第3話 お抹茶

「オーマイガー! 奇跡だ。美夜の魂が猿に乗り移るなんて。やっぱり君はただものじゃなかった。さすが俺が愛した人」


 不審者はてっちゃんにつかまれたまま、天を仰いでひとりでこの滑稽な状況に感動している。


「あんた、ほんまに誰やねん」


 冷たい詰問に、余裕の笑みを浮かべた。


「俺はマイケル・ブラック。美夜のアメリカでのパートナーだ」


「ママの旦那さん?」


 典子さんは、ママがアメリカで結婚したと言っていた。


「ちがーう。パートナーって言っても、ビジネスパートナーね」


 すかさずお猿が否定した。典子さんのところの常連さんは、何を勘違いしていたのだろう。


「俺は、結婚するつもりだった。何回もプロポーズしたし」


「あたし、ちゃんと断ってたでしょ」


 ママはアメリカでも、モテモテだったんだ。


「そのうち、君は絶対俺に落ちると思って……」


 お猿とマイケルの言い合いにてっちゃんが、割って入る。


「ストップ。あんた美夜ちゃんの旦那でもないのに、ここに何しにきたんや」


 そう言えば、この人はわたしを迎えに来たと言った。


「美夜は娘といっしょに本当は暮らしたかったんだ。俺にはわかる。だからせめてその願いを俺が代わりに叶えようと。薫を迎えにきたんだ」


 マイケルは、無茶苦茶なことを言い出した。


「勝手なことぬかすな! 薫は僕が育ててきたんや」


 珍しいてっちゃんの怒声に、マイケルは唇を片っぽだけ上げて皮肉な笑いを浮かべる。


「日本の興信所にたのんで。薫のこと調べさせたんだけど、君の経済状態じゃあ満足な教育を受けさせられないだろ。俺なら、薫に最高の環境を用意できる!」


 何いうてんねん、このヤロー。という顔をてっちゃんはしているが、否定はしない。


「まあたしかにこのマイケルはお金持ちで、薫ちゃんのしたいことはたいてい叶えてくれる。そして、ママ住んでみてわかったけど、アメリカってすっごく自由で楽しいとこだよ。京都なんて窮屈でしょ」


 何それ……。いきなり現れて、おいてけぼりにしたことを謝らないで、勝手にわたしの未来の可能性を母親づらして提示する。


 ママにそんなこと言う権利なんてない! もう死んじゃってるくせに。


 いっぱいいっぱい、言ってやりたいことがあるのに、うまく声に出せない。わたしはてっちゃんにしがみつく力を強くして、九年分の恨みつらみを飲み込んで震えることしかできない。


 さんざん十八歳は大人って、自分で言っていたくせに。これじゃあまるで、この家に初めて来た九歳のわたしと全然かわらない。


 ネガティブ沼にはまりかけていたら、てっちゃんがわたしの頭をポンポンとなでてくれた。


「とりあえず、落ちつこ。マイケルはん、ほんまはあがってほしないけどあがって。お茶点てるし」


 マイケルはいけずな誘いに、苦々しい顔をして我が家にあがる。仏間へ通し、てっちゃんが茶道具を持ち出し、お茶を点て始めた。


 その前には、お猿のぬいぐるみ姿のママが短い足を投げ出して座り、わたし、マイケルが正座をして神妙な顔をして座っている。


 茶せんがお茶を点てる音だけが、静まり帰った仏間に響く。前もって出されていたお菓子は、東京土産のいちごのクッキーだった。本当なら干菓子なのだけど、そんな上品なお菓子はうちにない。


 先にお菓子を食べたので、口の中は甘いバターの香りでいっぱいだ。まず客人のマイケルから、お茶を出される。なんとなく作法をわかっているようで、茶碗を受け取り手前に二回まわして口をつけた。


「うん、さすが茶どころ。うまい」


 そう言うと、茶碗をてっちゃんに返す。続いて点てられたお茶は、わたしの前に差し出された。茶碗を両手に包み込むとほんのり温かい。二回まわして頂く。


 きめ細かな抹茶の泡が唇にあたると、爽やかな香りがはじける。口に含むと柔らかな渋みが広がり、口に残っていた甘味と溶け合い喉の奥に滑っていった。


「おいしい」


 ため息とともに不安も掃き出し、心は柔らかくほっこり落ち着いていた。


「あたしも、匂いだけ嗅ぎたいよ」


 お猿のくせに、お抹茶を所望する。てっちゃんはそのオーダーに答え、三杯目を点ててママの前におく。チッチは細長い腕で茶碗を抱え匂いだけ堪能して、てっちゃんに返した。


 それをぐびっと一気に飲むと、てっちゃんはマイケルに体を向けた。


「薫はもうすぐ大学受験が控える大事な時期や。問題の先送りかもしれへんけど、薫が答えを出すのを待ってほしい」


 マイケルは髭をなでて「ふむ」とうなずくと、わたしを見た。


「その受験の結果はいつわかる?」


「三月ぐらい……」


「OKじゃあまた、日本にくるよ。日本の大学に受かっても、アメリカに留学って手もあるしな。薫、広い世界を知った方がいいよ」


 てっちゃんよりも彫りの深い顔で、そんなこと言われても、わたしの気持ちが変わるわけがない。しかしここで、即断るのも失礼にあたるのじゃないかと思い、小さくうなずいた。


「じゃあ、美夜いっしょに帰ろうか」


 わたしがちょっとだけうなずいたので満足したのか、マイケルはママのお猿の体を抱きかかえた。


「ちょっと、何するのよ。あたしは、もう死んでるんだからアメリカに帰る必要ないの」


「はっ? 君のいるところは、俺の隣だろ」


 すごい、こんな一昔前のトレンディドラマみたいな台詞を生で聞けた。すっごく似合っているけれども、マイケルが抱っこしているのは美女ではなく、お猿のぬいぐるみだ……。


「あたしは、薫ちゃんといたいの!」


 ばたばたとお猿が暴れ出したので、マイケルは手をはなした。


「じゃあ、今度くる時は薫と君をアメリカに連れ帰るから。そのつもりで」


 バチンという音が聞こえそうなウインクを残し、マイケルは帰って行った。

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