第4話 推し作家
「先生の小説は、全部読ませていただいてます」
机を向かい合わせた面談スタイルの教室に、推しに対してアピールする担任の声がこだまする。
三十代の男性教諭は、小説家八宮徹舟のファンだと公言しており、今日のこの面談をとても楽しみにしていた。眼前のあこがれの徹舟先生へ、本の感想をひたすらしゃべり始めた。もちろんほめちぎっているのである。ファンの鏡か。
断っておくが、てっちゃんは誰もが知っている有名作家ではない。けれど、その独特の作風から、熱心な固定ファンを獲得していた。
どんなに熱心なファンがいようが、売れっ子でない小説家はこの出版不況で生活水準が非常に低い。低いどころか、兼業でしか食べていけない。
てっちゃんもご多分に漏れず、フランスの小説を翻訳したり小説以外の仕事をしてなんとか収入を得ている。
なのでうちは貧乏家庭である。てっちゃんの着物は、すべててっちゃんのおじいちゃんのおさがりなので、ただなのだ。おじいちゃんはイギリス人の学者先生で日本の大学で教鞭をとり、日本人のおばあちゃんと恋に落ちたそう。
なので日本の男よりも背は高かったみたいだけれど、いかんせん昔の男。着物のお直しは、近所のおばちゃんが、てっちゃんならって、ただでしてくれる。
食の細いてっちゃんとわたし二人分の食費は、ひと月辺り四万から五万の間で押さえている。一番の出費は教育費だった。高校の授業料がただと言っても、模試代やらなんやらで結構な金額になる。そして、それが大学ともなると……。
「最新刊の『骨と青春』も読みました。いやー今作もしびれるメタファーのオンパレードで、ファンの間で考察が盛り上がってますよ」
先生、あの本も読んだんだ……。ヤンデレヒロイン夕子さんと、ドSな光くんが繰り広げる怠惰な青春の日々。
純文学的香りをまぶしてあるけれど、二人がやってる行為はほぼほぼハードSM。ハードSMなんて言葉、てっちゃんの本で初めて知ったんだから。
てっちゃんの作風は、エロスとタナトスをぐちゃぐちゃに煮詰めて、手ぬぐいでまとめてぎゅっと絞ったおからのようにパサついたもの。
中一の夏休み、お家の人の仕事を知ろうという迷惑な作文が出され、てっちゃんの部屋から八宮徹舟名義の本を適当に取ってきて読み始め、その個所にくるとぱたんと本を閉じたわたし。性欲ゼロの少女漫画的王子さまが、肉欲を知る成人男性へと変貌した瞬間だった。
それ以来、時々あるてっちゃんの外泊の意味がわかるようになった。月に数度あったお泊りの日は、
典子さんとはママのお母さん。つまりわたしのおばあちゃんだけれど、おばあちゃんと呼ぶと怒られる。
あの外見なのだから、光源氏なみに恋人がいても驚かない。でも、一度も女の人を家に連れてきたことはない。恋愛みたいなものは、どうぞ家の外でやってください。
てっちゃんは今、極小的美的センスを無視してブルーのオープンカラーシャツとベージュのチノパンという地味な格好をしている。
肩までのびた髪はきっちりとひとつにまとめ、温和な笑みを浮かべ、ファンサ中であった。
「さすが先生の姪御さんですよ。
面談時間残り五分となりようやくわたしの話題となる。進路調査では第一志望しか書いておらず、私立の滑り止めを受ける気はない。
それでも、先生の提案にわたしはこくこくと従順にうなずいておいた。その首肯で話題は再びてっちゃんへ。
「お姉さんの娘さんを一人で育てられてるなんて、感服いたします」
そんなちょっといい話ではないんですよ。壮大な美談を想像している先生に、水を差すわけにもいかず黙っていた。
お尻のあたりがもぞもぞと痒くなり、チラリと横を見る。アンニュイな空気をまとい、教室内だというのに煙草をくゆらせている純文学作家……。
ではなく、青い瞳を大きく見開き、ご主人に頭をわしゃわしゃとなでられている金色の毛並みのゴールデンレトリーバー。みたいな顔をしたてっちゃんが、初めて口を開いた。
「仕事にかまけてる僕なんかより、よっぽど薫の方がえらいんです。勉強も大変やのに、家のこともしてくれて。僕の大好きなハンバーグが得意料理や。今日の服かって薫が選んでくれたんです」
一気にまくしたてたてっちゃんにとっていい話に、先生は口をあんぐりとあけ、見るからにドン引きしていた。
そうですよね。三五のいい大人……小説家八宮徹舟はハンバーグではなく、霞を食ってますよね先生。服まで選んでもらうなんて、おかんかよって思ってます?
少しでも目立たず学校に来てほしいと言う打算をしのばせ、プレゼントってことでその服を渡したんです。素直に大喜びしている姿を見て、少々胸が痛みました。
ちなみにその洋服代は、食費を浮かして貯めたへそくりです。
浮世離れした純文作家の推し概念をゴールデンレトリ―バーに蹴散らかされた先生は、思考回路を完全にショートさせていた。
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