をなさっているユルシュル様も『薔薇の会』のメンバーだったわ。ユルシュル様はセルジュ様の妹君よ」

 ふわりと微笑むマリアンヌ。

ユーグ様伯父上クリスティーヌ様義伯母上も『薔薇の会』のメンバーだったのは驚きです」

 ナゼールは驚きながらも左手で器用に鴨肉のソテーを切り口に入れた。

「お二人共優秀だからね。でもマリアンヌさんも優秀だよ。他国の言葉や文化への理解は私もマリアンヌさんに敵わない。マリアンヌさんが外務卿に選ばれたのは納得しているよ。当時私も外務卿候補だったけれど、君の知識の豊富さには脱帽したよ」

「ありがとうございます、クロヴィス様」

 マリアンヌはふふっと微笑んだ。

「そういえば母上、この前仕事でアリティー王国へ訪問しましたよね。アンナの様子はどうでした?」

 マリアンヌの言葉にナゼールは妹のことを思い出し、聞いてみた。


 ナゼールの妹アンナはアリティー王国のマントヴァ侯爵家に嫁ぐ予定だ。ナルフェック王国では現在隣国との同盟強化の為、国境付近に領地を持つ自国の侯爵家と同じく国境付近に領地を持つ隣国の貴族との婚姻を勧めている。モンカルム侯爵領はアリティー王国のマントヴァ侯爵領と隣接している。よってモンカルム侯爵家の娘アンナがマントヴァ侯爵家に嫁ぐことになったのだ。


「アンナは元気そうだったわ。婚約者のロレンツォさんやマントヴァ侯爵家の方々とも良好な関係が築けているみたいよ。アンナはアリティー王国の柑橘類を気に入ったみたいで、ナルフェック王国でも栽培出来ないか研究しているみたい。ナゼールもアンナも、技術的なことや研究好きなのはわたくしのお母様譲りかしら」

 楽しそうに微笑むマリアンヌ。

「アンナが元気そうで安心しました」

 ナゼールもホッとした様子で微笑んだ。そしてその後少し暗い表情になる。

「アンナは僕と違って社交性がありますし」

 自嘲するナゼール。

「これから身に付ければ良いさ、ナゼール」

 クロヴィスがそう励ます。

「ナゼールはわたくしに似ているわ。わたくしも昔は社交性がなくて一人で過ごすことが多かったのよ」

 マリアンヌは昔を思い出して苦笑した。

「でも、きっとこの先変わるきっかけはあるわ」

 マリアンヌはヘーゼルの目を優しく細めた。

「そうだと良いのですが」

 ナゼールは後ろ向きだった。

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