第7話 木陰のベンチ

 ママのおかげか、レポートも無事提出でき、その他のレポートや試験が終わった七月の末。最終試験を終えた講義室の中で、わたしは同じ講義をとっている頭木くんの姿を探していた。


 白いTシャツに紺のコットンパンツを合せた爽やかさが際立つ頭木くんをみつけ、わたしは声をかける。


「頭木くんも、この講義で試験終わりだったよね。ちょっと話があるんだけど、いいかな」


 呼び止められた頭木くんは、とてもうれしそうな顔をしていたので心が痛む。それでもちゃんと話をしなければ。そう決心してわたしは、木陰の下にあるベンチに誘った。


「あのね、夏休み遊びにおいでって誘われてたけど、里花ちゃんは行かないって言うから、わたしもやめておくね」


 わたしの断りの言葉を、頭木くんは簡単に聞き入れてくれなかった。


「里花ちゃんが来なくても、薫ちゃんひとりでもおいでよ」


 わたしは膝に乗せた手を強く握る。


「あの、やっぱり男の子とふたりっていうのは……。付き合ってもいないのに無理だよ」


「ダメって叔父さんに、言われたの?」


「ち、違うよ。叔父さんには何も言ってない。わたしが無理だって思っただけ」


「じゃあさ、付き合ったらいい? 俺、薫ちゃんのこと好きなんだけど」


 人生で初めて男の子に告白された。こんな陰キャのわたしを好きになっていただいて、大喜びしないといけないところだけど。わたしは、頭木くんと付き合えない。


「あの、えっと……、ごめんなさい」


 本当に、ごめんさない。こんないい人にごめんなさいなんて言うわたしは、天罰がくだりそうだ。


「ひょっとして、好きな人がいるとか?」


 頭木くんの声は、意外にも明るい。わたしはうつむきながら、こくんとうなずいた。


「それじゃあ、あきらめるしかないな。その相手に、もう告白したの?」


「えっと、あの、告白はしてないけど、たぶんわたしの気持ちには気づいてると思う……」


「へえ、そうなんだ。それで、ノーリアクションなの?」


 なんだか、だんだん恋愛相談のようになってきた。頭木くんも、前のめりだし。


「えと、微妙な空気は流れてて、でもわたしのこと子供あつかいしかしなくて、何考えてるかわからなくて」


 しどろもどろに、わたしはたった今交際を断った頭木くんにてっちゃんのことを聞いてもらっている。


「あーその人、年上なんだ。ところで、俺のことその人に言ったことある?」


 頭木くんの話の流れがまったく読めない。てっちゃんに頭木くんの話をしたからといって、何がどう恋バナに関係するというのか。


「あの前に会ったことある祖母が勘違いして、頭木くんとわたしがそのうち付き合うかもって、その人に言ったみたい」


 あの話を聞いた夜は、たしか朧月夜だった。てっちゃんがあの謎の歌をわたしに聞かせた夜。


「なるほど、それで嫉妬したってとこかな」


「嫉妬?」


 なぜそうなる。頭木くんは、プロファイラーなのだろうか。


「年下の男に取られそうになって、思いに火がついた。で、薫ちゃんのこと子供あつかいしないと、ヤバくなったと」


「……ヤバいとは?」


 ヤバいと言う言葉は大変汎用性が高く、否定にも肯定にも使える紛らわしい単語である。


「薫ちゃん、四月に会ってからドンドンきれいになってるよ。俺のこと好きだからかなー、なんて思ってて……」


 頭木くんは、ばつが悪そうにこめかみを指でポリポリしている。


「いや、俺のことはどうでもよくて。つまり、きれいになってる要因が自分なんだってわかった男なら、そんなの好きになるしかないって。でも、年がはなれてるとか、薫ちゃんはまだまだ子供だとか理由付けてストップかけてるんじゃない?」


「何にストップかけてるの?」


 わたしの台詞に、一瞬の頭木くんの顔が赤らむ。


「まあ、男の衝動というか。薫ちゃんをどうにかしたいとか、そういう邪な男の感情……」


 最後は尻すぼみに、小声になっていた。


「ごめん、変なこと言った。とにかく、薫ちゃんに言いたいのは、自信もってっていうこと。俺、しょうもない子、好きになったりしないから」


 頭木くんって本当は神さまかな? なんて、いい人なんだろう。自分がフラれたというのに、わたしのことを励まして応援までしてくれた。


 なんだか泣きそうになって、最後は頭木くんにお礼を言っていた。


「ありがとう。わたし、頭木くんと友達になれて、本当によかった」


 この言葉に苦笑いしつつ、頭木くんは別れを言い試験の終わった開放感に包まれた大学生たちの輪の中に消えて行った。


「頭木くん、めっちゃいい子だね!!」


 背中に背負っていたリュックから、にょきっとお猿のママが顔出しクリームパンみたいな手で目をこすっていた。涙をふいているということだろう。


 大学で手を怪我したことをママも何か察したみたいで、試験期間の荷物が少ない今、隙間のあるリュックに紛れ込んでいる。


「ちょっと、ママ。誰かに見られるよ。ひっこんで」


 わたしの叱責で、すごすごとリュックの中にもどったが、くぐもった声が聞こえてくる。


「でも薫ちゃん、最後の友達になれてよかったは、余計だったね。フラれた男に一番言ってはいけない台詞だよ」


「そ、そうなんだ」


 男心は、難しい。だからてっちゃんの気持ちもよくわからない。まずは、てっちゃんに自分の思いを話すことから始めよう。


 自分から言い出すのはとても怖いけれど、背中を押してもらって勇気の出た今なら、できそうな気がした。


 梅雨のあけた蓋が開いたような青空が、目に眩しい。じりじりと熱い太陽に照らされた体は発火寸前だ。


 早く涼しい典子さんのマンションに帰ろうと、歩き出したわたしの視界にこの場にいない人の姿が飛び込んできた。


 ドンと重い鉛が胸に落ちたような感覚に押され、わたしは思わず走り出していた。あの人が、こんなところにいるはずがない。ひょっとして、わたしを見張っていた? 


 真夏の太陽の下での全力疾走に、頭がクラクラする。それでもわたしは息を切らし走り続け、その人の腕をつかんだ。

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