8:時東はるか 12月2日14時40分 ③

「踏み込まないのに、拒絶もしない。芸能人であるところの時東くんに、過度な興味も示さない。好きにしたらいいって放っておいてくれる」


 読めない瞳を軽く笑ませ、春風はさらりと続けた。


「楽でしょ、時東くん」


 まただ、と時東は思った。

 またひとつ、ざらりとしたなにかが身体の内側に蓄積されていく。そうして積もり積もったなにかは、箍が外れる「いつか」まで息を潜めているのだろうか。

 不穏なイメージを切り捨て、いつもどおりの調子で時東は応じた。いつもどおりの、時東はるかの声。

 顔のわりに喋ると天然で、馬鹿な発言もあるけれど、なんとなく憎めない。そう評される芸能人の時東はるかを時東はよくよく知っている。


「春風さんは違うんですか」

「それはまぁ、楽っちゃ楽だけど。でも、まぁ、さすがに、そればっかりじゃ二十云年一緒にいられませんって」


 持ちつ持たれつっていうのも、案外、難しいけどねぇ。

 試すように笑って春風は肩をすくめた。芝居がかった気障な仕草が自然と似合う。そういった人種も、時東はよく知っている。自分のいる業界に多いからだ。

 

 ――でも、まさかな。


 さすがにそんなことがあるわけがない。浮かんだ疑念に蓋をし、笑みを張り付ける。通用しないからと言って無愛想を保つことも面倒だったのだ。

 自分でもわかっていない「素の自分」とやらよりも、使い慣れた「時東はるか」の皮のほうが、よほど使い勝手が良い。時東はそう思っている。


「そうですよね、気をつけないと」


 その笑顔を呆れたふうに笑った春風が、半分ほど中身の詰まった段ボールを指差した。


「あいつ帰ってくるまでに、それ片づけとかないと。怒られるよ?」

「そうします」


 へら、とお得意の笑みで返して、時東は片づけに着手した。中身を畳の上に広げることで、春風も視界から追い出してしまう。

 作業に没頭しているふうに見せかけているうちに、立ち去る気配がして階段が軋んだ。呆れられていたとしても構わない。べつにどうでもいいことだ。

 ひとりに戻った部屋で、時東は表情を消した。


 まだ子どものような顔をしたふたりの少年とひとりの少女。背の高い少年を真ん中に肩を組んで笑ったジャケット写真。左端に印字した筆記体がグループ名だった。『Ami intime』。フランス語で親友。ガキくさいと笑いながら、ガキだからいいじゃないかと三人で決めた。

 インディーズ時代に、自費で制作したCDだった。たいした数は作っていない。路上ライブやライブハウスに出演した折に自分たちの手で売った。これを作ったのは、高校生の時東たちだ。

 何年も前の話だ。今も持っている人間なんて、ほとんどいないはずのもの。時東は、五年前にすべてを捨てた。


「なんでそんなものを後生大事に持ってんの。南さんは」


 溜息まじりの声が、ぽつりと畳に吸い込まれていく。

 けれど、きっと、このことを南に聞くことを自分は選ばないのだろう。その未来だけははっきりとしていた。

 薮をつついて人間関係を面倒にするなんて、まっぴらだ。忘れることにして、時東は空になった段ボール箱を片づけた。

 


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