第6話 わたしの叔父さん

 てっちゃんを呼び、二人そろって「いただきます」と言って、一番に半熟卵の黄身を割る。とろりと流れ出した黄身がソースと共に、お安いハンバーグを華やかに演出してくれる。


 たっぷりそれを絡めお口に入れると、牛脂のコクをまとった豚肉のうまみが口いっぱいに広がる。


 半熟の黄身とソース、そしてハンバーグのうま味が渾然一体となり完璧なハーモニーが口の中に祝福をもたらす。


「う~ん、おいしい~」


 同時においしさを共有するため息が出た。こうやっていっしょに食べるご飯は、たとえ節約レシピであってもご馳走だ。


「このきゅうりね、宇津木うつきさんが昨日取れたてだってくれた。でももう、今年はそろそろ終わりかなって」


「宇津木さん、何かといろいろくれはんな。こないだは、旅行のお土産まで持ってきてくれはって。なんや、悪いわ」


「大丈夫、夏に甘夏ゼリーとジャムを返しておいたから」


「ほな、かまへんな」


 てっちゃんは、あっさり言ったけれど、宇津木さんはたぶん、てっちゃんのお顔を拝みたくて頻繁に我が家にくるのだと思う。手土産は、訪問を正当化する餌でしかない。


 いくつになっても、イケメンは目の保養になるらしい。下は小学生から――いや、この間幼稚園児にも熱い視線を向けられていた――上はどこまででも、全年齢をとりこにするとは、まさに光源氏。


 源氏も源典侍げんのないしのすけっていうおばあちゃんに、そういえば迫られていた。


「そうや。今度の文化祭、今年は三年生やし役ついたやろ?」


 もちろん、見に行くで。と書かれた顔面でわたしを見る。そんな期待のこもったキラキラがいつもより二割増しの表情をされても困る……。わたしは、ふっと視線をはずした。


「役なんてついてないよ。だから、見に来なくてもいいからね」


「なんで? 最後の文化祭やんか。薫は背も高いし化粧映えする顔してるんやから、舞台に向いてるのに」


 身内の欲目とは、よく言ったもの。しかし、そこは言葉の魔術師である小説家。嘘は言っていない。化粧映えする……つまりあっさりした顔立ちだということだ。


「三年生が全員、役もらえるわけじゃないの。それに、わたし口下手やのに舞台に立ったら絶対テンパる。台詞忘れて、棒立ちなんてなったらトラウマもんだし」


「それは、困るなあ」


 あきらめのため息をつくと、なぜかミヤがしっぽをピンと立てて、てっちゃんの膝の上に飛び乗った。


「ミヤも薫の演技見たかったなあ」


 ミヤは顎の下をくすぐられ、うっとりとした表情でてっちゃんの浴衣の襟元に顔をこすりつけていた。この光源氏は、猫にまで愛されている。


 くくっていた髪はほどかれ、少しウェーブした金髪がうつむく頬にかかっている。まあたしかに、見た目だけは極上だ。


「見には行かへんけど、文化祭いつ?」


「二週間後。わたしは衣裳係で、当日は照明係もするの」


「へえ、お仕事頑張る薫は、見てみたいなあ」


 金色のとろけるチーズのような笑みを浮かべられ、思わず見に来てと言いそうになるが、心を鬼にしてっちゃんの気をそらす。


「そうだ、お茶練ってよ。アイスまだ残ってたから」


 お濃茶とは、濃い抹茶のことである。ちなみに薄い抹茶もあり、それはおうすともいい一般的に飲まれているのはこちらである。


 通常抹茶を点てるというが、お濃茶の場合は濃度が高いので練るというのだ。


 わたしは手早く食器をシンクに運び、冷凍庫からビックサイズのアイスの容器を取り出す。蓋を開けると、バニラアイスが残りわずかとなっていた。


 夏の初めに買っておいたものだ。我が家のアイスは、このお徳用バニラを小鉢に盛り、そこに自家製の梅ジャム、柿ジャム甘夏ジャム、お濃茶をその日の気分でトッピングするのが、夏の定番デザートなのだ。


 今は亡きてっちゃんのおばあちゃんはお茶の先生だったので、道具はそろっている。てっちゃんも手ほどきを受けていて、抹茶を点てられた。


 抹茶は老舗お茶屋さんの工場直営店へ、自転車を走らせ買いに行く。デパ地下で買う二割引きのお値段でお買い得。それを冷凍保存してある。抹茶に限らず、どんな茶葉も冷凍しておいたら驚くほど味が落ちずに長持ちする。


 この家が建てられた時からある、備え付けの食器棚の戸を引く。趣味人だったおじいちゃんとおばあちゃんが集めた京焼の器がずらりと並ぶ中から、兎の柄の小鉢を選ぶ。


 そこにアイスを盛っていると、てっちゃんがテーブルの上でお濃茶を練り始めた。白く長い指をそろえ茶せんで抹茶を練るように回す。抹茶の香りが立ち上り緑の艶が出てくるとお湯をちょっとつぎ足しよく混ぜる。茶せんが茶碗をこするシャカシャカと規則正しい音が耳に優しい。この音を聞いていると、心が整う。


 アイスの上にねっとりとした抹茶をかけて、さあ食べようとしたところで、純文学作家が風流な提案をする。


「お月さん見ながら、食べよか。お月見にはちょっと早いけど」


 お月さまと小鉢の中の兎。これはもっと楽しまないと。


「じゃあ、電気消してロウソク立てる?」


「ええやん、ええやん」


 仏壇のロウソクを二本拝借して、豆皿の上に立てる。それとアイスを持って、縁側の掃き出し窓を開けると、虫の音が聞こえてきた。南の空にはちょうど半月よりちょっとふくよかな月が浮かんでいる。


 まん丸な完全な月よりも、これぐらいの月の方が趣のあると思うのは生意気だろうか。


 満月ならばあとは欠けるだけだけれど、満月手前の月は満ちていくだけ。なんだか希望が持てる。


 希望に満ちていく月を愛で、お口には濃厚な抹茶がかかったバニラアイス。バニラのちょっとくどい甘さが、抹茶の苦さで中和され、ほろ苦い大人の味わいだ。


「ああ、おいしい。これで夏のアイスはお終いかな」


 あんなにいっぱいあったお徳用サイズは今日でカラになった。夏の初めはどんなに食べてもなくならないとワクワクしていたのに。


「薫、えらい今年はお濃茶アイス気に入ったんやな。去年は苦い言うて、ジャムばっかりかけてたのに」


「うーん、春で十八になったから、大人の味がわかるようになったのかも」


 数字など目安でしかない。それでも今の法律で成人に達したと、ちょっと特別に思った十八の誕生日だった。


「そっか、十八はもう成人やな。選挙もいけるし、結婚もできるなあ」


 てっちゃんの低く静かな声に、姪の成長を実感する感慨が滲んでいる。


「結婚なんてしないよ、わたし」


 結婚という言葉に、敏感に反発した。結婚なんて絶対しない。どうせ、悪い結果になることをわざわざするなんて、コスパが悪すぎる。


「ほな、薫はずっとここにいたらええわ」


 大人になったと言っているのに、てっちゃんは子供をあやすような優しさで頭をなでてくれた。


 家族を構成するメンバーは、血縁もしくは婚姻で形成される人員である。しかしこの多様化の時代、たとえ赤の他人でなんの法的な縛りがなくても家族になれる。


 わたしの唯一の家族は、典子さんの一時の婚姻でママの弟になったてっちゃん。大事な大事な血のつながらない、わたしの叔父さん。

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