第9話 ひとりぼっちのふたり

 てっちゃんのママはイギリス人、パパは海外勤務が多い商社マン。日本で暮らしていたママは、遠く離れた故郷のイギリスが恋しくなって、三歳のてっちゃんをおいて国に帰ってしまった。


 てっちゃんを育てたのは、あの家に住んでいたおばあちゃん。その時すでにおじいちゃんは亡くなっていたそうだ。パパはまた海外勤務になり、てっちゃんが十三歳の時に帰国してすぐに典子さんと再婚。それでママと姉弟になったというわけ。


 二つ年上のママとはすごく仲がよかったそうだ。でも、十六歳の時またまた両親が離婚。それからてっちゃんはずっと一人。


 私小説でも書けそうなほど、身内の縁が薄い波乱万丈な人生だ。でも、離婚家庭や再婚家庭が多い昨今の世相を鑑みれば、特別な人生ではないのかもしれない。


 そんなわけで、親からおいてけぼりにされたてっちゃんとわたしは、こういういきさつで家族になった。


 典子さんはたった三年しか親子でなかったてっちゃんに、孫を見てもらっている罪悪感から、経済的援助を申し出たけれどやんわり断られたそうだ。


 あんなにはんなりまったり高等遊民みたいなてっちゃんにも、一度引き受けると決めた男の面子というものが一応あったのだろうか。


 そうは言っても、小学生と定職につかない青年の二人暮らしをほっとけるはずもなく、何くれとなく世話を焼きに家まで来てくれた。


 うちの台所でご飯を作ってくれたり、買い物に連れて行ってくれたり。買い物の時に、洋服や生活に入用なものは典子さんが買ってくれた。


 お店もあるのに、京都市内からわざわざあの家まで来ることは、わたしといっしょに暮らすより大変だったかもしれない。それでも、小学生だったわたしの選択を尊重してくれたこの祖母は、世間体を気にする京都人と違い気風がいい人だと今なら思う。


 わたしの手元にあった山盛りの銀杏は、残り少なくなっていた。


「学費は奨学金もらうし、心配しないで。公立だから、私立ほど高くないし。それに、わたしあそこの暮らし楽しいから。だって、京都市内なんて観光客がすごいでしょ。遊びに行くにはいいところだけど、暮らすにはちょっと田舎のあそこがいいから」


 普段ほとんどしゃべらない孫がべらべらと、己の心情を吐露したというのに、典子さんは納得はできないようだ。


「そうは言うても、奨学金なんて、借金とかわらんえ。あんたにそんなもん背おわせられへんわ」


 そう言い捨てると、手にした銀杏を転がした。


「あんな。言うかどうか迷てたんやけど。美夜みやな、アメリカにいるらしいわ。昔馴染みのお客さんから聞いたんや。偶然向こうでうたんやて」


「ふーん」


 九年ぶりに聞く母親の近況に無感動な声しか出ない。ちなみに美夜とはママの名前である。


「なんやバイヤーとかいう仕事してて、むこうの人と結婚したらしい。そんであんたを迎えに行くて言うてたんやて」


「何を今さら」


 思わず、鼻で笑ってしまった。典子さんの声はだんだん雅さをかなぐり捨て、怒りが増していく。


「勝手なことしたくせに、犬や猫みたいにまた迎えにくるて。我が娘ながら、あきれるわ。徹氏くんのとこいたら、美夜に丸め込まれてあんたを連れて行かれるかもしれへんさかい」


 ああなるほど、そういうことか。典子さんは、わたしがこれ以上ママに振り回されることを阻止するために、自分のところに来るように言ったのか。


「大丈夫だよ。わたしは京都が好きだから」


『京都が好き』の中にはいろんな思いが詰め込まれている。ママに捨てられてからの九年間の、恨みつらみを好きという言葉で昇華しているだけかもしれない。


 それでももうここが、わたしのホームグラウンドであることに変わりはない。


 厨房との仕切りの暖簾がゆれ、板前の源さんがひょいと顔を出した。この源さんは今現在の典子さんのパートナー。籍が入っているかどうかは知らないけれど。


「薫ちゃん、松花堂弁当できたで持って帰り」


 バイトからの帰り、いつも持たせてもらうお弁当は我が家の夕飯になる。重苦しい話が途切れて気持ちが軽くなったのに、受け取った二人分のお弁当はズシリと重かった。

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