第2話 お花見弁当
春のちょっとだらしない暖かさに、眠気がなかなか飛んでいかない土曜の朝。わたしは三人分のお弁当をつくっていた。
「ええ、じゃあ。今日お花見に行くの? いいなあ。ママも連れてってよ。植物園なんて子供の時いらいだから、行きたい。行きたい!」
お猿のママが、ダイニングテーブルのはしっこに座り短い足をぶらぶらさせながら、娘にせがんでいる。この人、中身は享年三十七歳のはずなんだけど。
わたしは、玉子焼きをつくりながら駄々っ子を軽くあしらう。
「大学生が、ぬいぐるみ持参でお花見とか、おかしいでしょ。せっかく友達になった人をドン引きさせたくない」
しごくまっとうな主張だと思うのだが、ママは引き下がらない。
「だって、気になるもん。薫ちゃんの友達。やっぱさ、大学っていろんな人がいるんでしょ。宗教の勧誘とか何浪もしてるようなすっごく年上の人とか……」
偏見もはなはだしい。親らしい心配をしているフリだが、ただお花見に行きたいだけだろう。
「頭木くんと、木谷さんはそんな人じゃないよ」
「えっ、友達って男の子なの? やだー薫ちゃん早く言ってよ。それは絶対ママ見に行く」
「いやだから、友達だって。女の子ふたりと男の子ひとりの三人で行くの」
白だしで味付けした玉子焼が完成した。次は、豚の生姜焼き。今日は豚こま肉ではなく、ちゃんとロースを使う。
最近我が家の収入は格段に安定して、門山賞様々である。
「じゃあ、なんで友達のお弁当まで薫ちゃんが作ってるの? お弁当なんて彼氏に作るモノじゃん」
ママはまだ、ブツブツと文句を言っている。
「コンビニでお弁当買おうって言われたから、それならわたしが作るって言ったの。コンビニ弁当なんて、高いでしょ。ふたりは、飲み物とデザート買ってきてくれるから」
そう、だからあまり気張ったお弁当だとふたりが食べにくい。
春先に作ったピンクと緑の二色の混ぜ込みおにぎりに、玉子焼き、それに生姜焼きに、きんぴらゴボウ。気合の入っていない、ごく普通のお弁当だ。これなら、ふたりとも遠慮せずに食べてくれるはず。
お弁当とは別に、てっちゃんのお昼用にお皿におかずを盛りつける。ただいまてっちゃんは、徹夜明けで就寝中。
連載が二本に増え、締め切りに追われるちょっとだけ人気作家になりつつある。多忙に比例して、てっちゃんとすごす時間が減ったのはさみしい。
「やだやだ! ママも行く! お花見じゃなくて、薫ちゃんの友達が見たい!」
さみしいけれど、体の形態にあわせ精神年齢が幼稚園児のママのお守りで忙しい。
「もう、しょうがないなあ……」
わたしは大きなため息をつくと、できあがったおかずをお弁当箱に詰め、蓋をしめたのだった。
*
北山にある植物園は、京都府民の憩いの場で観光客が滅多に足を運ばない場所だった。しかし、四季折々の花が咲き桜の名所でもある。日本で最初にできた公立植物園だけれど有名ではない。まさに、府民だけの穴場。
そんな植物園の正門で持ち合わせしていた。わたしはリュックを背負い、肩から下げたトートバックの中にはお弁当のお重が入っている。
荷物をかかえ正門に近づいていくと、二人の姿が見え足を速めた。すると、背負っているリュックの中からくぐもった声が聞こえてきた。
「ねえ、いた? いたの? ちゃんとママに見えるようにしてね」
お猿の執拗な行きたい攻撃に抗えず、リュックの中にぬいぐるみを入れてきた。ふたりにバレたら、ものすごく恥ずかしい。
「ちょっとだけ、リュックのチャックが開いてるでしょ。その隙間から見て。絶対バレないようにね」
ぼそぼそと釘をさしたが、はなはだ不安だ。
「おーい、こっちこっち。薫ちゃん、すごい荷物だね」
頭木くんが素早く、わたしのトートバックを持ってくれた。彼は明るく気の付く人で、とても家族仲の良い家庭に育った人だなと思う。
「ごめんね。お弁当頼んじゃって。大変だったでしょ」
里花ちゃんは、わたしの労力を労ってくれる。しっかりものの里花ちゃんは、働くお母さんの姿を見てきた人だと思う。
「大丈夫だよ。わたし、毎日料理してるから」
もうわたしもすっかり二人に慣れて、普通にしゃべれるようになっていた。
