第三章 朧月夜に見る夢は
第1話 新しい生活
大学の入学式は晴れていたが、霞がかかり白く不透明な空だった。その曖昧な空の下でスーツ姿の学生たちが、まだあどけなさが残る顔で保護者が構えるカメラに笑顔を向けている。
わたしも典子さんに付き添われ、出席していた。てっちゃんは、今回は締め切り間際だったので、泣く泣くあきらめたのだった。
そんな入学式の翌日にオリエンテーションが行われた。法学部は、四クラスに分けられていて一クラス三十人程度の学生が、講義室に集まっていた。
名前を呼ばれ、書類を取りにいく時のことだ。
「かしらぎさん」
と呼ばれたので返事をして立ちあがると、わたしの前に座っていた学生も同時に立ち上がった。
わたしが驚いて「えっ?」と発した声が聞こえたのだろう。その人は振り返る。少し茶色がかった髪は短く、ブルーのシャツが似合う爽やかで真面目な感じの男子学生だった。
「えっと、俺がかしらぎなんだけど。頭に木で頭木。君も、ひょっとして同じ苗字?」
そう言われた瞬間、わたしの顔はカッと熱を帯びた。きっと傍からみたら完熟トマトみたいに赤くなっていたことだろう。
わたしの苗字『かしわぎ』と『かしらぎ』を聞き間違えたのだ。
「ご、ご、ごめんな、さい……。間違えました……」
聞き取りにくい声でぼそぼそと謝ったわたしに、頭木くんは怒るわけでもなくにこりと笑って許してくれた。
大学生活が始まる最初の一歩のオリエンテーションで、友達をつくらないとやばい。と高校の友達あおいちゃんが、コミュ障のわたしを心配して助言をくれていた。
それなのに、やらかした。終わった……。人様の名前を間違え、ぼそぼそと不審者まがいの謝罪しかできない女子学生。
そんな子に、誰も声をかけてくれるはずもない。せっかくママが何事も最初の印象が肝心と、今日の服を考えてくれたのに。
頑張りすぎず、あくまでも学生らしい清潔感で、気さくな今どきな雰囲気を演出できる最強のコーディネート。
春らしいアイボリーのコットンニットのボーダーパーカーに、タイトなデニムパンツを合せてバランスよく。差し色に赤いスニーカーを合せると、こなれたトリコロールカラーになる。とママが言っていた。
頭木くんが書類を取りに行き戻ってくると、「柏木さん」と今度こそ名前を呼ばれ、ノロノロと立ち上がり教壇まで歩いて帰る行程はまさにいばらの道だった。
背の高い体を極限まで縮めて、すごすごと席につくと後ろの席の女子学生が呼ばれ入れ替わりに教壇へ歩いていく。
少しふくよかな体の髪の長い彼女は、書類を受け取ると軽やかな足取りで戻ってきた。
春らしい花柄のスカートが、明るい雰囲気の彼女をよりかわいく見せている。きっと彼女の性格も、このスカートのように朗らかな人なのだろう。
ああ、こういう人とお友達になりたい。
そうは思っても、自分から声などかけられない。うじうじと机の傷を意味もなく見ていると、トントンと背中に何かあたる。
「ねえねえ、あなた。背が高くてスタイルいいね。名前は柏木何ちゃんって言うの?」
後ろの席の明るい感じのいい彼女は、なんととっても気さくに声をかけてくれた。わたしの心の声がもれたのだろうか。
「あ、あ、あの、スタイルなんて全然よくないし……。えと、えっと、柏木薫です。あの、あなたは?」
これだけ言うのに、まだ寒さが残る春にして額に汗が浮いた。
「わたし、
木谷里花さん……。天使だ。こんなわたしに話しかけてくれるなんて。すると、今度は後ろを向いていたわたしの背中から声がかかる。
「君、柏木さんって言うんだね。すごい、俺と一字違いなんて奇遇だね。俺、
何が起こっているのか、わからなかった。木谷さんだけでなく、頭木くんまで話しかけくれた。
