第5話 そら豆
夕食を食べ終えてそら豆の皮をむいていたら、わたしのスマホが鳴る。
「あれっ? スマホどこやったっけ」
「居間で鳴ってるよ。もう、薫ちゃんスマホほっとくなんて今どきの子なの?」
お猿のママがブツブツ文句を言いながらも、居間からスマホを持って来てくれる。ぬいぐるみであっても、スマホくらい持てるのだ。
「ありがと。うわっ、朧さんからだ」
てっちゃんの担当編集である朧さんからわたしのスマホに連絡が入る時は、たいてい要件が決まっている。
「こんばんは朧です。徹舟先生、今回は進み具合どうかな? 進んでますか」
早口でまくし立てる声が耳の奥に響き、スマホを少しだけ離す。
どこの出版社の担当さんも、てっちゃんの筆の進捗状況をわたしに聞いてくる。本人に聞いたところで、遅れていても進んでいる絶好調ですとしか言わないのがわかっているのだ。
「昨日も筆がのってたみたいで、徹夜してました。原稿用紙のたばをみると、けっこう進んでるみたいです」
昨日てっちゃんの部屋の掃除に入った時に、それとなく机の上の原稿用紙をチェックしておいた。
「本当! よかったー前回は、二回も〆切のばしてぎりぎりだったしね。徹舟先生いまだに原稿用紙だから、締め切り設定大変なのよ。来週他の作家さんと打ち合わせで大阪へ行くから、帰りにそっちによるね。薫ちゃんお土産何がいい?」
彼女がもってくるお土産に、はずれはなかった。なので、わたしはいつも何がほしいと言ったためしがない。
それでも、かならず朧さんは聞いてくる。私の機嫌をとっても、てっちゃんの原稿が進むわけでもないのに。
この日も、なんでもいいですよ。と答え電話を切った。
「朧さん、なんて?」
お風呂から上がってきたてっちゃんが、脱衣所で会話を聞いていたようだ。浴衣に濡れ髪で、台所に入って来た。
「来週こっちにくるって」
わたしは再びそら豆の皮をむき始める。これは、今日の夕方ご近所のマダム宇津木さんが届けてくれたのだ。
そしてついでに、八宮徹舟の本を持って来てサインをお願いされた。なんでも、親戚に頼まれたとか。てっちゃんは、営業スマイルでサインに応じていた。
「なんで? 締め切りまだやけど。打ち合わせもないのに」
作家先生は担当の襲来にびくびくしている。
「大阪へ来るついでみたい」
てっちゃんが心底安堵した顔をして、ダイニングテーブルに座ると、猫のミヤまで寄ってきて浴衣の膝に乗る。
「これ、塩ゆでにする?」
てっちゃんはつやつやの大きなさやに手を伸ばし、いっしょに皮をむいてくれる。ミヤは芋虫の数倍あるさやを、いじりまわす。本当の芋虫と思っているのかもしれない。
「そうだね、初物はシンプルに食べようか」
「ビール飲もうかな」
「今日の分の原稿進んだ? こないだみたいに、朧さんに催促されるの嫌だからね」
「はい、やめておきます」
ビールが却下されたところで、ママが椅子によじ登ってきた、このお猿は長い腕を器用に使っていろんなところに移動できるのだ。ただし、足が短いので歩く速度は相当遅い。
「あのさあ、二人の会話が熟年夫婦みたいで、なんかいいね」
ママが長い腕を折り曲げ、頬杖をつく。
「熟年夫婦って。じゃあ、ママはなんなわけ?」
「そら、子供やろ。体が小さいねんから」
「中身が、おばさんでも?」
わたしが意地悪な流し目をママに向ける。これぐらいの仕返しをする権利は、わたしにあると思う。
「ちょっと、薫ちゃん! ひどくない。ママはいつまでも若いんです。アメリカでも、イケイケだったんだから」
「そのイケイケっていう言い方が、もうおばさん」
「えっ、古いの。そうなの、てっちゃん?」
お猿は勢い込んで、てっちゃんの浴衣の襟をむんずとつかむ。襟元がはだけて、胸元がちらりと除き、わたしは目をそらせた。
そういうのは、この家族にいらないんです。
「そもそも、イケイケは行くの命令形を重ねて、反復することによって」
「……もういいよ。話が長い」
あきれたママの声がおもしろすぎて、わたしは吹き出した。
三人でこうやって、馬鹿な話をしてケラケラ笑っていたら、たとえ仮初であっても本当の家族みたい。
ママはしたいことが、まだ思い出せないみたいだ。ここに来た理由は、死ぬ瞬間に何かしたいことがあったから。
それを思い出したら、ママは成仏してしまうのだろうか。ずっと思い出さなければいいのに。このままずっと三人ならば、家族が成立する。
見つめる相手が一人より二人の方が、穏やかな人間関係を形成できる。濁りのない家族でいるために、ママというイレギュラーな存在はわたしたちにとって必要だった。
てっちゃんばかりを見つめるのは、もうしんどい。
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