「すげー。料理得意なんだ。俺、自炊してるから教えてほしいわ」
「あっ、わたしも教えてほしい。実家にいる時は、お手伝いさんがご飯作ってくれたから」
「でた、セレブ発言」
お母さんが法律事務所を経営している木谷里花ちゃんは、お嬢さまだ。そのセレブぶりを頭木くんが茶化すのが三人の間での一連のお約束となっている。
「わたしでよければ、教えるよ。ってたいしたこと、教えられないけど」
たわいないおしゃべり。受験の終わった開放感や、高校生とは違う自由な空気を味わえるようになった大学生のわたしたち。
なにもかも、春の空気のようにそわそわと心を浮足立たせる。そして今日は日差しが暖かく、絶好のお花見日和だ。
植物園の桜林はちょうど満開で、親子連れが多かった。その下でレジャーシートを広げお弁当を出すと、二人とも美味しい美味しいと大げさなほど喜んでくれた。
その賞賛は、照れくさいけれど素直にうれしい。お弁当を食べ終えたら、じっとしているもの寒くなり、大きな芝生広場で頭木くんが持って来たボールで円陣パスをして遊んだ。
まさに絵に描いたようなピクニックを楽しんだのだ。
日が傾むく夕方になり植物園を後にした。北山通りを三人で歩いていると、偶然にも典子さんに出くわした。夕方の営業時間に合わせ、自宅からお店に向かうところだろう。
「いやー薫ちゃん。お友達とどこぞに遊びに行ってたんか?」
料理屋の女将さんらしく、着物を着て髪もばっちりセットされた典子さんに、ふたりは面食らっている。
わたしは慌てて祖母であることを二人に、大学の友達だと典子さんに説明した。
「薫ちゃんと、仲ようしてあげてね。うっとこの店にも遊びに来て」
ばっちり営業スマイルを浮かべ、典子さんは地下鉄の駅へしゃなりしゃなりと歩いて行った。
「すっごい若いおばあちゃんだね。俺、お母さんかと思った」
「あの、おばあちゃんと住んでるの?」
ふたりは、同時にわたしに質問してくる。
「えっと、祖母とは住んでないの」
じゃあ誰と住んでるの? と突っ込まれたら正直に言うしかない。きっとすごく複雑な家庭環境だと思われるだろうと身構えていたら、里花ちゃんがとんでもない方向から攻めてきた。
「薫ちゃんって、実は人妻なんでしょ。いっしょに住んでるの旦那さんだ。それなら、料理がめっちゃうまいの納得できる」
「えっ、そうなの? たしかに柏木さん、大人っぽいし落ち着いてるけど。でも、結婚してるなんて、ショック」
「頭木くん。ショックって何? 薫ちゃんのこと狙ってたんでしょ。残念だったね」
ふたりは、勝手に盛り上がっている。
「ちょっと、ちょっと待って。わたし、結婚なんてしてないよ。実は叔父さんと住んでて。その人生活能力のない人だから、自然と家事スキルがあがっただけなの」
「……なんだ、よかった」
頭木くんが、あきらかにホッとした顔をしている。なんでだろ。
誤解はとけたけれどイマイチ納得できないまま二人と別れ、帰りの電車の中。リュックの中のママが話しかけてきた。幸い、電車の中はすいていてわたしの両隣は誰も座っていなかった。
「あの頭木くんって男の子、かっこいいね。素直で性格よさそうだし」
ママの台詞に答えるのが一瞬遅れる。
「かっこいい? そっか、頭木くんイケメンなんだ……」
「ちょっと薫ちゃん、毎日てっちゃん見てるから、イケメンの定義が厳しすぎるよ。頭木くんは十分かっこいい。彼氏にもってこいだって」
ママの脳内は、綿ではなく恋愛でいっぱいのようだ。
「すぐそういうこと言う。普通の友達だから。今は男女間でも友情が成立するんです」
「まあ、そう思ってるのは薫ちゃんだけだから。そろそろ薫ちゃんも、てっちゃんから卒業して、他の男の子に目を向けないと」
てっちゃんから卒業って、どういう意味だ。てっちゃんはあくまでも、わたしの保護者なのに。ママに文句を言ってやろうとしたら、電車が駅に停まり乗客が乗り込んできて、ママとの会話はわだかまりが残った状態で強制終了された。
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