奇跡だ。奇跡がおこった。このお友達ゲットの瞬間を逃してはならない。落ち着けわたし、気の利いた会話を繰り出さないと。
「よ、よろしくお願いします」
こ、これだけしか言えない。しかし三人いれば、キャッチボールではなく、バレーの円陣パスのように会話が続いていく。
「俺は、愛媛出身。ひとり暮らし」
木谷さんが、すかさず頭木くんのパスを受ける。
「どこに住んでるの? わたし、大学のすぐ近く」
「俺は、ちょっと離れてて岩倉」
「えっ、すごく寒いところって聞くよ」
「だよね、温暖な愛媛で育ったから、冬がこえー。でも、家賃安いんだよね」
わたしが加わらなくても、会話のパスがどんどん回されていく。そうしたら、いきなり順番が回ってきた。
「柏木さんは、どこに住んでるの?」
「わ、わたしは地元で、宇治に住んでます」
よかった、答えやすい質問で。
「そうなんだ。言葉が京都弁じゃないから、わたしらといっしょかと思った」
「あ、あの、小学生の時に東京から引っ越してきたから」
「へえ。お父さんの仕事の関係?」
頭木くんが、かなりつっこんだ質問をする。頭木くんの家庭は、きっとお父さんとお母さんがそろっているのだろう。
「あ、あのそうじゃなくて、ちょっと、いろいろあって……」
わたしの言いにくい雰囲気をすかさず、頭木くんは察知してくれた。
「ごめん、俺、余計なこと訊いたね」
「そうだよー。どこの家庭にもお父さんがいるとは限らないからね。そういううちの家もシングルだし」
木谷さんがさらっと、助け舟を出してくれた。
「えっ、じゃあ、学費とか仕送りお母さん、大変じゃない?」
「うちの母、弁護士だから、大丈夫」
シングルの家庭は収入が低いとついついわたしも、頭木くんといっしょで思っていた。でも、そうではなく、いろんな家庭があるのだ。
「ひゃーすげー。じゃあ、木谷さんも弁護士目指して法学部なの?」
「そうだよ。働く母の背中見てきたからね。弁護士かっこいいよ」
さっそうとした女性弁護士さんが、脳裏に浮かぶ。いいなあ。うちの母は、お猿です。なんて、言えるわけがない。
「俺のうちはごく一般的なサラリーマンに、専業主婦だよ」
「今どき、専業主婦なんて勝ち組だって」
ポンポンとテンポよく交わされた会話で、二人の家庭環境が大体わかった。そしてなんとなく、二人ともわたしに気を使ってくれているのがわかった。
ずけずけと踏み込んでほしくないゾーンを、ちゃんとわかるふたりにホッとする。この人たちとお友達になりたい。それには、ちゃんと意思表示しないといけない。
「あ、あの、わたし、口下手でおもしろい話とかできないけど、ふたりと友達になりたいです」
い、言えた。わたしの決死の覚悟で述べた友達になってほしい宣言に、ふたりはポカンとしている。
「うん。俺もう友達って勝手に思ってたけど」
「そうそう、わたしも。よろしくね。薫ちゃん」
は、話が早い! そうか友達って、こういう風に自然となるんだ。高校の時は、同じ中学出身の面倒見のいいあおいちゃんがいてくれたからどうにかなったけれど。
違う大学に進学してもなお、わたしのコミュ障を心配していたあおいちゃんに友達ができたと、さっそく連絡を入れておかないと。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「さっそくだけどさ。柏木さんに、質問。京都の桜が見たいんだ。でも観光客がすごすぎて、どこか穴場なところない?」
頭木くんの突然の質問に、一瞬ドキリとしたがこれはお答えできる。よかった。典子さんの家がこの近くで、わたしに土地勘があって。
「それならね……」
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