第5話 冷凍ハンバーグ

 帰り道、二人並んで自転車をこぎながら、わたしはてっちゃんに苦言を呈する。


「あんなこと言ったらダメだよ。ミステリアスな小説家ってイメージ壊すなって、担当のおぼろさんにいっつも言われてるでしょ」


「そやかて薫のことほめてくれはるんやから、うれしいやん。ええ先生やなあ」


 主にわたしより、てっちゃんのことほめてたけれど。


 帰宅途中にある橋の手前の商店街を、自転車で走り抜ける。抹茶スイーツ店の隙間を埋めるように、小さなスーパーや魚屋さんなど地元の人が立ち寄る店が、建ち並ぶこじんまりとした商店街。


 都合のいいことに、私の帰宅時間と夕方タイムセールが重なる。お得感が加味され、財布にも優しいときたもんだ。しかし買い物をするのは、週二回と決めている。


 買い物の回数を増やせば、それだけついつい余計なものを買ってしまう。節約するなら、極力買い物に行かない。ましてや、コンビニなんてもってのほかである。


 コンビニは魔境だ。あそこに並んでいるだけで、同じ商品がスーパーより高額でもついつい買ってしまう。節約したければ、主婦はコンビニに入るべからず!


 商店街を素通りしようとした瞬間、てっちゃんが魚屋から漂ってくる香ばしい匂いに鼻をひくつかせた。


「なあ、今日は鰻食べたいなあ。薫の成績がよかったご褒美に僕が買うから」


 ねえ、ダメ? と小首をかしげている姿に思わずうなずきそうになる。


「そんなのいらないよ。もったいない。鰻めちゃめちゃ高いもん。油っこくて、お腹壊すし」


 鰻を食べてお腹を壊すほどやわな胃腸ではない。しかし、いくらてっちゃんのおごりでも贅沢を知ってしまった舌は、もう後戻りできないのだ。


 ペダルをこぐ足に力を入れて、魚屋の前を無言で通り過ぎる。てっちゃんは、残念そうだったが、


「今日は、ハンバーグしたげるよ。食べたいでしょ」


 と言うと、とたんにご機嫌になった三十五歳純文学作家だった。


 帰宅すると、朝倒れていたパンプスはちゃんと上り口の隅に置かれていた。てっちゃんがなおしたのだろう。


 もう一度倒してやりたい衝動を抑え、上りかまちに足をかけた。ガラスの靴ならぬアイスブルーのパンプスをおいて、逃げて行った人なんかもう関係ない。


 あの時から何百回も唱えた呪文「ママなんか嫌い」と口にして階段をのぼっていった。


 制服からTシャツとリネンのパンツに着替えると洗濯物を取り込む。南側の庭に設えられた洗濯干し場は、日当たりがいいので冬場でもよく乾くから助かる。屋根がないのが少々難点だが、雲行きが怪しい日は室内の縁側に干しておく。


 お日さまの匂いのする洗濯物は、カラカラに乾いてパリッとしていた。さっさと畳んでから夕飯の支度に取り掛かった。


 ハンバーグはあらかじめ大量に作って、焼いてから冷凍庫にストックしている。我が家のハンバーグは、豚ひき肉でつくるだ。


 なぜって? そりゃ安いからですよ。しかし合いびき肉と違ってどうしても、味がたんぱく。お安いけれど素っ気ないお味のハンバーグに、牛肉のうま味を加える魔法の食材、牛脂を投入するとあら不思議。肉にこってり感が出るのである。


 作り方は簡単、普通のハンバーグの種に牛脂を刻んで練り込むだけ。そしてここに肉汁を閉じ込めるゼラチンがあればよりベスト。


 わざわざ買って入れることはないけれど、うちは甘夏ゼリーを作った残りがあるので入れる。冷凍のハンバーグは凍ったままフライパンに入れ、お酒を振りかけ蒸し焼きにする。


 中まで火が通れば取り出して、フライパンの中に残った肉汁にとんかつソースとケチャップを加えソースをつくる。


「てっちゃん、目玉焼きいる?」


 台所の隣の居間で新聞を読んでいたてっちゃんに、目玉焼きの有無を聞くと元気よく「いる。両目にして」と返ってきた。


 小さなフライパンを出し、玉子をみっつ割り入れる。半熟に焼き上がるとソースをかけたハンバーグの上に乗せた。


 庭に植えているサニーレタスを二枚だけちぎって、お皿に盛りつける。


 あとは豆腐とワカメの味噌汁に、きゅうりとおじゃこの酢の物を添える。豆腐は一丁五八円を半分だけ使用。きゅうりはご近所さんのマダムにもらった。


 これで鰻には劣るけれど、格段にコスパのよいおいしい夕食が完成した。


 わたしと暮らす前は、一日一食だったてっちゃん。やせた王子さまにおいしいご飯を食べてもらいたい。けなげな小学生だったわたし――今は違う――は、典子のりこさんに料理を教えてもらった。


 でも、子どもを一人で台所に立たせられないと言って、中学生になるまでてっちゃんといっしょにご飯をつくっていた。今でも時々いっしょに作ることもある。

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