第9話 爽やかイケメン出現

 黒髪に端正な顔立ち。チャコールグレーのジャケットの中にはギンガムチェックのブラウスにグリーンのセーターという着こなし。いうなれば朝ドラのヒロインの相手役のような、爽やかで好感度抜群なイケメンだった。


 でもどこか見覚えのある顔。イケメンの足元にはてっちゃんのキャリーケースがおかれていた。てっちゃんの知り合いだろうか?


 しかし、他人を目の前にして「誰ですか?」とも聞けずに固まっていると「ただいま~」とイケメンはてっちゃんの声を発する。


 そうして、許可もなく上がり込んできた。さすがにやばいと思い、後ずさりしつつ「だ、誰?」と詰問すると、爽やかイケメンは柳眉を下げた。


「ひどい、僕やのに。薫わからへんの」


「えっ? てっちゃんなの、変わりすぎ!」


 襖の陰で様子を見ていたママが、飛び出してきた。悲しそうにわたしを見つめる瞳はたしかに青く、髪色をのぞけばてっちゃんだった。


 しかし金髪和装王子から、朝ドラヒロインの相手役なんてジャンルが変わりすぎて、わかるわけがない!


「びっくりした? 東京にいる間、追いかけ回されたから印象変えたらって、朧さんに言われて美容院と百貨店に連れて行かれてん」


「そ、そのお金どうしたの?」


 てっちゃんの財布の中身なんて、いつもたいして入っていない。


「朧さんが、ぜんぶ出してくれた。お祝いやて」


 わたしの足元でママがぼそぼそと、つぶやいている。


「アパレルブランドだろうけど全部揃えたらけっこうな金額だし、東京の美容院の相場を考えると、高額なお祝いだよ。なんなのその編集、女?」


 ママのつっこみに、わたしは無言でうなずいた。ママはさらに突然のイメチェンを追求する。


「てっちゃん、いつものスタイルにこだわってたんじゃないの?」


 いくら着物が家にあると言っても、着続けるにはこだわりを持っているのだとわたしも思っていたのだが。


「そら、こんなかっこ慣れへんわ。でも、こうしてたらここに住んでても目立たんし、何より薫に注目されへんやろ。僕、会見でいらんこと言うてしもたし。僕のせいで薫が変な目で見られるのが、一番いやや」


「なるほど、薫ちゃんのために致し方なくってことね。それなら、納得」


「お金稼ごうと、雑誌の取材とか頑張ったけどやっぱり無理や。疲れる。僕は小説を書きたいんや」


 ……中身まで勤勉な好青年に侵されておらず、相変わらずな高等遊民ぶりだ。


 しかしあまりにも変わってしまった外見に、わたしは人見知りを発揮していた。猫のミヤもてっちゃんの見違えた姿に戸惑い、近づいて行かない。


「薫、僕のかっこ気にいらへん? 顔がこわばってるけど」


 気にいらないどころか、どストライクです……なんて口が裂けても言えない。子供の頃は童話の金髪王子が理想だったけれど、男の夢と現実を理解できるようになって、誠実な浮気をしなさそうな爽やかイケメンに好みは移行していた。


「だ、大丈夫……。慣れないだけだから」


「それより早く、ご飯にしよーよ。薫ちゃん、てっちゃんのために奮発して鰻買ってきたんだよ」


「鰻? やった。食べたかってん。東京では、お酒ばっかり飲まされて。おいしいもの食べたかったんや」


 金髪王子だった時と変わらず、無邪気な三十五歳にほっと胸をなでおろす。とにかく金髪王子だろうが爽やかイケメンだろうが、おいしいご飯を食べさせたいことに、変わりはない。


 わたしは、そそくさと台所に戻り夕食の準備に取り掛かる。まず熱したフライパンに鰻を並べお酒をふって蓋をする。蒸し焼きにすると、身がふっくらと仕上がるのだ。


 鰻の匂いにさそわれ、着物に着替えたてっちゃんがわたしの肩越しにフライパンをのぞき込む。


「ああ、ええ匂いやあ。お腹なる。薫、僕のためにありがとうな」


 黒髪がわたしの頬にあたりそうな至近距離に、てっちゃんの顔が現れ心臓を落っことしそうになる。


 せっかく平常心を取り戻したのに、沈まれ心臓! 見た目に騙されるな。このイケメンは光源氏と心得よ。


「ちょっと、てっちゃんあっちで待ってて。邪魔だから」


 姪のツンツンな態度にしょぼくれ、てっちゃんは大人しく椅子に座った。その隙に熱々のご飯の上に鰻を乗せ、たっぷりタレをかけ錦糸卵をちらす。


 さきほど作っておいた、おつゆと水菜サラダを食卓に並べ、ようやく一息つく。わたしが、椅子に座るとママが食卓の上に立ち上がった。


「えー、てっちゃん。門山賞受賞おめでとう! これからも、がんばって薫ちゃんを養ってください。そして、薫ちゃんはお勉強がんばってね」


 娘を捨てて押し付けた本人が、偉そうに言うな、というつっこみは本人死亡のため封印した。そして、爽やかイケメンの突然の出現により忘れていた己の状況を思い出す。


 わたしは受験生。滑り止めも受けず、公立一発勝負の崖っぷち受験生。浪人なんてゆるされる身分ではない。


 そう、十七も年上のおじさんに、ときめいている場合じゃないのだ。


 明日からの猛勉強を誓い、鼻息も荒く鰻を頬張ると、なぜだか美味しいはずの高級な鰻の味が全然わからなかった。

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