第11話 菊酒

 血のつながらない身内同士の恋愛という設定は、千年前にも読者を萌えさせたのだろう。光源氏の一番の人は、年上の継母藤壺。早くに母親をなくした光源氏は、母親そっくりな藤壺に懸想してしまう。そのかなわぬ恋の代わりに、藤壺の姪である紫の君を引き取って育てるのだ。


 光源氏の思惑通り、紫の君は藤壺にそっくりな女性に育つ……。ほんと笑っちゃう。


 男の行動原理というものは文明が発達して高度に複雑化したかというと、そうでもない。かつて恋していた、もしくは現在進行形で恋している人の身内だから育てたいと思うのだ。


 今日典子さんから聞いたママの近況を知ったら、てっちゃんはどう思うだろう。


 おかしいな、いつもならあっという間に食べ終わる源さんのお弁当なのに、今日は食べても食べても喉の奥につまってちっとも終わらない。


「どないしたん? バイト疲れたんか」


 そう言うと、てっちゃんはわたしのカラになった湯呑に暖かい番茶を注いでくれる。何か言わないと、不審に思われる。


 お金とママの話題からそらしつつ、ちょっと笑えるネタをいますぐこの食卓の上に用意しないと、この家がおままごとの家に変わり果てる。


「あのね、文化祭の時、変なことがあったんだ」


 わたしは着ぐるみ泥棒にハグされたことを省いて、面白おかしく伝えた。笑ってほしかったのに、てっちゃんは真剣な表情でたずねてきた。


「だいたいどれぐらいの時間、盗まれてたんや」


 なんだかだんだん刑事に事情聴取されている気分になってきた。


「うーん、三十分ぐらいかな。なくなってるのに気がついて、探し始めたら元の場所に戻されてたんだって」


「誰か目撃者は?」


 てっちゃんの眼光がベテラン刑事のように鋭くなっている。


「着ぐるみ着て、動いてたのは何人も見てるよ」


「暑くて当番の子が脱ぐぐらいや、汗で匂いもしたやろう。本来なら触りたくもないものを、わざわざ着てうろつく動機は……」


 てっちゃんは腕組みをして、考え始める。なんだか雲行きが怪しいな。ただの面白ネタを提供しただけなのに。


「高校内で顔を知られている犯人が、何か変態的行為を行った。と考えるのが、普通やろな」


「えー! 変態的行為って、ただハグされただけだよ!」


 変態行為という、パワーワードが気持ち悪すぎてついついカミングアウトしてしまった。


「薫、そいつにいたづらされたんか! 変なとこ触られへんかったか?」


「うん、ハグして頭ポンポンされただけだし。ちかんってほどのことはなかったけど」


「そんなもん、十分ちかんやろ。わざわざ姿かくして女子高生にすりよるなんて、変態の何者でもないわ!」


 いつもおっとりはんなりのてっちゃんが、白い額に青筋を立てて怒っている。


「警察に電話して、パトロール強化してもらわな!」


 そう言うが早いか、着物の袂からスマホを取り出した。すると仏間の方から、がさっと大きな物音がして、てっちゃんとわたしは椅子の上で飛び上がった。


 まさか変態の侵入者かと、てっちゃんが仏間を見に行く。その後ろからわたしも恐々ついて行った。


「なんや、薫のお猿さんが棚から落ちただけや」


 この家に初めて来た時持っていた猿のぬいぐるみは、ずっといっしょに寝ていたのだけれど、さすがに高校生になって床の間の飾り棚に市松人形や木目込み人形などといっしょに飾っていた。


 それが畳の上にポトリと落ちている。体長三十センチの足が短く手が長い寸胴体型で、おまけにつぶらな瞳にでかい鼻というなんとも愛嬌のあるお猿さん。このぬいぐるみはイギリスの有名ぬいぐるみメーカーのもので、わたしが産まれた時にファーストトイとしてママが買ったものだった。


 わたしの大事なお友達。チッチと名前をつけておままごとしたり、話かけたりしていた。


 ミヤも仏間にやってきて、落ちているお猿さんの周りをぐるぐる回っている。


「なんで落ちたんだろ。ちゃんと奥においてたはずだけど」


 ミヤが鋭い爪を出し今にもお猿さんに襲い掛かろうとしたところで、てっちゃんが拾い上げた。


「こんなところにおいてるから、さみしいのかもしれへんで」


「だって、もう十八だよ。ぬいぐるみと寝るのは卒業だよ」


「寝んでも、部屋においといたげたら。大事にしてたもんには、魂が宿るって言うしな」


「えっ、変質者の着ぐるみの話した後にそんなこと言われても、素直に受け取れないな……」


 てっちゃんは、「それもそやな」と言ってお猿さんを元の場所に戻した。


 着ぐるみの変質者のことは横において、わたしはてっちゃんを見る。


「てっちゃん、菊酒飲まない? 菊見ながら菊酒飲んだら、長生きできるよ。あっ、それと門山賞の候補になった祝い酒にもなるし」


 仏間から見える庭に、菊の寄せ植えの鉢がおかれていた。黄色とえんじ色の小菊がちょうど満開だ。これはお隣の桐野さんのおじちゃんが毎年うちにおすそ分けしてくれる。おじちゃんは菊づくりの名人なのだ。


「ほな、もらおかな」


 すっかり警察に電話することを忘れ、てっちゃんはお酒を取りに台所へ行く。わたしは胸をなでおろし、縁側のガラス引き戸をあけた。黄色とえんじ色の菊の花びらをつみ、鼻をよせた。


 邪気を払ってくれる高貴な香りを胸に吸い込み、てっちゃんが長生きして、いつまでもいっしょにいられますようにと心の中で切に祈った。

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