第11話 初詣

「ほな、出かけよか。僕も着替えたし」


 てっちゃんは、グレーの着物にすっと縦に一本縞が太く入った粋な長着にこげ茶色の羽織を着ていた。


 そして、髪の根本だけ金髪で、プリンと逆の髪色になっているのを隠すため、中折れ帽をかぶっている。


「うわー、祇園で遊び回ってる旦那衆みたい」


「ええ、ママひどい。てっちゃん、かっこいいよ」


 爽やかさが微塵もないてっちゃんのことは、素直に褒められるわたしだった。


「薫ちゃん、こういう遊び人風なのに、引っかからないようにね」


 よく言うよ。と心で毒づく。わたしのパパもこういう人だったんでしょ。


「僕のことはどうでもいいし。今日の主役は薫なんやから。はよ行こ」


 そう言うと、わたしに赤いストールを差し出す。


「寒いし、このストールしていき。僕もマフラーしていくし」


 てっちゃんの首元を見ると、赤いマフラーが巻かれていた。


「同じグレー系の着物に赤い巻物って。カップルのリンクコーデだね。そうやって並んでると、恋人同士みたいだよ」


 玄関から出て行こうとしたわたしたちを見て、ママは冷やかすように言う。


「おじさんの僕と恋人に見えるやなんて、薫がかわいそうやわ」


「そんなことないって。薫ちゃん、大人っぽいし。着物きたら、十分てっちゃんと釣り合う大人の女の人に見えるよ」


 熱弁をふるうママを、てっちゃんは笑い飛ばした。


「ないない。せいぜい兄妹に見えるくらいや」


 全否定され、せっかく復活していた気持ちがまた一気に奈落に落ちる。落ちる理由は、考えない。考えたら最後、大やけどするのは分かり切っている。


「もうママ、変はこと言わないでよ。いってきます」


 乱暴に戸を閉めた隙間からママの「にぶちん」と言うつぶやきが聞こえてきた。


              *


 昨日まで師走のせわしない京都の街は、一夜明けるだけで華やかなお正月ムードに移行していた。


 電車とバスを乗り継いで、学問の神さま菅原道真公をお祀りしている北野天満宮に到着した。


 参道にはずらりと屋台が並び、人の波が本殿へ向かって太い流れとなっている。


「すごい人。迷子になりそう」


 人込みに入るのを躊躇しているわたしに、てっちゃんが手を差し出した。


「そんなかっこしてても、まだまだお子さまやなあ。ほら、手えつないだら迷子にならんやろ」


 子ども扱いされてムッとする……というよりも、どこかホッとする自分がいる。わたしの立ち位置の確認。叔父さんと姪の関係性に、濁った色を足してはいけないのだ。


「てっちゃんと、手をつなぐのいつぶりかな」


 無邪気な姪は、なんのためらいもなく叔父さんの手をとった。


「小学生以来かな? うちに来た頃はしょっちゅう、ふたりで散歩してたやろ」


「そうそう、近くの大吉山によく登ったね」


 我が家の前の道を登っていくと、大吉山というとても縁起のいい名前の山がある。その頂上から街が一望できるのだ。


 東京のビルばかり見て育ったのに、突然大きな川が流れるのどかな街に住むようになったのは九歳の時だ。自分のおかれている現実が、まるでファンタジーのようだと思ったことを覚えている。


 見知らぬ街を王子さまと冒険するわたし。現在中年になった隣の王子さまを、ちらりと見あげる。


「まだ梅には早いなあ。ここの梅苑は見事なんや」


 そう言うてっちゃんの視線の先、参道の左側に針金みたいな枝を伸ばす梅の木々がずらりと並んでいた。


「うちの梅も、まだまだ咲かないね」


「薫の受験が終わるころかな。桜咲くではなく、梅が咲くやな」


 梅が咲くころには、わたしの進路が決まっている。どんな気持ちで梅をながめているのだろう。


 まだ見ぬ梅の幻想をかかえ、本殿前の長蛇の列に並ぶ。ようやく学問の神さまにお願いする順番が回ってきた。これだけの受験生――じゃない人もいる――のお願いを叶えるのも骨が折れるだろう。


 深くお辞儀を二回して、柏手を二回する。


 合格祈願は氏神さまにお願いしたので、違うお願いをきいてください。


 どうか隣にいる遊び人風だけど中身は心優しい人と、ずっといっしょにいられますように。


 閉じていた目を開き、もう一度深々と頭を下げた。


「薫、えらい長いことお願いしてたな。大丈夫、絶対合格するから」


 受験生の姪に合格を確約しては、道真公もかたなしだ。でも、「ありがとう」って言って、神さまにお願いしていた手ですぐにてっちゃんの手を握った。


 冷たい底冷えのする京都の冬だけど、その手は神さまみたいに暖かかった。


 お参りのあとは、梅紋のかわいいお守りも受けて帰ろうとすると、

「せっかくやし、屋台でなんか食べよ」

 てっちゃんが美味しい匂いにつられて言う。


 たしかに、イカ焼きやらたこ焼きやらポテトのチープな匂いが境内に充満している。なんにしようと物色しながら歩いていると、ある屋台がわたしの目にとまる。


「あれがいい。あれ食べよ」


「焼きそばか、わかった。ほな、ふたつな」


「ひとつでいいよ。帰ったらまだおせちあるんだから」


「さすが、我が家の大蔵大臣」


 てっちゃんは、深くかぶった帽子の奥にある青い目をきょろりと冬空へ向けると、屋台のお兄さんに焼きそばをひとつ頼む。


「おおきに! お兄さん、ええ男やな。彼女もかわいいで」


 か、彼女。ママが言ったようにわたしとてっちゃんって、そういうふうに見えるんのか


「そやろ、僕の大事な人、かわいいねん」


 だめだ。この光源氏。綿あめみたいに甘くて軽すぎる。


「その返し、色男すぎて鼻血でそーやわ」


 お兄さんがゲラゲラ笑って、焼きそばを渡してくれる。わたしは屋台から離れたところで、文句を言った。


「もう、恥ずかしいこと言わないでよね」


「えっ、なんで。ほんまのこと言うただけやけど」


 こ、これだよ。わたしが姪でなければ、うっかり惚れそうだ。


「それより、食べよ」


 大きな石燈篭の影でお行儀悪く、焼きそばの包みをてっちゃんが開け始める。お兄さんは気をきかしてなのか、うっかりしてなのかわからないけれど割り箸がひとつしかない。


「はい、薫。あーん。着物にこぼさんようにな」


 うっ、完全に子供あつかいだ。渋々わたしは口をあける。てっちゃんに食べさせてもらった焼きそばは、少々コショウがききすぎた焼きそばだった。

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