第10話 京都のお正月

 イケメン金髪門山賞作家というネタは、一か月ほど世間を騒がせたが次第に下火になっていった。そもそもてっちゃんが積極的にマスコミに出なくなったので、新たな燃料投下もなかったのが大きい。


 心配していた姪への関心も少なく、わたしとてっちゃんが変な色眼鏡で見られなくて本当によかった。


 ゴシップ的話題は盛り上がらなかったが、受賞作は順調に売れていた。新しい執筆依頼も増え、てっちゃんは仕事に追われている。


 わたしも受験勉強に集中して日々を過ごしていると、いつのまにかお正月を迎えていた。


「薫、元旦ぐらい勉強お休みして、初詣いこ」


 爽やかだった髪型も伸びて、元の金髪王子に戻りつつあるてっちゃんが、受験生に無茶ぶりを言う。毎年、典子さんのところで働いている源さんお手製のおせちと、お雑煮をいただいている最中だ。


 京都のお雑煮は、真っ白である。白みそ仕立てで、餅は丸餅。中に入れる具は家庭によっても様々だけれど、白い具材は共通している。


 我が家はおばあちゃんが作っていたレシピを、てっちゃん経由で継承している。具材は潔くひとつだけ。頭芋のみ。


 頭……つまりテッペンとったるで、という意味合いがあるそうだ。わたしは、雑煮を食べ終わると、居間のこたつの上にひろげられた豪華なおせちの中から、花レンコンをつまむ。


 プロの料理人が飾り切りしたレンコンは美しく、かわいいピンク色に染まっていた。お正月にレンコンを食べると、その形状から将来の見通しがよいという縁起がある。


 受験を控え、合格と言う将来の見通しを立てたいわたしにぴったりのおせちだ。サクッとレンコンの触感もよく、甘酢がきいていておいしい。


「えー、昨日の夜いったでしょ。すぐ近くの神社に。わたしそこでちゃんと合格祈願心の中でしといたよ」


 奮発してお賽銭は五百円玉を入れたのだ。きっと神さまはお願いを聞いてくださるはず。


 大晦日の夜、日付が変わる少し前に家を出ててっちゃんと近所の神社で二年参りをした。二年参りとは、初詣の形式のひとつで年をまたいでお参りすることである。つまり、去年と今年を一度で参ることができるお得な形式というわけだ。


「あそこは、氏神さんやろ。そうやのうて、受験の合格祈願ていうたら北野天満宮や」


 近所の神社も一応、世界遺産に登録されている由緒正しい神社である。しかし、京都の人は御利益によって、神社を使い分ける。


 例えば、家を新築する場合は方除ほうよけの神さま城南宮にお札を受けにいく。安産祈願なら御香宮神社か、わら天神宮。火災除けには愛宕神社などなど。


 そしてもっとも身近で有名なのが、学問の神さま北野天満宮である。


「寒いよー。こたつに入ってよーよ」


 こたつの布団から、頭だけ出したお猿のママが文句を言う。ぬいぐるみのくせに、寒さを訴える理屈がよくわからない。


「美夜ちゃんは、家にいたらええやろ。薫と二人で行ってくるし」


 まだ行くとも言っていないけれど、二人でという言葉につられる。


「行くなら、典子さんに誂えてもらった着物着たいな」


 高校に進学して初めてのお正月に、作ってもらった着物があった。しかし、一回しか着たことがない。


「あっ、ええな。薫の着物は白鼠しろねず色やったから、僕も鼠色のウールの着物にしよ」


 ノリノリで言うてっちゃんに、水を差す。


「あの、わたし着物の着つけなんてできないよ。前は典子さんに着せてもらったから」


「かまへん、かまへん。僕が着せられる。薫の着物は仏間の和ダンスにしまってあったな」


 ……えっ? 女ものの着物まで着つけられるの、てっちゃん。


 いそいそと、仏間へいそぐてっちゃんの背中を見送っていると、ぼそりとこたつの中からママの声がする。


「まあ、脱がせたら、着せられるようにしとかないとってことでしょ」


 着物の女の人を脱がせて着せる状況なんて、ひとつしかないわけで。モテる男は、いろんなことができるようになるんだなあ。感心するわ……じゃない!


 なんだか、モヤモヤする。仏間へ行き、わたしの着物の用意をしているてっちゃんにそれとなく、水を向けようとした。


「なんで、女の人の着物まで着せられるの?」


 大人なスマートさで訊きたかったのに、どストレートな問いかけとなってしまった。男の腹を探るなんて芸当、高校生には無理だ。


「ああ、ばあさまが着付けしてるの見てたからな。晩年は手が後ろに上がらんて言うから、よう僕がお太鼓結んであげてたんや」


 ごめん、てっちゃん。邪なお猿のせいで疑ったりなんかしたりして。居間のこたつに睨みをきかせると、ママはそっぽを向いていた。


「髪型整えといで。化粧はせんでええけど、口紅は塗った方がええかな」


「それなら、ママがしてあげる!」


 疑った後ろめたさを吹っ飛ばし、ママがとことこと仏間に走ってきたので、お猿を抱っこして二階へ上がる。勉強机の上に鏡を出して、ほとんど使ったことのないワックスを出す。


「薫ちゃんは、ボブだからアップにできないし、ハーフアップにして前髪を斜めに流そうか」


 ワックスを髪になじませると、櫛をママに渡す。クリームパンみたいな手で、器用に櫛をあつかう。


「ここで、ゴムくくって。そしてねじって。そうそう」


 言われるがままに、あちこち髪をいじるとふんわりとボリュームのあるハーフアップに仕上がった。


「あとは、口紅だね。持ってるよね」


 誕生日に、あおいちゃんとあーちゃんからもらった口紅を引き出しから取り出す。数回しか使ってない、ピンク色のかわいい口紅。ママがつけてくれた。


「よし、かわいくなった。薫ちゃん、色も白くて整った顔してるんだから、大学生になったらちゃんとするんだよ」


「えっ、めんどくさい……」


「まあ、そんなこと言ってられるのも今のうち。誰かのこと好きになったら、女の子はぱあっ花開くみたいに、かわいくなるんだから」


「誰のことも好きにならないかも、しれないよ」


 恋愛なんてしない方が、心穏やかにすごせる。わたしはここで、ずっとてっちゃんと暮らしていたい。


「さあ、いつまで子供でいられるかな」


 大人の女みたいな口のきき方をするお猿にむかつく。せっかくかわいくなって、浮かれていた気分が鈍る。


 でも、てっちゃんに着物を着せてもらって落ちていた気持ちが、一気に急上昇した。


 薄い鼠色の生地に大柄なレトロな着物。てっちゃんの説明では、白鼠色の地に、橘と蘭を意匠化した古典的な柄行きだそうだ。そこに、銀色に輝く名古屋帯をしめて、大人かわいい装いの完成。


 鏡の前でじっくり見ると、背の高いわたしに大胆な色使いの着物はとてもよく似合っているように思える。


「この着物、典子さんの見立てでしょ。さすが、一流の着物ばっかり見てきた人だね」


 お猿が腕組みをして感心している。ママは、まだ典子さんに身バレしていない。典子さんは、いまだにママが死んだことを知らないけれど、その方がいいのかもしれないと、わたしは思っている。


 親が子供をとむらうことを、逆縁といって身を切るほど辛いことらしい。

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