第2話 アパレルセレブ
「東京どうだった?」
「とにかく、人が多くて疲れた。やっぱり京都の方がのんびりしてるわ」
「そうかな、京都市内も観光客ですごい人だよ」
「東京と比べもんにならへん。あんなとこ、人間の住むとこちゃう」
てっちゃんは、しみじみとかみしめるように言う。
「お仕事は? サインいっぱいしたんでしょ」
「あーあと、いろんな人に挨拶させられた。ほんで、賞の選考会の日は発表会場の近くで待ち会するんやって」
「何それ?」
油揚げを口に入れてかむと、じゅわっと甘辛いつゆが染みだした。
「編集者とか関係者と飲みながら、発表待つらしい」
「それって、受賞すればいいけど、落選した時どうするの。なんかいたたまれない……」
「そやろ……。っていやいや、落選した時のこと考えてどうする! 絶対受賞するんや。薫の学費のために」
てっちゃんは、何が何でも受賞してわたしの奨学金を阻止したいようだ。
「なんか、ごめんね。へんなプレッシャーかけて」
てっちゃんは、衣笠丼の玉子よりふわふわの笑顔をわたしに向けた。
「へんな気い使わんでもええ。そや、お土産買うてきたで。朧さんおすすめの最近若い子に人気のスイーツ。お隣の桐野さんのもあんねん」
もう食べ終わっていたてっちゃんは、食器をささっと洗うと二階にお土産を取りに行った。
イチゴの絵が描かれたかわいいパッケージのおかしをテーブルにおくと、てっちゃんは桐野さんのお宅へお土産を持って行った。
食器を洗いテーブルをふいていると、玄関戸の開く音がした。もうてっちゃんが帰ってきた。いつも桐野さんのところに行くと、話が弾んでなかなか帰ってこないのに。
でも、なかなか玄関からあがってこない。また桐野のおばちゃんにいろいろもらったのかと思って、玄関へ向かうと見知らぬ外国人がそこに立っていた。
仕立てのよさそうなスーツを着こなしたダークブラウンの髪の男性は、セレブな雰囲気を醸し出している。
あごには無精ひげ……。ではなくちゃんと手入れをして、無精ひげっぽくみえるワイルドな髭が生えていた。かなり、自分の容姿に自信があるように見受けられる。
幼少のころママの交友関係を見ていた私の目から見て、仕事はアパレル関係とみた。
黙っている男性とわたしがにらみ合っていたら、ミヤが台所から出てきた。玄関戸が開いているのでわたしは、すかさず抱き上げる。
するとアパレルセレブは突然、流ちょうな日本語でしゃべり出した。
「ようやく会えた。君が薫だね。迎えにきたよ」
……はっ? 驚きで声も出ない。というかそもそもわたしは、初対面の人としゃべるのがものすごく苦手。それなのに、わけのわからないことを言われ完全に思考が停止した。
「どうしたの? なんでしゃべらないの? 君、薫だよね。美夜によく似てる。そのつぶらな瞳にかわいい鼻……」
外国人に東洋人の扁平な顔なんてみな同じに見えるのだろう。わたしとママが似ているわけないだろ。
じりじりと、怪しい外国人から距離をとる。早く、早く。てっちゃん帰ってきて!
心の中で叫んだら、助けに入ったのは懐かしいちょっと舌足らずな声だった。
「やだー。なんでマイケルが、ここにいるの?」
玄関横の仏間を仕切る襖があいていて、その奥から高音のかわいらしい声が聞こえてきた。とことこと暗がりからこちらに歩いてくるものがある。
明るいところに出てきたそれは、体長三十センチのお猿のチッチだった。チッチが歩いてしゃべっている。
「美夜、美夜の声がする。まさか、そんな……」
外国人にはチッチの姿は襖の陰で見えていない。
「美夜なはずがない……。美夜は死んだのに!」
……なんなんだいったい。見知らぬ外国人が突撃してきたと思えば、お猿のチッチが動いてママの声でしゃべり出すし、おまけにママが死んだなんて、とんでもない嘘を言う。
……てっちゃん、助けて!
「ちょっと、お宅だれやの」
てっちゃんがやっとお隣から帰ってきた。この緊迫した状況でも、京ことばののらりくらりは健在だ。やっぱり、桐野のおばちゃんに引き留められていたようでビニール袋をさげていた。
「柿もろたで。ほんで、なんやこの状況」
「みゃー!」
わたしは思わず抱いていたミヤを放り出し、玄関のたたきに飛び降りてっちゃんにしがみつく。
「この人、突然押しかけてきて、変なことばっかり言う……」
「はっ? 変なことて、変質者か。あっ、文化祭で薫にいたづらした変質者は、おまえやったんやろ!!」
てっちゃんはしがみつくわたしを左手でホールドしつつ、右手で不審者の外国人にいきなりつかみかかった。
ひょろい文系男子にあるまじき闘争心を表し、うちの狭い玄関は修羅場と化す。ミヤも怯えて、居間へ逃げていった。その緊迫した空気を破り、ママの声がまた聞こえる。さっき聞いた声は、幻聴ではなかったようだ。
「あのー、文化祭の未来くんはあたしだよ。ごめんね、薫ちゃんのお仕事する姿見たくて……。で、見てたらハグしたくなっちゃって」
襖の影から現れたチッチが、この状況をますます混乱へと突き落とすカミングアウトを始めた。
「あっ、てっちゃんお久しぶり。こんな姿で突然ですけど、あたし美夜です。えっとたしか一か月前に、アメリカで交通事故に巻き込まれて死んじゃったの」
あっけらかんと悲壮感ゼロのチッチ――ママ――の死亡報告に、てっちゃんの目は点になっている。
「死んだて……。嘘やろ」
「びっくりだよね。あたしもびっくりだよ。でね、死んじゃう瞬間何かしたいことがあったの。そしたら気がついたらここで、ふわふわ浮遊霊みたいになってたってわけ。肝心のしたいことは、思い出せないんだけどね。あははっ」
笑っているけれど、チッチの口は全然動いていない。
「したいことって、わたしを迎えにくること? 典子さんのお店の常連さんにそう言ったんでしょ」
てっちゃんに抱きつきながらも、わたしは確認せずにはいられなかった。九年もほったらかしにしてたくせに、勝手に死んで勝手に幽霊になって帰ってきた。
「えっ、そんなこと言ったのかな。あんまり覚えてなくて。へへっ」
軽い……。自分が死んだっていうのに、軽すぎる。わたしの気持ちはどうしてくれるのよ!
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