第4話 ママの言い訳
「あー、びっくりした。突然くるんだもん」
お猿のママはさも驚いた声を出したが、びっくりしたのはこっちだ。とことこ後ろをついてくるママを無視して、わたしはお皿を洗い始めた。
「薫、片付けは僕がするし。おいとき。それより、こっちが問題やろ」
てっちゃんは、お猿を指さす。
「そんなの関係ないよ。ちょっとしゃべる猿なんて、放っておいたらいい」
「ひどい、薫ちゃん。ひさしぶりにママに会ったのに」
ひどいのは、どっちだ。九年をひさしぶりで片付けるその感覚が、信じられない。
「とりあえず。美夜ちゃん、おかえり」
「てっちゃんは、やさしいね」
「で、いつ成仏するの?」
てっちゃんがママにやさしくするのが、気にいらない。そんな娘のイライラをぶつけられて、お猿は尻もちをついて絶句している。
「ひ、ひどい。ママだって、薫ちゃんの役にたちたくて朝ごはんつくろうとしたり、お掃除しようとしたんだもん」
「なるほど、そんな体でできないことして、冷蔵庫に閉じ込められたり、うろうろしてるところをミヤにさらわれたりしたってことね」
てっちゃんの留守の間の怪奇現象は、ママのせいだったというわけだ。死んだ母親がぬいぐるみに乗り移って、娘の世話を焼く……。完全にホラーだ。
「まあまあ、そのぐらいで。美夜ちゃんが、いつまでこの状態でおれるかわからんし、仲ようせな」
死んだママの魂がぬいぐるみに乗り移って、しゃべって動く不自然なこの状況。そんなの長く続かないって、わたしにだってわかる。でも、はいそうですかってすべて流せるわけでもない。
てっちゃんなら、わかってくれると思ったのに……。やっぱり、ママの方が……。
「もういい、わたし勉強してくる!」
狭い階段を勢いよく上がり、二階の部屋に駆け込む。てっちゃんの部屋と違い、整理整頓された部屋。
ベッドと勉強机と本棚だけの味気ないといえば味気ない部屋だけど、ここは勉強と寝るだけの部屋で、わたしはほとんど居間か台所にいる。
勉強するって言ったって、雑念が多すぎる。ママのことを抜きにしても、いきなり表れたマイケルの誘い。そんなのにのるわけないのだけれど……。
「あーーーー!!」
ご近所迷惑になろうが、これが叫ばずにやっていられようか。いや、叫んだ方が健全な受験生と言える。
青春の鬱憤の解消方法は、叫んで走り出すのがお約束だ。どうしよう。わたし運動苦手だけど、今から走ってこようかな。
走るべきか、走らざるべきか……。腕組みをして思考に耽溺していると、襖がポスポスとノックされる。
「薫、叫び声聞こえたけど、大丈夫か?」
「大丈夫じゃない!」と叫ぶと同時に、てっちゃんが襖を引いてひょこっと顔を出した。
「あの、美夜ちゃんから話があるって」
あきらかに不機嫌な顔をしている姪っ子に、少々怖気づいている。もっとびくびくしているのは、着物の裾に隠れたお猿だ。
「あのね。ママね。薫ちゃんをおいてきぼりして、ひどいことしたと思うんだけど、記憶が所々なくて、なんでそんなことしたのかわかんないの。やっぱり、交通事故で死んじゃった後遺症かな……ごめんね」
つらつらと言い訳を始めた。
「ふーん。もういいけど。どうせ、わたしをおいてアメリカに行きたかっただけだろうし」
わたしは大人だ。過去の出来事をグズグズねちねち攻め立てるなんて、一円の得にもならないことはしない。しないったら、しない。
「お風呂わかしたし、入り。今日はいろんなことあって、疲れたやろ」
てっちゃんの気遣いが、染みる。自分も東京から帰ってきたばかりで、疲れているだろうに。
「あっ、じゃあ、ついでにママも洗って。薫ちゃん、チッチのことずっとほったらかしにしてたでしょ。埃っぽくて」
子供をほったらかしにしたことを棚に上げて、わたしを責めるとんでもないママだ。あっ、そもそも自分のことを上げる棚そのものが、存在しないのだな、この猿は。
「……いいよ。すっごい丁寧に洗ってあげる」
その後、お風呂場からお猿の悲鳴が聞こえてきたのは、言うまでもない。
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