第13話 梅が咲く
我が家の庭の梅がすっかり花を落とすころ、わたしとてっちゃんは庭掃除に精を出していた。
冬の間ほったらかしにしていた庭は、荒れ放題になっていた。今年は特に受験とてっちゃんの仕事が忙しくなったことが重なり、例年以上に荒れている。
まずは冬中、赤い花を咲かせてくれていた山茶花の剪定から始めた。と言っても、伸びすぎた枝を切るだけだけど。
てっちゃんが剪定している間に、わたしは落ちた枯れ葉や散った花びらを掃き集める。猫のひらいほどの畑はまだ、黒いビニールシートをかぶせたままだ。もう少し暖かくなってから、野菜の苗を植える予定。ピーマンとサニーレタス、オクラと後は何を植えようか考え中でだった。
三寒四温のリズムで日に日に春めいてくる。今日は特に風が暖かで、庭掃除をしていると体がポカポカとしてくる。
てっちゃんは、山茶花の剪定が終わると甘夏の木の根元に肥料の油かすを入れていた。こうしておくと、夏に実る黄金色の果実が甘くなる。
もうすぐお昼が迫り、わたしは台所へ向かった。朝握っておいたおにぎりと、昨日の残りの豚汁をよそい縁側へ運ぶ。
「てっちゃん、お昼にしよ」
てっちゃんは、返事をして脚立から降り手を洗う。ふたり並んで縁側に座ると、真上にきた太陽の光が膝を暖めてくれた。
「このおにぎりおいしそう。混ぜこんでる具はなんや?」
今日のおにぎりは、具を中に入れるのではなく混ぜ込んでいる。お皿の上に春らしい薄いピンク色と、緑色のおにぎりが二種類。
「自家製梅干しと塩昆布の組み合わせと、丸大根の葉っぱの油炒めと白ごまです」
京都の大根は丸い。京野菜のブランド名でいうところの、聖護院大根とか淀大根と呼ばれるものだ。
煮崩れしにくく味がよく染みおいしいのだけれど、葉っぱも美味しい。刻んでごま油で炒め、醤油とみりんで味付けして鰹節をまぶすとご飯が進む一品となる。
てっちゃんはまず梅と塩昆布のおにぎりを頬張ると、とたんに端正な顔のパーツが真ん中による。
「すっぱい! でも、仕事した体に染みるわ。美味しい~」
わたしは、大根の葉っぱのおにぎりに手を伸ばす。ごま油と白ごまの組み合わせに外れはないが、大根の葉っぱのシャキシャキ感がプラスされさらに美味しくなっている。
「本当に、薫ちゃん受かってよかったね。落ちてたら、こんなのんびりしてられなかったよね」
「うん、今頃後期日程の合否結果待ちで、死にそうな気分だったと思う」
「ママが勉強に付き合ってあげたおかげだよね」
お猿のママは只今お風呂――洗濯――のあとの乾燥中で、縁側におかれた物干し台に洗濯ばさみにつままれて、ぶら下がっていた。
その下では猫のミヤが番をするみたいに、日向ぼっこをしている。
「いや、そんなドヤ顔で言われても。ママは参考書の答え合わせしてくれただけだし」
「まあまあ、美夜ちゃんもいろいろと頑張ってくれたやろ」
体長三十センチの体では、できることも限られるけれど、学校から帰ってきて「おかえり」と玄関まで出迎えにきてくれたことは正直うれしかった。
てっちゃんは、大抵部屋にこもってわたしの帰宅に気づかないことが多い。
家に帰って、誰かに迎えてもらえるというだけで安心する。お父さんは仕事、お母さんはお家。という今では希少な昭和の家庭を、わたしは初めてあじわうことになった。これも、ママがお猿になって帰ってきたおかげと言えなくもない。
春ののどかな日差しと豚汁の温もりで、心も体も温まったというのに、突然ママの奇声が耳をつんざく。
「あっ、忘れてた! マイケルのこと。きちゃったよ」
その声と同時に、どかどかという無遠慮に庭に入り込む足音が聞こえてきて、あの髭をはやしたセレブなマイケル・ブラックが再び登場した。
ママだけでなく、わたしもてっちゃんもすっかりマイケルのことを失念していた。そういえば、受験の終わる三月に来ると言って帰って行ったのだった。
「やあ、やあ。おいしそうなブランチだな。それ、オニギリ?」
海外でも日本のオニギリは人気があるとか。ミヤは太く低いマイケルの声に驚いたのか、さっと家の奥に逃げていった。
わたしは忘れていた気まずさから、ついついサービスがよくなる。
「あの……、食べますか?」
多めに作っておいてよかったと、胸をなでおろす。
「おお、ありがとう」
わたしは急いで、台所へ行くとお盆の上に豚汁と二色のおにぎりとお茶を乗せ縁側へ戻った。
「いただきます」
日本の作法にのっとり、マイケルは手を合わせておにぎりを食べ始めた。
「うん、おいしい。薫は料理人になるのか?」
突然そんなことを言われ、首をぶんぶんとふる。
「じゃあ、将来の夢は? 大学はどこの学部を受けたんだ」
続けざまに問われ、わたしはあわあわと答えを口の中でもてあそぶ。てっちゃんが見かねて代わりに答えてくれた。
「薫は、無事に志望校に合格した。学部は法学部や。将来の夢は知らんけど」
わたしの夢は……。公務員になって安定した収入でてっちゃんを支えたい。作家なんていつ干されるかわからないからだ。
でも、こんなことを言ったらきっとてっちゃんは嫌がるだろう。だから誰にも言うつもりのない夢。マイケルに言う必要もない。
「まだ、就職先は考えてません」
「あっそう。で、薫はどうするか決めた?」
答えなんてマイケルがくる前から決まっていた。
「わたしは、ここにいます」
きっぱり言い切っても、マイケルは特段がっかりもしていない。
「まあ、そういう答えだろうとは思っていた。向こうで、八宮撤舟の受賞は知ったしね。経済的な心配はなくなったわけだ。でも俺はあきらめないぞ」
「薫ちゃんは、てっちゃんといたいんだって」
ママが物干し台につられた状態で、口をはさむ。
「薫と美夜はセットだよな。薫がここにいるなら、美夜もここにいる」
確認するように、マイケルは片眉を上げてママを見る。
「そうだよ。あたしは薫ちゃんの傍にいるの」
「じゃあ、話は決まった。俺も京都に住む」
「はっ? なんでそうなるんや。あんた仕事は?」
てっちゃんが、あきれた声を出してもマイケルは動じない。
「俺の仕事は、日本でもできるんでね。というかアパレル関係だから、世界を飛び回る。拠点はどこでもいいのさ」
「まあそうだけど、アメリカの家はどうするの? そういえば、あたしの部屋の荷物どうなったかな」
「俺の家はそのままにしとく。もちろん、美夜の部屋はそのままだ」
「えっ? 美夜ちゃん、マイケルはんといっしょに住んでたん?」
「そうだよ。だって、部屋代ただだし」
それって、同棲ってことじゃないの? でも、ママとマイケルは恋人ではなくビジネスパートナー……。ダメだ、理解に苦しむ。
「ということで、俺はこの近くでマンション借りるから。よろしく」
「よろしくて。どういう意味や」
てっちゃんが、いかにも嫌そうに薄い唇をへの字に結ぶ。
「君が点てた抹茶がうますぎて忘れられない。薫の料理もうまいし。時々食べさせてくれ」
わたしとてっちゃんは、マイケルの一方的な言い分に呆れて物も言えない。そんなわたしたちの様子にお構いなしに、マイケルはぺろりとおにぎりを完食したのだった。
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