第10話 ラブコメのテンプレ

 風呂敷に包まれた松花堂弁当を抱えて自宅に帰り着くと、時刻は六時を回っていた。秋の日はつるべ落としという通り、先週までは夕日がきれいな時刻だったのに、今日はもう薄暗い黄昏時だ。


 ガタつく玄関の戸を開け、「ただいま」といつもより心持ち大きな声で言うと返事の代わりに居間から話声が聞こえてきた。


 電話の相手は話の内容からすると、てっちゃんの担当編集の朧さんのようだ。バリキャリの三十代前半の朧さんは、はっきりものを言い押しが強い。のらりくらりとしたてっちゃんには、それぐらい強い編集さんの方があっているのだろう。


 わたしが居間に入ると、てっちゃんは電話をもう切っていて「おかえりー」と言ってくれた。


 なんだか今日はいつもより声が弾んでいるような気がする。


「お腹減ってるよね。今日のお弁当は栗ご飯だよ」


「わあ、うれしいなあ。栗ご飯大好きや」


 銀杏ご飯も苦みがほのかに香っておいしいけれど、わたしとてっちゃんは甘くてほくほくの栗ご飯の方が断然好きだ。


 ダイニングテーブルの上に松花堂弁当をひろげ、いただきますもそこそこにさっそく食べ始めた。


 格子に仕切られたお弁当箱の中、お造りは縞鯵と鯛、焼き物は生麩の蒲焼に銀鱈の西京漬け、鴨のロース。炊き合わせはカボチャやさつまいも、里芋の秋が旬のお野菜。


 里芋はキノコに見立て、飾り切りされている。里芋の白い部分は軸、茶色い皮を残したところがキノコの傘というわけ。


 わたしはこれが大好きで、見た目もかわいいし皮のところを指でぎゅっと押すとつるんとむけるのも楽しい。


 目にかわいく趣向も楽しい、秋のお楽しみだ。もちろん味も言うことなし。里芋のねっとりとした甘さが、お出汁と薄口醬油で煮つけられている。


 京料理に欠かせない薄口醤油は、素材の色彩を壊さないための調味料である。


 そして重陽の節句らしく、菊の花びらと菊菜の和え物も入っていて、黄色と緑の色合いも美しい。目も舌も満喫できる秋の松花堂弁当である。


 栗ご飯を頬張るてっちゃんを見て、わたしも栗ご飯に箸をすすめる。昆布こぶ――京都ではこんぶと言わず、こぶと言う――と塩と酒のみのシンプルな味付けが、栗の甘さを引き立てている。


 ほのかに甘い栗を食べていると、幸せ気分に酔いしれ自然と気も緩むというもの。ついつい典子さんとの会話を、てっちゃんに報告してしまった。


「大学どうするのって典子さんに訊かれたから、京都公立大学って言っておいた」


「典子さん、自分とこから通いって言うたんやない?」


 銀鱈をつまもうとしていた箸がとまった。さすが小説家、読みがするどい。


「えっと、学費も払ったげるって言われたけど、断ったよ。わたしの家はここだし……。それに、奨学金申請するって言っといた」


 しどろもどろな説明にてっちゃんは箸をおき、わたしを海の青さの瞳で見つめる。


「奨学金なんてうけんでも、僕が学費だす。あんな。さっきの電話、新作が門山賞の候補になったって電話やってん」


 門山賞とは、純文学作家の憧れの大賞。その賞を取るだけで知名度が鰻のぼりに上がり、本が売れる。おまけに賞金百万円。


 金銭的なこともあるけれど、とにかく作家が一度は受賞を夢見るような賞なのだ。もちろんてっちゃんも、欲のない仙人みたいな様子だったけれどこの賞をほしかったことは明白だ。


「すごい、おめでとう! いつ発表?」


「一か月後や。候補になっただけで、売れるから『骨と青春』重版決まったて。だから薫はお金のこと心配せんでもええ。美夜ちゃんから預かった大事な姪っ子なんやし」


 預かったんじゃなくて、押し付けられたんだよ。


 せっかくの門山賞の候補になった喜びが、どんどんしぼんでいく。


 親の再婚でちょっとの間姉だった人の子供なんて、赤の他人じゃない。なんでそこまでするの? 


 発した瞬間自分に向かって跳ね返ってくる鋭利な言葉を、口から吐き出しそうになり口元をぎゅっと強く結ぶ。


 ミヤがいつの間にかダイニングテーブルへよってきて、てっちゃんの膝の上に乗った。西京焼きの匂いに誘われたのだろう。匂いをはぎ取るように、てっちゃんの唇をなめだした。


 拾ってきた猫にミヤって名付けたのは、てっちゃん。子持ちのシンデレラのおいていったパンプスを、後生大事にしているてっちゃん。


 血のつながらない姪が現れても、すんなり育ててくれたてっちゃん。


 色恋に疎いわたしであっても、数ある文学作品を読んで導き出した、てっちゃんとママの関係の答えはこれだった。


 ラブコメのテンプレ、血のつながらない姉に恋をする純朴弟と、その愛情に気づかない、もしくはわかっていてわからないフリをするかわいい姉。


 あまりにもテッパンすぎて、うかつにも全然気がつかなかった。

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