第7話 気づいてしまった

 ずっとだまっているわたしを無視し、朧さんは自己中心的な未来予想図を垂れ流す。


「私と徹舟先生は東京で暮らすことになるけど、薫ちゃんももう大学生だし、一人暮らしできるよね」


 朧さんの中で結婚は決まったも同然のようだ。そのすこぶる高い自己肯定感、わたしもほしい。


 わたしは自己肯定感の低い陰キャ。陰キャができることといえば、口の端をぐっとつりあげ、へつらうこと。


「わかりました。嫌だって言えばいいんですね。お世話になったてっちゃんには、幸せになってほしいから」


 わたしの顔は、ちゃんと笑っているように見えているだろうか。朧さんが、勝ち誇ったように微笑んでいるのだから、ちゃんと笑えているのだろう。


 てっちゃんの幸せってなんだろう。結婚すること? 小説が売れること? てっちゃんの未来予想図に、わたしはいらないのかもしれない。


「じゃあ、話はそれだけだから、お暇するわね」


 朧さんは言いたいことだけを言い、アイスティーに口もつけずに立ち上がった。


「あらっ。さっきここにお猿のぬいぐるみなかった?」


 見ると、仏壇の横にいたはずのママがいない。


「ぬいぐるみなんて、なかったですよ」


 わたしがしらばっくれると、朧さんは首を傾げて帰って行った。玄関がしまってしばらくして、ママの怒声が狭い我が家に響き渡る。


「なんなのあの女!! 信じらんない。薫ちゃんにあんなことお願いするなんて、どういう神経してんのよ! 直接てっちゃんに言えばいいのに、外堀から埋めていくなんて、卑怯者!!」


 声のする階段を見ると、てっちゃんがママを抱っこしていた。


「てっちゃんも、なんで殴り込まないの。せっかくあたしが、抜け出してチクリに行ったのに!」


 てっちゃんはお猿にポカポカと胸を殴られながら、階段を降りてくる。


「ああいうプライドの高い人は、鼻をへし折られると逆恨みするからな。編集長に事情を言うて担当変えてもらうわ。もう、いっしょに仕事はできひん」


 淡々と朧さんの計画に対処するてっちゃんに、わたしは冷ややかに笑いかける。


「朧さんと、付き合ってたの?」


「付き合ってない。誘われて何回か寝ただけや」


「ちょっと、てっちゃん。正直に言いすぎだよ。女の子はそういうの一番嫌がるんだから」


 ママが慌てて、てっちゃんの口を塞いでももう遅い。


「この間、東京行った時も、そういうことしてたんだ」


 わたしの声に、どんどん棘が生えてくる。同居する叔父の下半身事情なんて、姪が気にすることじゃない。


 わたしは潔癖で男女関係に夢を見たいわけでもない。てっちゃんみたいなモテまくる人が聖人君主でいられるわけもない。わかってる……じゃあ、なんで、てっちゃんのこと許せないの……。


「してない。たしかに、昔はくるものは拒まずで、愛情なんてなくても誘われたら寝てたけど、もうやめた。大事なもの、なくしたくないし」


 その大事なものって、ママだよね。ママが帰ってきたからだよね。お猿でも、そうやって抱っこして大事にしてるんだよね。


「勅使河原先生の、お見合いの話は本当?」


「すぐに、断った」


 朧さんが気にしていたように縁談を断ったら、勅使河原先生にかわいがってもらっているてっちゃんの立場はどうなるんだろう。


「断って大丈夫だったの? 勅使河原先生にはいつもお世話になってるし、その姪御さんだって朧さんよりいい人かもよ」


 これでは嫌味にしか聞こえない。嫉妬している嫌な女の台詞そのものだ。


「はなから断るってわかってるのに、見合いする方が失礼やろ」


「なんで、断る前提なの? 結婚したらいいのに。そしたらわたし、典子さんのところに行くし」


「ちょっと、薫ちゃん。なんでけんか腰なの。てっちゃん、今は心入れ替えてるんだから。ねっ、薫ちゃんが大事なんだよ」


「うるさい! ママに言われたくない」


 わたしは怒っている。どうしようもなく自分に怒っている。ごまかして気づかないフリをしてきた気持ちに、とうとう気づいてしまった自分が腹立たしい。


 朧さんのこと馬鹿にしていたのに、わたしもてっちゃんを誰かに取られそうになって、自分の気持ちに気づいてしまった。


 てっちゃんのことが、好き。家族の好きじゃない、好き。てっちゃんが今まで適当に付き合ってきた女の人たちみんなに、嫉妬するぐらい好き。


 そんなもの認めたくないから、癇癪おこしてママとてっちゃんにあたりちらしている。


「もういい! お風呂入る」


 そう言い捨てると、脱衣所に駆け込んだ。洋服を脱ぎ捨て、浴室に入るとシャワーを浴びる。


 シャワーはまだ冷たく、心臓がキュッと悲鳴を上げた。しばらくして暖かくなると、乱暴に頭と体を洗い始めた。


 ボディタオルでゴシゴシと体をこすって洗い流しても、汚れといっしょに心を占領するてっちゃんへの思いは流れていかない。


 今度は水栓レバーを下げ、冷たい水を頭からかぶる。滝行のように煩悩を追い出そうとしたけれど、流れたのは頬を伝う熱い雫だけだった。

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